第55話 約束
翌朝、アラームの音で目が覚め、ゆっくりと起き上がった後、ため息をついていた。
『あんまり寝れなかった…』
外から聞こえてくる音に気が付き、カーテンを開けると、外には大粒の雨が降っている。
『今日は走りたかったなぁ…』
奏介の状況を全部わかっているはずなのに、春香の顔を思い出すと、苛立ちを抑えきれない。
自分がどうしたいのかもわからないまま、ゆっくりとベッドから降り、トレーニング用のジャージに着替えた後、ジムに入り、ストレッチをしていた。
ストレッチを終えた後、縄跳びを手にすると、ジムのドアが開き、ヨシ兄のジャージを着た奏介が中に入ってくる。
奏介のことを見て見ぬふりをし、タイマーをセットした後に縄跳びを開始すると、奏介も同じように、隣で縄跳びをし始める。
声をかけることも、目を合わせることもなく、ただただトレーニングを続けていた。
3セットの縄跳びを終え、呼吸を整えていると、奏介は縄跳びをまとめ始めていた。
縄跳びをベンチの上に置き、無言のまま腕立てを開始すると、少し遅れて奏介も腕立てを始める。
雨の音が響く中、黙々と筋トレを終えると、奏介が切り出してきた。
「次は?」
「…もう終わり」
「そっか。 …昨日はごめん」
奏介は小声でそう言うと、ジムを後にしてしまう。
私の前を去っていく、奏介の背中を見ながら、なんて声を掛けたらいいのか考えていたんだけど、言葉が思い浮かばず、ただただ黙って見送るだけ。
『こういう時って、謝ればいいのかな? それとも、普通にしてればいいのかな? やばい。 全然わかんない…』
大きくため息をついた後、窓にぶつかり、力なく落ちていく無数の水滴を眺めていた。
数時間後。
父さんと奏介は二人で奏介のアパートに行き、二人は荷物を持って帰宅し、父さんが切り出してきた。
「例の女の親に会ったぞ。 金輪際、近づけさせないって約束した。 あの親、事情を聴くなり『いくら払えばいいですか?』だと。 話しててイライラしたわ…」
父さんは思い出しながらイラついている様子だったんだけど、苛立ちを抑えきれない様子で「ちー、準備してこい。 スパーやるぞ」と切り出してくる。
すると奏介が「俺にやらせてください! 元はと言えば、騙された俺が悪いんだし、千歳は知らないところで被害者になってただけなんで」と声を上げ、父さんが了承するなり、二人は荷物を持ってジムに向かっていた。
二人を追いかけた数分後、奏介と父さんはリングに上がり、スパーリングをしていたんだけど、奏介はどこか楽しそうで、嬉しそうに父さんのパンチを受け、反撃し続けていた。
『ボクシング馬鹿が二人いる』
そう思いながら二人を眺めていると、綺麗な右ストレートが奏介の頬に刺さり、ダウンしたまま立てないでいた。
父さんは肩で息をしながら「ちー、あと頼む」と言い、ジムを後に。
リングに上がり、しゃがみ込みながら「生きてる?」と聞くと、奏介は肩で息をしながら「死んだ」とだけ。
どこか嬉しそうで、幸せそうな奏介を見ていると、胸の奥が締め付けられてしまう。
「…生き返れ」
声を絞り出すように言うと、奏介はクスッと笑った後「千歳のお願いじゃ聞かないわけにはいかねぇよな」と言いながら上半身を起こしていた。
「さっき英雄さんに言われて、冬休み中、ずっとここに居ることになったんだ。 しばらくお世話になるけど、トレーニングするとき、絶対に声かけて。 約束な」
奏介はそう言いながら右手に嵌められたグローブを差し出してくる。
返事の代わりにグローブに右手を当てると、奏介は嬉しそうににっこりと笑い、ゆっくりと立ち上がっていた。
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