第一話 マッチ売りの少女の物語は続きます
「――うぐぅ」
少女の身体に衝撃が襲って、そのはずみに変な声が喉から出てしまいました。
朝日が頰に当たって、少女を照らしています。
日差しは暖かくて、透き通った冷たい朝の新鮮な空気が肺を満たしました。
どうやら少女はベッドから落ちてしまったようです。
「凄い物音がしたけど、大丈夫かい?」
少女が天井を眺めていると美しい女性が近付いてきました。
美しいけれど、どこか子供っぽくて、やんちゃな雰囲気のある不思議な女性でした。
「……ごめ、な、い」
喉を長いこと使っていたせいか、声は枯れていて。少女の言葉は掠れてしまいます。
けれど、叔母さんはそんな少女の声をしっかりと聞き取ってくれました。
「謝ることじゃないさ。壁に寄り掛かって、微笑んで動かなくなってたお前さんを旦那が勝手に連れてきたんだからね。まったく、新年から悪い夢でも見てるのかと思ったよ」
「ご、ごめんなさい」
少女が俯きながら言うと叔母さんは首を傾げてしまいます。
少女はどうして叔母さんが首を傾げるのか分かりませんでした。
見知らぬ子供を助けるなんて、普通はしないのです。
つまり、何かに利用できるから。何か、叔母さんに得があるから連れてきたに違いないのです。
今の自分は救われた身。しかし、見返りのお金は一銭も持ってはいません。
渡せるお金もないのですから謝るのは当然だと少女は思っていたのです。
どうして少女を助けてくれたのか。
そして、少女になんの見返りを求めて、ここに連れてきたのか。
少女には本当に分からなかったのです。
「どうして、たすけてくれたんですか?」
「それは……」
少女は怯えながら叔母さんの言葉を待ちました。
「神様から助けなさいって言われた気がしたからだね」
少女はよく意味が分からず、首を傾げます。
すると、叔母さんは話題を変えるように「帰るところはあるのかい?」と聞いてきました。
「は、はい。でも……かえれません」
「どうしてだい?」
「っえ。えっと、マッチがうれてないからです」
「マッチ? そんなの誰が買うんだい? 空っぽじゃないか?」
叔母さんにそう言われて少女は驚いてしまいます。
机の上に置かれていたエプロンの中も箱の中も、空っぽになっていたのです。
そして、叔母さんが「燃えかすの束なら捨てちゃったよ」と言ってきました。
「ど、どうしよう」
「……お前さん、家に誰かいるのかい?」
「お、お父さんが、います」
「そいつはお前さんが帰ってこないのに、街を探していないみたいだけど?」
少女は叔母さんの言葉にドキっとしました。
この辺では大きな街でも、探そうと思えば半日も掛らないこじんまりした広さなのです。大きな声を出して走り回れば、街にさえいれば声はどこでも届きます。
「で、でも、おかねをもってかえらないと、ほっぺをぶたれて、」
「――はぁあ⁉︎」
少女は叔母さんの大きな声に肩が跳ねて、心臓の音が早まるほど驚いてしまいました。
「ご、ごめんなさい」
「案内しな。新年から罰当たりなことしてるなんて、神様に顔向けできない奴だね」
叔母さんがそう言うと替えの服を投げてきて、少女は服を受け取ります。
目で「早くしろ」と言われた気がして、少女は慌てて服に腕を通しました。
ロングスカートに純白のエプロンと青色の羽織物は綺麗でした。
穴が空いている訳でも、色が落ちてしまっていることもありません。
鏡に映る自分の姿が信じられなくて、少女は立ち尽くしてしまいました。
すると、「これを被りな」と叔母さんに言われて、白い花の刺繍模様が入った青色の帽子を頭に乗せてくれます。耳まで温かい、綺麗な帽子でした。
叔母さんが部屋を出ていってしまうので、少女は急いで後を追います。
