第五話 雨と秋の日
それは羊雲が空を覆い、木々が紅葉に染まる初秋の日のことでした。
昔は布団もなく、風が吹き込む部屋で一枚の布に包まって寝ていました。
でも、今は風が吹き混んでこない部屋と温かい布団があります。
少女は昨日の疲れを感じさせない表情で起き上がって、今日も仕事をします。
「うわ。真っ黒……大変だ〜」
今は大きな鉄のストーブの掃除をしていました。ストーブの煙突は真っ黒で少女は顔と手、そして、綺麗な冬用の仕事服を真っ黒に染めながら掃除をします。
叔母さんは、掃除をしないと変な匂いが漂うと言っていました。
掃除が行き届いていないと煙突が黒くなってしまうとも言っていました。
何より、お客様も使う二階のダイニングの見栄えが悪くなってしまいます。
少女はどんなに顔を黒く染めても、一生懸命ストーブを綺麗にしたいと思っていました。
きっと、それがお客さんの笑顔に繋がると思っていたからです。
早朝から始めた掃除は結局、午後まで掛って、
「綺麗になったんじゃないかい」
少女は叔母さんに褒められていました。
滅多に褒めない叔母さんに褒められて少女はとても嬉しい気持ちになりました。
少女は良い気分で煙突もストーブの中も磨いて、傍に新しい薪を置きます。
「これで冬になっても大丈夫だよね」
袖で汗に濡れた額を少女は拭きました。
あとは冬直前に軽く掃除をすれば、直ぐに使うことができます。
少女は汚れた水が入った容器を持って外に出ました。
すると、昨日まで降った雨で濡れた石畳の裏路地に、一人の少年が蹲っているのを見つけました。この王国ではよく見る光景で、少女にとっては身近な存在でした。
荒い息遣いが聞こえて。
でも、少女は首を傾げます。
座っているにしては息遣いが荒いと思ったからです。
でも、少女は叔母さんと叔父さんに容易に関わってはいけないと言われていました。
自分の生活に余裕のある人で、一度施しを与えたら最後まで面倒を見切れる人でないと無責任だと言われたからです。
少女は、弱い自分に悔いるように俯いて通り過ぎます。
そして、少女はこの辺では見ない顔だと思いながら汚い水を流しました。
再び、戻ってくると空耳ではなく、少年の呼吸が乱れているのに少女は気が付きます。
「あの、大丈夫ですか?」
「サムいんだ?」
「っえ? 寒い、ですか?」
少女は不思議に思いました。
秋になったとは言え、冬のように寒いわけでもなく、涼しい風が吹いているだけだったからです。
「スゴく、サムいんだ」
少女は少年が無抵抗なのを確認して、額を触りました。
そこで、少女は驚いてしまいます。
手が火傷してしまいそうなほど、少年の身体が熱くなっていたのです。
少女は慌てて、気を失ってしまった少年を起こそうとしました。
貧困の人に容易に施しをしてはいけなくても病人の看病をするのは問題ないはずです。
きっと叔母さんも許してくれるはずで、何より少女が少年を見捨てられなかったのです。
でも、結局、少女には少年の身体は重たくて。
少女は肩を貸して、少年の足を引き摺って石畳の道を進みます。
非常に高温な少年を担いで、少女は宿に戻るのでした。
◇ ◇ ◇
少年が目を覚ますと瞼の隙間から炎の揺らめきが見えました。
ストーブの前にいた少女が薪を火の中に入れて、火を起こすのに使ったマッチをポケットに戻します。少年の額に置かれていた冷たい布を一度見て、少女を眺めました。
すると、少女は少年が起きていることに気が付いて、額に手を乗せます。
「さっきより熱は下がった、かな。ごめんなさい。お金ないと部屋には入れられなくて」
少女がそう言って、少年は初めてここがダイニングであることに気が付きました。
「助けられた、みたいだね。ありがとう」
「いえ。たまたまですから。それで、どうして倒れていたんですか?」
「……僕は家で育てた鳥を売りにきたんだ。街まで着いたのは良かった。でも、雨が降ってきて、雨宿りをしようとしたら……鳥がいなくなってたんだ」
