第四話 嵐と夏の日
それは心地良い涼しい風が吹く、ある冷夏の日のことでした。
仕事服も冬服から水色のワンピースとエプロンの夏服に変わりました。
日は四時半には昇って、二十二時前まで沈むことはない、一年で一番長い日です。
でも、仕事時間が伸びても仕事量が増える訳ではないので、決して大変ではありませんでした。
なんなら、一年で一番過ごしやすい季節なので、働きやすいほどです。
日差しが気持ちいい朝に、少女は慣れた手付きで部屋の掃除をしていきます。
「お前さん、漁師たちが今日は天気が荒れるって言ってるの聞いたかい?」
「っえ? 天気が荒れる?」
「なんでも波が高いらしいよ。一応、外には干さないでおくれ」
叔母さんが別の部屋の掃除をしに行って、少女は窓から外を眺めました。
とても透き通った青空が広がっているのに、天気が荒れるらしいです。
確かに風は強いですが、天気が荒れるほどなのか、少女は疑問でした。
でも、漁師と猟師の感は当たることが多いのも本当です。
少女は洗濯物を室内で干すために階段を下っていくのでした。
その日、昼過ぎには空は真っ暗になって、嵐が街にやってきていました。
食堂にもお客さんはいなくて、少女は読み書きの練習を宿の受付でしていました。
少女は嵐に良い思い出がありませんでした。
ただ家の隅で雨風を凌いで、寒さに震えながら静かに耐える時間だったのです。
何も変わらない自分の弱さを痛感してしまう、少女に取っては辛い時間でした。
すると、宿の入り口にびしょ濡れになった親子がやってきたのです。
「すまない。部屋は空いているだろうか?」
「は、はい。空いていますよ」
「なら、三人分泊まれる部屋は?」
「え、え〜と、今日は全て空いているので二人分の部屋を二つ使いますか?」
少女はそう言って、タオルを三つ持って戻ってきます。両親と娘さんにそれぞれ渡しました。
少女と同じ歳くらいの娘さんは「ありがとう」と優しく微笑んでくれます。
「きょ、今日はどうなされたのですか? こんな嵐の中」
少女は叔母さんに言われていた、会話を振る練習のためにも、家族に質問しました。
「いや、午後に隣街までの船に乗ろうと思っていたんだが、船が欠航してしまってね」
「そ、そうだったのですか」
少女は尋ねて、船に乗れるほどのお金がある家族であることを知ります。
服も上質な素材を使っているのか、水をしっかりと弾いていました。
お客さんの服を干して、替えの服を貸してあげます。
両親は驚いたように少女を見て、御礼を述べてきて、娘さんも無言で見てきますが、何も発しませんでした。
急いで部屋の準備をして、前金を頂いて家族を案内します。
「あなたは随分と……慣れているのね」
「い、いえ、まだ、叔母さんに教わってばかりです」
少女はおずおずと言葉を紡ぐと、両親は二人揃って首を左右に振りました。
「いや、娘とそう年も変わらないだろうに。しっかりしている」
「あ、ありがとうございます」
少女にとってその言葉は褒め言葉なのかどうか分かりませんでした。
年相応にならなかったのは、貧しい環境の中、一人で生きていかなければいけなかったからです。少女にとっての普通は、きっと他の裕福な子たちとは違うのでしょう。
でも、少女がチラリっと様子を伺うと両親共に感心した表情をしていました。
本当に褒められているのだと知って、少女は少し嬉しくなりました。
「そりゃーそうだよ。うちの看板娘だからね」
大きな声が廊下の先からして少女は顔を上げます。
「あら、あなたの宿だったの、じゃじゃ馬娘さん」
「そんなあだ名で呼ぶんじゃないよ。久しぶりだね、ランタン娘」
どうやら叔母さんと知り合いだったようで、廊下を歩きながら二人は会話を弾ませていました。残された夫の方は二人の後ろをついていきます。
その後ろを少女と娘さんが静かに歩いていました。
そこで少女はふっと気付きました。
娘さんがどこか、悲しげな顔をしていることを。
「ど、どう、したの?」
「っえ? なにかしら?」
「どうして、悲しそうなの?」
娘さんは俯きながら、ボソリっと囁きました。
「そうね……今日は、とても大切な日だったからよ」
その言葉の意味を少女はよく分かりませんでした。
少女は二階のダイニングを片付けながら、叔母さんに聞きました。
「叔母さんの知り合いだったの?」
「そうだね、昔、一緒にヤンチャした仲だよ」
「今日、船に乗ろうとしてたみたいだけど……」
「あぁー、隣町の親族の家に行く予定だったみたいだね」
「昔からなの?」
「いや、娘が生まれてからだね。なんだい、あの家族が気になるのかい?」
少女はコクリっと頷いて、娘さんが悲しそうだったことを話しました。
すると、叔母さんは「あぁ、そういうことかい」と言って、理由を教えてくれました。
少女にとっては覚えていなくて、一度も訪れたことがない日です。
でも、娘さんにとっては毎年一回ある大切な日でした。
きっとどこの国でも大切な日で、少女が検討も付かなかった一日だったと思います。
だから、娘さんは悲しんでいるように見えて、寂しそうにも見えたのです。
「お、叔母さん!」
「うん? どうしたんだい、そんなに大きな声出して」
「ご、ごめんなさい。あ、あのね……」
少女は思い付いたことを話すと叔母さんは目を丸くして、少女を見てきました。
怒られると思って、少女は目を閉じました。
でも、何も言われずに無言の時間が続いたので、片目を開けて、様子を伺います。
