第六話 お婆さんと冬の日

 それは酷く寒い、クリスマスの日のことでした。

 もうすぐ、少女がこの宿に来て一年となります。

 仕事も覚え、食堂に来るお客さんとも仲良くなって、叔母さんからも一人で仕事を任されるようになっていました。

 飾り付けされた街を少女が眺めていると叔母さんが声を掛けてきます。


「ちょっといいかい?」


 少女は部屋の掃除を途中で止めて、振り返りました。


「昼前に毎年泊まってくれるお婆さんが来るから、一番大きな部屋の掃除も頼むよ」


「大きな部屋って一階の奥にある?」


「ああ。お婆さんはそこじゃないとダメなんだ。頼むよ」


 叔母さんがそう言って、少女はしっかりと聞こえる声で「はーい」と返事をします。


「あ、あと来たら話し相手になってあげておくれ」


 そして、叔母さんは不思議なことを少女に話してきました。


「話し相手?」


「大切なお客さんだからね。今日は他の仕事はいいから、お婆さんの話し相手頼んだよ」


 そう言うと叔母さんは部屋から出て言ってしまいます。

 少女は不思議に思いながらも、部屋の掃除を再開するのでした。



 お昼前に宿の受付で少女が待っていると、一人のお婆さんが扉を開けます。

 センスの良い格好良い服を着たお婆さんは杖をついてやって来ました。

 その姿を見て、どうして叔母さんが一階の部屋を掃除するように頼んだのか、少女は分かりました。階段を上り下りが負担になってしまうからだったのです。


「あら、初めて見る子だね」


「はい。今年の初めからこの宿でお世話になっています」


「あら、そしたら、手紙に書いてあったマッチ売りの少女はあなたね」


「は、はい。昔はマッチを売っていました」


 その言葉を聞いて、少女は叔母さんと親しい知り合いだと思いました。

 少し恥ずかしい気持ちになりながらも、少女はお婆さんの名前を名簿に書いて、荷物を持って部屋へと案内します。

 すると、お腹が空いたとお婆さんが言うので少女は食堂へと案内しました。

 そこで少女は食事を持ってお婆さんのところに行くと、


「あなたも一緒に食べない?」


 そんなことを言うので驚いてしまいます。

 クリスマスとあって、みんな家族と過ごしているのか食堂にはお客さんはいません。

 少女はチラッと叔母さんの方を見ると手で促されたので、遠慮気味に座りました。


「どうだったの? この一年は?」


「はい。そうですね……」


 叔母さんに聞かれて、


「とても大変でした。でも、とても幸せでした」


 そう言って、少女は温かくて美味しいご飯を一口食べました。

 頰が落ちてしまいそうなほど、美味な料理に少女は幸せを感じました。


「ふふ。あなたの顔を見ていると分かるわ。私まで幸せにしてくれる、素敵な笑顔ね」


「あ、ありがとうございます」


 少女は照れて、俯きながらも言葉を返します。


「あの、お婆さんは毎年来てくれているのですか?」


「いいえ、毎年ではなく、季節ごとに来ていたわ」


 少女はその言葉の言い回しを不思議に思いました。

 俯いていた少女は顔を上げて、お婆さんをジーと見てしまいます。


「病気になってしまってね。もう長くないのよ」


「……えっ?」


「だから、春と夏、秋は来れなかったんだけど、もう直ぐ死ぬなら好きな場所をもう一回回りたくてね。今日はここにきたのよ」


「クリスマスなのに……いいのですか?」


「ええ。もう、家に待っててくれる方もいないから」


 少女はそんなことを言うお婆さんを見て、目を大きく開きました。

 その表情は、亡くなってしまったお婆ちゃんとそっくりだったのです。

 とても優しくて、こっちまで穏やかな気持ちになってしまう素敵な笑顔でした。


「ごめんなさい。変なこと聞いちゃって」


「いいのよ。私のために話したのだから。こちらこそ、ごめんなさいね」


 少女にはお婆さんの言葉の意味がよく分かりませんでした。

 どうして、少女が質問したのにお婆さんが謝るのか。

 簡単な言葉なのに、難しいことを話すところは亡くなったお婆ちゃんと同じでした。


「あら、お客さんが来てしまったわね。お仕事、頑張ってね」


 少女が固まっているとお婆さんはそう言います。

 確かにお客さんがお店に入ってきていました。

 お婆さんは笑顔で食事を食べ始めるので、少女はペコリっとお辞儀してお客さんのところに向かいます。

 でも、お婆さんの言葉が頭から離れることはありませんでした。

 そして、ある程度、お店が落ち着いたところで少女はあることを思いつきます。

 少女は直ぐに叔母さんと叔父さんのところへと向かいました。


「どうしたんだい?」


 少女は「あ、あの!」と大声を出して。でも、直ぐに声を小さくして、俯きました。

 叔母さんと叔父さんが不思議に思いながら静かに待っていると、


「お、お願いがあるの!」


 少女は二人が驚く言葉を発していました。

 エプロンをギュッと握り締めて、二人の言葉を少女は待ちます。

 叔母さんも叔父さんも目を見張って、でも、直ぐに目線を少女に合わせました。


「なんだい? 言ってごらん」


 叔母さんの優しい声に、少女の緊張していた身体から自然と力が抜けます。

 少女はエプロンをギュッと握り締めて、思い付いた内容を話しました。

 叔母さんと叔父さんはまた驚いて、でも、嬉しそうに少女の頭を乱暴に撫でます。

 そして、少女は二人の許可を貰って、午後の仕事を休ませてもらうのでした。



 クリスマスの夜。

 一階の食堂の扉には【お休み】の板が掛けられていました。

 やっていないはずの食堂で少女が忙しなく動き回ります。

 でも、少女一人ではありませんでした。

 集まってくれたみんなが忙しなく動き回っていたのです。

 教会の鐘が十九時を知らせます。

 少女はお婆さんの部屋へと向かいました。

 