外に出て、叔母さんは「家はどこだい?」と聞いてくるので「ひがしのまちはずれのこやです」と言うと、速い足取りで向かってしまいました。
家とは言えない場所が見えてきます。
大きなひび割れを藁とボロ切れで塞いで、風音を立てて吹き込む天井から太陽の光が差し込んでいました。
家に近付くに連れて、少女は怖いと強く思うようになっていました。
頰をぶたれるのは痛いからです。
涙が出てしまうほど、凄く痛いのです。
「ここで待ってな」
少女は叔母さんを止めようとしました。
お父さんは怖い人なのです。叔母さんが危ないと少女は思いました。
でも、叔母さんは少女が止める前に家の扉を蹴り飛ばしました。
そこからは声だけが少女に聞こえてきます。
『テメェ、新年から自分だけ酒飲んで娘は使い捨てかい!』
『だ、だれだ!』
『そんなのどうでも良いんだよ。テメぇの娘なら街中で凍え死んだよ。ほれ、遺品だ』
そう言って、少女が着ていたボロボロの服をお父さんに投げました。
『それだけのために扉蹴り破ったのかクソ女がぁ! ――ッチ。まぁいい。それより、あのガキ……。もう少しで売ろうと思ってたのに使えねーな』
お父さんの言葉に少女は身体が震えてしまいます。怒られていると思ったからです。
でも、次の瞬間には、
『黙りな!』
叔母さんがお父さんを殴り飛ばす音が聞こえてきました。
家具が落ちる音がして。少女の震えは止まっていました。
『貧しい奴が生きていけない社会で、貧しい奴らで協力しないでアンタだけが楽しようなんて馬鹿かい。だから、唯一の稼ぎ口だった娘を失うんだよ!』
『なんだと、このクソ女がッ』
『悔しかったら、酒に酔ってないで貧しい生活から抜け出してみな!』
壊れた扉を蹴飛ばして叔母さんが出てきて、お父さんが震えた足で外に出てきます。
酒に酔っているせいなのか、足は覚束なく、その場で倒れてしまいました。
お父さんと目が合って、少女の身体が固まります。
「お前さんを助けたのは私だ。私のところで働いてもらうよ」
少女は最初、言われている意味が分かりませんでした。
「お前さんは昨日死んだ。そして、今日、お前さんは私の
少しずつ理解して、少女は叔母さんが怖いと思いました。
少女が怖がっていたお父さんを、細い身体からは想像もできないほどの迫力で黙らせてしまったからです。
――さからっちゃ、ダメだ。
少女は豪快な叔母さんを見ながら、そう思いました。
叔母さんは少女の顔を見て、顔を綻ばせます。
「飯もベッドも用意してやる。その代わり、私たち夫婦が営む宿で働いてもらうよ」
「は、はい」
「声が小さいよ!」
懸命に少女が「は、はいッ!」と大きな声を出します。
叔母さんは少女の頭を乱暴に撫でてから、後ろにいるお父さんの方に視線を送りました。
「最後に、挨拶しておきな」
少女はそう言われて、困ってしまいます。
もう何年も会話をしていません。
いつも怒られるか、お金をむしり取られるかで、会話と呼べるものはしていなかったのです。
そのせいか、お父さんから離れることに抵抗はなくて、でも、罪悪感はあって。
だから、少女は口にはせず、
――ごめんなさい。さようなら、お父さん。
静かにお辞儀しました。
「マッチ一つ売れなかったお前さんが、どうやってお客を喜ばせるか。考えるんだよ」
歩き出していた叔母さんに少女はコクリと頷きます。
「聞こえないよ! 声を出しな!」
「ご、ごめんなちゃい!」
もう何年もまともに会話をしていなかったせいか、舌が回りません。
少女が噛んで頰を赤くして、叔母さんは盛大に笑い声を上げました。
結局、貧しい子が街に沢山いる中で、どうして叔母さんが少女を助けてくれたのかは、分からないままでした。
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