すると、少女はワシワシっと乱暴に頭を撫でられました。
「お前さんは、お客さんも家族だと思えるところがいいところだね」
少女は言われている意味が分からず、首を傾げてしまいます。
「本当に優しくて、良い子だよ」
白いテーブルクロスをテーブルに敷いて、叔母さんは手招きしてきます。
「今日は暇だから、私があれを教えてあげるよ」
少女はパッと笑顔を浮かべて、叔母さんもニィっと口元を綻ばせました。
意見が通ったことも、新しいことを教えてもらうことも、少女にとっては嬉しくて。
とても心が満たされていくのを、少女は感じていました。
少女はパッと顔を輝かせて、小走りに叔母さんの背中を追うのでした。
家族が二階のダイニングで食事を取り終えた頃のことです。
突然、部屋の明かりが全て消えてしまいました。
家族が驚く中で、少女は「シュッ」とマッチを擦ってロウソクに火を点けます。
そして、
「|Idag er det Ena fødselsdag《今日は彼女の誕生日》♪」
チョコレートケーキを持って家族のいるテーブルへと歩き出しました。
「
この王国の伝統的なバースデーソングを歌いながら。
娘さんの後ろに国旗を掲げて。
少女がチョコレートケーキを娘さんの前に置いて歌います。
「|og dejlig chokolade med kager《そして、美味しいココアとケーキもつけて》♪」
さっきまで寂しそうだった娘さんが驚いて。――――でも嬉しそうに笑いました。
「|Til slut vi råber højt i kor《さいごに声を合わせてみんなで歌いましょう》♪」
叔父さんと叔母さんが。そして、娘さんの両親も。
「
少女の声に合わせて、優しく慈しむように歌います。
「|og dejlig chokolade med kager《そして、美味しいココアとケーキも貰えますように〜》♫」
少女は歌い終えると「お、お誕生日おめでとうございます」と言って、叔母さんに持ってもらっていたプレゼントを渡しました。
一度も歌ったことがなかった歌。
でも、街を歩いていれば窓から聞こえてきた歌。
凄く陽気で、この国の人は貧しくても知っている誕生日の歌。
少女は、ヘタクソではなかっただろうかと不安な気持ちになってしまいます。
そして、初めて送るプレゼントが喜ばれるか心配で仕方ありませんでした。
「そ、その、誕生日の日に国旗を外に飾るのは知ってるんですけど、こんな嵐だから飾れなくて。あ、あと小さなケーキしか作れなくて、」
「――ふふ、大丈夫よ。ねー開けていい?」
娘さんが袋の中を開けるとそこにはワンピースと手紙が入っていました。
嵐の中、材料を買いに行く途中で、無理を行って売ってもらった服でした。
娘さんに会って、白色のワンピースが似合うと思って、少女は買ってきていたのです。
娘さんは目を輝かせて、中に入った手紙を読もうとします。
「あ、あの、まだ読み書きは練習中でできれば、その……」
「そうなの? なら、あとで読むわ」
その言葉を聞いて少女は安心して、ケーキを切り分けていきます。
すると、娘さんは少女を見ながら、
「ありがとね。とても素敵な誕生日になったわ」
凄く可愛い笑顔を浮かべました。
それが嬉しくて。少女は一番大きなケーキを娘さんに取り分けます。
叔母さんに教わりながらで不安もあったけれど、喜んで貰えて一安心です。
そこで、「あ。あ、あと」と少女は席を離れる前に口籠もりながら言います。
「は、はじめて作ったので、美味しいかどうか……」
娘さんの両親は苦笑して、叔母さんと叔父さんは呆れていました。
そんな様子を見ていた娘さんは無言で少女を見返して、パクリっと一口食べます。
「うん。とっても美味しいわ♫」
その言葉に少女は安心して、肩から力が抜けました。
すると、娘さんがケーキを差し出してきて、少女はビックリしてしまいます。
「一緒に食べましょ。みんなで食べたほうが美味しいわ」
娘さんは花が咲いたように笑って、少女は微笑んで。
迷った末に、パクリっと一口頂くのでした。
次の日。少女は娘さんのお見送りをしていました。
嵐は去って、綺麗な青空が広がっています。
「あなたの字、間違いだらけであまり読めなかったわ」
「ふぇ? ご、ごめんなさい。書くのはまだ苦手で」
「まだ勉強し始めたばかりなの?」
少女は「は、はい」と頷きます。
娘さんは昨日貰ったワンピースを着て、船がある港の方に歩き出しました。
でも、娘さんは両親の後を追う途中で立ち止まります。
「この街の南にあるお店――【森のランタン】が私の家よ」
「っえ? は、はい」
「今度は、読み書きを教えてあげるわ」
少女は「は、はい!」と言い、パッと笑顔を浮かべて、娘さんも嬉しそうに笑いました。
「また会いましょう。近いうちに」
そう言って娘さんは歩いて行きます。
そして、言い忘れていたように振り返って、
「また、来年の誕生日も一緒にケーキを食べましょ!」
娘さんは少女に手を振りました。
少女はそれに全力で手を振り返して、娘さんに苦笑されてしまいます。
少女にとって、初めて友達ができた瞬間でした。
滅多にない嵐は、少女にとって大切な出会いを運んできてくれたのです。
掛け替えのない、大切な友達が出来た日は、――――嵐の後の雲一つない快晴でした。
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