「あら、どうしたの?」


 お婆さんが朗らかに笑って、少女も笑顔を返します。


「夕ご飯はいかがいたしますか?」


「もうそんな時間なのね。そうね、食べましょうか」


「は、はい! それではご案内しますね」


 少女は声が裏返ってしまって。

 お婆さんにクスっと笑われてしまいます。

 でも、少女は笑われたことなど些細なことでした。

 なぜなら、心臓がバクバクいっていたからです。


――大丈夫。きっと大丈夫。


 そう心の中で自分に言い聞かせて、少女はドアノブを掴みました。


「ようこそ」


 少女は扉を開いて、


「――楽しい聖なる夜へ」


 お婆さんをストーブが効いた暖かな部屋へと案内しました。

 クリスマスソングが聞こえてきます。


 冬に出会った、少女を助けてくれた常連さんたちがいて。

 春に出会った、しっかりと髭を剃った木こりの青年がいて。

 夏に出会った、ランタン職人の夫婦と娘さんがいて。

 秋に出会った、牧場に済む少年がいました。


 お婆さんはビックリしてしまいました。

 部屋には少女が今まで出会った人たちがいて、席にも座らずにみんなでクリスマスソングを歌っているのです。


「あら……凄く賑やかね」


「さぁ、どうぞこちらへ」


 少女はお婆さんの背中を優しく押して、大きなクリスマスツリーの近くに向かいます。

 このクリスマスツリーは木こりの青年から譲ってもらいました。

 それにあの時貸したお金も返ってきたので、少女にとってはとても嬉しい出会いでした。

 出会えたことはもちろん、信じてみて良かったと思えた瞬間でもありました。


「とても綺麗なツリーね。それに明かりも素敵だわ」


「それは友達に借りたランタンなんです」


「あら、そうだったの」


 少女は椅子を引いて、お婆さんに座ってもらいながらクリスマスツリーを見ます。

 クリスマスツリーを木こりの青年に譲ってもらった少女でしたが、クリスマスツリーがあっても飾り付ける物がありませんでした。

 そこで少女は娘さんと彼女の両親にお願いしたのです。

 最近では読み書きを習いに家にも伺っていたので、理由を説明したら家族全員が快くランタンを貸してくれました。

 少女は娘さんに手を振って。

 娘さんに手を振られながら少女は厨房へと入ります。

 すぐに少女が大きなお皿を一人で持って、厨房から出て来ました。


「まぁ〜大きなガチョウの丸焼きね」


 少女のためにみんなが道を譲ってくれます。

 心配する声は聞こえてきませんでした。

 一年前と違って、少女はゆっくりと落ち着いた足取りでお婆さんのところへと向かいます。


「これも譲ってもらったんです。とっておきの鳥さんを」


 少女は白いテーブルクロスがかかった机に料理を置いて、少年の方に手を振りました。

 少年は照れ臭そうに手を振り返してくれます。

 少年の後ろには両親がいて、かわれていました。

 少年もまた約束を守ってくれたのです。

 少女はそれだけでも凄く嬉しくて。

 そんな微笑ましい光景に少女はクスッと笑います。

 そして、少女は幸せそうなお婆さんの顔を見て、嬉しくなりました。

 あたたかいストーブも、美味しい料理も、大きなクリスマスツリーもあります。

 一年前は、マッチを何度つけても消えてしまった夢の中だけの景色でした。


 でも、今は違います。


 少女が今見ている景色は消えたりしません。

 全てが本物で、マッチなんかでは消えない、掛け替えのない景色です。

 いいえ、あの時、夢に見た景色よりも暖かくて、立派な景色が少女の前に広がっていたのです。

 そこからはみんなが楽しく話して、笑い合う幸せな時間が流れました。

 少女とお婆さんは沢山お喋りしました。暖かい部屋でおいしい料理を食べながら、みんなが帰ってしまうまで、ずっと話していました。

 でも、楽しい時間ほど、時間が経つのは早くて。

 夜も遅くなって、食堂が静かになった後、少女とお婆さんは窓の外を眺めていました。