少年に毛布をかけ直しながら、少女は疑問に思います。
「どうして、雨が降ると鳥が逃げるんですか?」
「雨で足音が聞こえなくて、雨宿りの場所を探してる内に荷台ごと盗まれちゃって」
街中で人も多くて。知らない土地でキョロキョロと周囲を見渡して。
引いていた荷台のことなんて、少年は意識していなかったのです。
「……それは、残念でしたね」
少女は優しく微笑んで、
「あの、寒くはありませんか?」
話を逸らすように話題を変えました。
「少しだけ」
「なら、もう少し火を強めますね」
綺麗な黄金色の髪が黒くなっても、少女は薪を投げていました。
少女は残り少ない薪を全て入れて、少年は外を眺めます。
夏も終わり、日も短くなっています。
そのため、早い時刻から茜色の空へと変わっていました。
そこで外が晴天である事に気が付いて。
少女が最初、道端であった時は冬用の仕事服をきていたのに、今は夏用の薄手の服を着ていることに少年は気が付きました。
「どうして、半袖?」
「っえ? えっと……掃除で服が汚れちゃって」
少女の話を聞いて、少年はまた言葉を濁されたことに気が付きました。
「ごめん。迷惑かけちゃって」
少年はやっと頭が働いてきて、少女に申し訳なく思ってしまいます。
ストーブを付けるには暑い気温なのに。
ストーブが綺麗だから掃除をしたばかりだろうに。
なんなら、少年はお金も持っていないのに少女は助けてくれたのです。
「掃除したばかりだったのに……ごめん」
「ふぇ? 大丈夫ですよ。今日は宿に泊まるお客さんはいませんから」
「でも、こんな時期にストーブ付けたら、また冬前に掃除をしないといけないよね?」
ストーブの手入れが大変な事は、少年が住む牧場でも嫌というほど痛感していました。
だからこそ、申し訳なくて。
少年は俯いて、少女はキョトンと首を傾げました。
「また、寒なってきたらお客さんのために掃除するので大丈夫です」
少女は何事もなかったように、エプロンに付いた汚れをパンパンと叩きます。
少年が口を挟もうとします。
でも、言葉を口にする前に、少女は少年の頭を優しく撫でて、
「それに、掃除しといて良かった。これであなたを……あたためてあげられる」
本当に嬉しそうに微笑むのです。
少女の表情を見て、少年は何も言い返すことができませんでした。
同い年くらいの少女なのに、今は少年よりも年上に思えたのです。
「もう少し寝てて大丈夫ですよ」
どうしたら、こんなに大人びた性格になるのだろうと、少年は疑問に思いました。
でも、それ以上のことを考える力は残っていませんでした。
少女がそう言うと、少年は自然と睡魔に襲われます。
温かい部屋で、
「おやすみなさい」
子守唄のような、優しい少女の声が響くのでした。
◇ ◇ ◇
翌朝。秋晴れの空の下、少年と少女は宿の外にいました。
少女はお金の入った小さな袋を渡して、少年は遣る瀬無い表情を浮かべます。
「ありがとう。帰るお金まで貸してくれて」
「い、いえ。少しだけですから。今度、私に美味しい鳥さん売りに来てくださいね」
「いや、その時はとっておきのをあげるよ。今回のお礼に」
少年は頭を下げて大通りを歩いていきます。
少女は少年の背中が見えなくなるまで、その場でずっとお見送りを続けました。
昨日は本当に辛そうな顔をしていた少年が、今日は元気に道を進んでいきます。
その元気な背中を見られただけで、少女は嬉しくなりました。
なぜなら、少女と同じような、悲しい思いをしなくて済んだからです。
少女は朗らかに笑って宿の扉に手を掛けました。
肌寒い秋風が吹いて、少女の金色の髪を揺らします。
でも、その冷たい風を少女は寒いと思うことはありませんでした。
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