第18話 フェリタミナル市にたどりつく

 まぶしい光がフラッシュして、おれの体は巨大化した。なにかのヒーローを連想するシチュエーションであったが、ともかくも、それで危機を脱することができた。でもおれにこんな魔法力はないはずだ。魔法の修行すらしていないのに。


(それとも、おれはそんなにも心が醜いのか?)


 自分ではそれがわかっていない、とか。いやいや、そこまでひどくはなかろう。


 カッパの精が言っていた、「世界の創造主の気分で、他者を駒のように見る」というのは当たっているが、その一点だけで釘バットの魔法が完全に発動するのではなかろう。いったいどれだけの魔法が使えるのやら──。


 おれは釘バットがわからなくなる。


 こんなものをおれが持っていていいのか……。薄気味悪い恐怖がじんわりと迫ってくる。といって手放してしまうのも惜しい。この釘バットが、おれがこの世界で成功するかどうかの鍵になっているのだから──。




 すっかり霧も晴れ、馬車も軽やかに走る。サイクロプスとの闘いで時間をロスしてしまったが、それでもこの調子であれば夕方には次の町、フェリタミナル市に着けるだろう。


 圭藤星春の刺客はもう襲ってこないだろう。もちろん油断はできないが、そう矢継ぎ早に手を打ってくるほど手下の頭数が豊富だとは思えない。サイクロプスの失敗を受けて、次の手を考え準備する時間も必要なはずだ。


 途中、馬を休憩させながら、街道を北上していった。これまで西へと向かっていた街道は、ユニバーサル市を出てしばらく行くと北に転ずる。東には、南北に連なる西クジョー山脈がはるかに見て取れた。山脈は北へ行くほど険しくなり、標高は4000メートルを超えて、もはや山越えは不可能となる。だからこそコスモ・スクエア国とニュート・ラム連邦の国境となっていた。コスモ・スクエア国が連邦に加入せず独立を保っていられるのも、この西クジョー山脈があるからだといえる。


 リズミカルなひづめの音が鳴るのどかな街道の旅。その間、居眠りをしたり、アルテミス王女さまたちの話し相手をしたりした。


 宮廷のことは詳しくとも世間知らずの王女さまは、市井の人々の暮らしを興味深げに聴いていた。おれは宮廷の設定もしていたから、王女さまたちからの話はそれを思い出させた。家族は、ともに50代の王と女王、それに19歳と17歳の二人の王子がいて、ゆくゆくは長兄がコスモ・スクエア国を継ぐ。


 王都ポウトタウンのほぼ中央にそびえる城と王宮は豪華絢爛で、コスモ・スクエア国の豊かさを象徴していた。そこでの生活は、何不自由なかった。アルテミス王女は、将来は隣国のニュート・ラム連邦を構成するどこかの国に嫁ぐための英才教育を受けている最中であった。下世話に言えば「お妃としての商品価値」を高めるため、それはそれは厳しい教育の下、優雅な所作を身に着けてきた。本人も生まれてからそうなる将来だと決められていて、疑いもせず健気に聞き分けよくすごしてきた。


 その育ちの良さが会話にも表れていた。だがおれには、小さくなったアルテミス王女さまはコスプレフィギュアのように見え、会話をしているとめまいがしそうである。ああ、ポージングさせてみたい。あんなポーズやこんなポーズを……。


「みゃーん、なんか気持ち悪い~……」

 そんなおれを見て、ミニィは本能的に嫌悪感を感じ取っているようだった。


「変態だからな」


「アマゾネスにだけは言われたくねーよ」


「変態って、なんですの?」

 セーラー服王女さまが訊く。純粋な好奇心で。


「王女さまには今夜あたしが詳しくレクチャーしてさしあげますわ」


「やめろ、アマゾネス。王女さまがSMに目覚めるようなことがあったら、おれたち、ただではすまないぞ」


「冗談はそのぐらいにしなよ」

 ポウズがさりげなく割り込んできた。


「王女さまに大人の世界を見せてあげようっていうだけさね。初心者だから、まずは基本から。興奮するわよ」


「それより、もっと自分を魅力的に見せる化粧を覚えるのがいいですよ。ボクが最先端のメイクを伝授してさしあげます」


「いや、それも覚えないほうがいいんじゃないか……」


 ポウズの言う化粧がやや自己流に偏っているのを、おれは知っている。


「あれもだめ、これもだめ、って、みゃーんは全寮制神学校の風紀係みたいにつまんない人ね。変態のくせに」


「変態は余計だ、ミニィ」


「わたくし、まだまだ勉強が必要のようですわね」

 体操服(半袖)王女さまが神妙な面持ちで言うと、その横でうなずくキャビンアテンダント王女さま。


(いいのかなぁ……こんなやつらの怪しげな知識に触れさせてしまって……)


 おれが現実世界にいたときに書いた小説では、アルテミス王女は清楚を絵に描いたような神聖視されるべき象徴として登場し、主人公の圭藤星春といい仲になっていくのだ。ヒロインとして申し分のない外見と性格を兼ね備えた、まさに完全無欠の存在なのである。正直、あまり汚してほしくない気持ちがある。