 その時です。「あぁ、流れ星」と少女は一筋の流星を見つけました。


「きっと、誰かが死んでしまうのね」


 お婆さんがそう言って、少女は「……うん」と俯きます。


「お婆ちゃんも言ってました。人が死ぬと流れ星が落ちて命が神様のところに行くって」


 少女は自然と悲しそうな声音になってしまいました。

 お婆さんはそんな少女を見て、優しく頭を撫でてくれます。

 でも、少女は俯いていた顔を上げて、お婆さんを真っ直ぐ見ました。


「あ、あの……私ね。。でも、今はそんな夢も見ないんだ」


 お客さんに対する口調ではなく、少女の本心をゆっくりと話し始めます。


「今までの不幸を全てなかったことにするくらい、恵まれたんだ。美味しいご飯が出て来て、温かい布団で眠れて、優しいお客さんと叔父さん、叔母さんたちもいてくれるの」


 一生懸命、言葉を紡ぐ少女にお婆さんは静かに耳を傾けます。


「でもね。時々思うの。あの夢は本当なんじゃないかって。ふっとした瞬間にまた不幸がやってくる気がして……。だから、この幸せは当たり前じゃないんだと思うの」


 少女は声を震わせて、胸をギュッと握り締めます。


「あの時死ななかったから、あの時、死のうとしなかったから……今があるんだよ」


 でも、少女は泣くことはありませんでした。

 しっかりと前を向いて、夜空を見上げます。


「だから、その、えっと。い、良いことばっかりじゃないけど、マッチの火くらい小さな幸せがあると私は思って、今日を迎えられたことに感謝するんだ」


「あなたは……強い子だね」


 お婆さんが優しく抱き締めてくれて、少女は安堵してしまいます。

 でも、伝えたいことが伝わっていない気がして、少女はお婆さんを見上げました。


「だから、その……今のはきっとお婆さんのじゃないよ」


 少女がそう言って、お婆さんは口を開けて驚いてしまいます。

 少女はギュッ〜とお婆さんを抱き締めて。

 抱き締めた後、冷たい風が吹き込む窓を閉めるとストーブへと向かいました。


「私ね、マッチを使って、あたためられるんだよ」


「あら、マッチじゃ燃えかすしか残らないわ」


 消えかけていたストーブに薪を入れて、ポケットからマッチを取り出します。


「一つ一つは小さくても、束にして合わせたら、」


 少女は小さな手に収まるだけのマッチに火を付けて、


「――きっとあたためられるくらい大きな火になるんだよ」


 箱の中のマッチが無くなるまで、ストーブへと入れました。

 マッチの光は真昼の太陽よりも明るくなり、赤々と勢い良く燃え上がります。


「だって、今日、お婆さんを笑顔に出来たのもね。私一人じゃ出来なかったんだよ」


 貧しい子は沢山いて、きっと知らない間に沢山流れ星が流れているのだと思います。

 でも、きっといつか、貧しい子がいても手を差し伸べる人がいて、みんなで温かい部屋でご飯を食べられる日が来ると少女は信じていました。

 だって、少女はもう誰にも寒い思いをして欲しくないと思っていたからです。


「だからね。消えるなんて思わないで。そ、その……一緒にあたたまろ?」


 最後は生きて、幸せな光景を見たいとみんな思っていると。

 誰も寒い思いをしないで、悲しい涙を流したくないと思っていると。

 少女は心の底から信じていました。

 少女はそう言って、お婆さんの手を引っ張ります。

 お婆さんは少女を見て、ゆっくりと立ち上がって杖を持ちました。

 少女がストーブの方へと向き直ります。少女の小さな背中を見ながら、


「この国の未来は明るいわね」


 お婆さんは呟いていました。少女は「――っえ?」と呟きます。

 お婆さんがゆっくりとストーブの前まで来て、


「あなたのような子がこれから沢山生まれて、今は貧困が多いこの国も、いつか幸福な国・・・・になって行くんだわ」


 幸せそうに少女と一緒に温まるのでした。

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