第49話 手
奏介は父さんとミット打ちをし、酷くボコボコにされていたんだけど、どこか楽しそうで、嬉しそうな表情をし、父さんも満更でもない様子でパンチを受け続けていた。
『憧れって本当だったんだな』
そう思いながらリングを見ていると、タイマーの音と同時に奏介は倒れこみ、肩で息をしていた。
父さんは当然のように「ちー、鍵頼むな」と言い、高山さんや元広瀬の面々とジムを後にし、リングで横になっている奏介に歩み寄った。
「生きてる?」
しゃがみ込み、目の前で手を振りながらそう聞くと、奏介は息を整えながら「3回死んだ」と笑いかけてくる。
「3回で済めば上出来」と言いながら奏介の腕を引っ張り座らせると、奏介は「合宿以来、ミット打ちして貰えなかったし、マジ嬉しすぎるんだけど…」と、一人幸せを噛み締めるように呟いていた。
「悔しいの消えた?」
「ああ。 マジ最高の気分」
「それは良かった」
そう言いながら立ち上がり、リングを降りてすぐにミットの手入れをしていたんだけど、奏介はリングを降りるなりベンチに座り、グローブの紐を口でほどき、切り出してきた。
「明日、駅に10時で良い?」
「あ、明日だったっけ? つーか動けるの?」
「死んでも動くよ。 初デートじゃん」
奏介の言葉に思わず息が詰まり、言葉を失っていると、奏介はすぐ隣でグローブの手入れを始めていた。
シーンと静まり返ったジムの中、黙々と手入れをし、後片付けを終えると、奏介は私の前に立ちふさがり「明日、遅れるなよ」とだけ言い、勢いよくジムを飛び出してしまう。
『置いていくなバカ』
そう思いながらジムの鍵を閉め、一人自宅に戻っていた。
翌日。
真新しい服に身を包み、履きなれないブーツを履いて駅に向かったんだけど、待ち合わせの10分前にもかかわらず、奏介はスマホをいじりながら待ち合わせ場所で立っていた。
奏介に駆け寄ると、奏介は私を見るなり固まっている。
「何?」
「え? あ、いや… 普段、ジャージばっかりだからさ… 見慣れないっていうか… めちゃめちゃかわいい…」
「早く行くよ!」
言葉を止めるように言った後、奏介と電車に乗り込み、スポーツショップへ向かう。
「電車は甘えなんだよねぇ…」と小声で言うと、奏介は「そう言うと思って、昨日、英雄さんに聞いておいた。 シューズ買いに行くのに付き合ってもらうから、電車に乗せていいか聞いたらOKだって」と、嬉しそうに話し始めた。
軽く言い合いをしながら電車に揺られた後、奏介の隣を歩いていると、突然、奏介の大きな手に手を捕まれてしまい、離そうとしても離してくれず。
「あのさ、手…」と言いかけると、奏介は少し嬉しそうに「デートなんだからいいだろ?」と言い、ポケットの中に私の手ごと手を入れてしまう。
「歩きにくい」と言ったんだけど、奏介は一切聞く耳を持たず、そのままショップへと向かっていた。
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