第9話 憧れの人

毎日のように早朝のトレーニングをし、週に4日ある部活を熟し、部活のない日は父さんのジムで汗を流す日々を過ごしていた。


この頃になると、早苗がしょっちゅう話しかけてきて、陸上部にスカウトされるように。


「いい加減うざい」とはっきり言うと、早苗はスカウトすることを辞めていたけど、「ライン教えて」と言われてしまい、渋々ラインを教えることに。


ラインを教えたまでは良いんだけど、特に用事もないし、自分から話しかけることもないせいか、スマホが鳴ることはなかった。



ボクシング部のマネージャーを始めて、数週間が過ぎると同時に、気が付いたことがいくつかある。



マネージャーをしている薫君は、ルールもよく分かっておらず、備品の手入れも手探りでしていること。


特に、バンテージに関しては、巻いてからネットに入れて洗えば、絡まることもなく、次に使うときに楽ができるのに、そのまま洗濯機に入れてしまう。


結果、解くのに苦労をしてるんだけど、そんなことに気が付くこともなく、絡み合ったバンテージと必死に闘うばかり。



広瀬ジムに通っている菊沢は、バンテージの洗濯方法を知っているはずなんだけど、放課後になると、一人でロードワークに出てしまい、薫君は一人で悪戦苦闘をするばかり。


そしてロードワークに出ていない、他の部員たちは見て見ぬふり。


と言うか、『強制だから入ってます』と言わんばかりの態度で、ひたすらダラダラして時間をつぶすばかり。


菊沢がロードワークから戻り、注意をすると動き始めるんだけど、足は動いてないし、パンチに腰も入ってない。


『おこちゃまの戯れだな』


部室の片隅でバンテージを巻き直しつつ、ボーっとみんなの事を眺めていた。



菊沢に関しては、ジムに通っているせいか、動きが慣れているんだけど、スパーリングの相手もいないし、ミットでパンチを受けるばかり。


まぁ、普通の高校生相手にジム通いしている奴が、本気で相手にするわけもないんだけど…


日を追うごとに『本気でやり合う姿ってどんな感じなんだろ?』という疑問が大きくなっていた。



そんなある日のこと。


夕食時に父さんが「来月、ヒカルが遊びに来るって言ってたぞ。 確か5月8日って言ってたかな?」と切り出した。


相槌を打ちながら食事を終え、部屋に戻った後、ベッドにもたれ掛かりながら、光君のことを思い出していた。



ずっと父さんのジムで活躍し、10年前に肘を怪我してしまい、引退を余儀なくされたんだけど、引退後は全くと言っていいほど姿を見ていない。


切れ長の少し吊り上がった細い目に、茶色いさらさらヘアの、どこからどう見てもイケメン。


当時は『期待の新星』と言われ、いろいろな雑誌からも取材が来ていたし、その甘いルックスのおかげで、ジムの前にはファンの女の子が殺到するほど。


幼かった私は、父さんに言われ、ジムの隅っこで縄跳びをしていたんだけど、当時高校生だった光君は、私の姿を見るたびに「頑張ってるな」とか「無理しちゃだめだよ」と声をかけ、返事をすると頭をクシャクシャと撫でてくれた。


いつも『光君がいる』と聞くとジムに連れて行ってもらい、遠くから光君を眺めながら縄跳びをし、それだけで満足していた過去を思い出していた。



『光君か… 相変わらずカッコいいのかな…』


そう思いながらも、胸の奥が少し温かくなっていくのを感じていた。

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