 そんな王女さまが、小説とは違い、1年ほど前のある日、圭藤の手の魔物によって誘拐された。その目的はわからず、国王は国じゅうにお触れを出してアルテミス王女の行方をさがし続けたが見つからなかった……。


 王女は、圭藤星春についてはぜんぜん知らないという。


(いったいどこでこんなことになってしまったんだろうか……)


 おれは、自分の脳内で創り出した架空の世界にまだ違和感をぬぐえないでいた。



   ☆



 夕方、まだ日が沈む前にフェリタミナル市に入れた。この町も大きいが、ユニバーサル市ほどではない。


 コスモ・スクエア国において、ユニバーサル市と王都ポウトタウンは別格である。例えるなら、ユニバーサル市が天下の台所大坂なら、ポウトタウンは将軍様の大江戸で、その他は地方都市といった感じである。


 宿を見つけ、馬車を預けると、


「よぉし、今夜は飲むぞう!」

 ヘラクレスが、枷でも外されたように声をあげた。おれと出会ってから数日間、どういう星のめぐりか、まともに酒を飲めなかった。シカを売ったカネもあり、気が大きくなるのも無理はない。しかも御者をやっているのだから、それぐらいの褒美があってもいい。


「みゃーん、今夜はおれに付き合え。おまえとはまだサシで杯を交わしてないしな」


(ヤクザじゃあるまいし、杯を交わすって……)


「じゃあ、ボクたちは姫さまの護衛をやっているよ。二人して楽しんでおいで」


「そうか、ポウズ、悪いな……」


「いいっていいって。気にしなさんな」


「あたしも護衛をするよ。こう何度も王女さまが狙われているとなりゃね……」

 アマゾネスの言うとおりなのだが、アルテミス王女になにを教えるつもりなのか不安がつきない。ミニィが止めてくれたらいいが、歯止めがきくかどうか。


 ヘラクレスはおれのそんな心配などおかまいなしだった。おれの首に腕を回し、夜まではまだ間があるというのに、気分はもう盛り上がっていた。


「おう、あとは頼んだ」

 と、宿の着く前に見つけた近くの盛り場へとおれを引きずっていく。


 ほぼ一番乗りでその酒場に入って、広いフロアの奥のカウンターに陣取ると、いきなり強い酒を注文した。


 カウンターの向こう側にいた禿げたマスターは、見慣れない客に胡散臭そうな目を向け、

「はいよ」

 正体不明の茶色い液体を注いだグラスをふたつ、年季の入った傷の目立つ木製カウンターに置いた。不愛想なマスターの態度に気分を害することもなく、というか、そういう些細なことには気づかないヘラクレスは、銅貨を置いてグラスを取り上げる。


「さぁ、おれたちの未来に乾杯だ」


 おれがグラスを手にとると、カチャンと合わせた。そして、給食の牛乳一気飲みのように豪快にあおる。


「ふうう……」


 アルコールが胃に沁みて、その刺激を味わうヘラクレス。久々の、しかもかなり度数の高い酒に、体が敏感に反応して上体がふらついた。


「だいじょうぶかい?」

 おれは声をかけた。

「ぶっ倒れたりしないよな?」


「なにを……。この程度で、ひっくり返るわけがなかろうが。──オヤジ、もう一杯くれ」


 マスターが応対している間に、おれも一口飲んでみる。しばらく酒など飲んでいない。最後に飲んだのはいつだったろう……。現実世界では、毎日くたくたになるまで働いて、酒を楽しむ余裕もなかった。休日でさえも小説を書くようになって、酒どころか眠る時間も少なくなった。もともと酒とは縁の薄い生活だったおれが、脳内で創り出した架空世界にある酒など、どれほどのものだろうとさほど警戒することもなかったが、


「うぬぅ!」


 強い酒というだけあって胃が熱くなる。それだけじゃなく気持ちが悪くなる。すきっ腹にこれは危険だ。


「つまみを頼もうぜ」

 たまらなくなって、そう言った。


「ん? こんなもの、ストレートで飲むのがいいんじゃねぇかよ」


「それじゃ胃が荒れる。──マスター、なにかつまみはないか?」


 小さな皿で出されたそれは何粒かの木の実だった。ナッツ系はこの世界でも定番のようだ。外見はピスタチオだ。


 それを噛み砕きながら酒を飲んだ。ウイスキーのようだった。おれに酒の知識があまりないので、異世界でもそれほど多くの種類の酒は存在しないようだ。日本酒やワインを頼めば出てくるかもしれないが、銘柄や産地はどうなっているだろう……。


 日も暮れて、酒場に客が入り始め、にぎやかになる。店内にしゃべり声が高まってきて、マスターも忙しい。


 ヘラクレスは、この旅でおれと出会う前のことを語ってくれた。それはおれの想像どおり、ミニィやポウズやアマゾネスとの出会いは、ほぼ小説のとおりだった。


 おれがうなずいていると、話を終えたヘラクレスは、ふと壁の張り紙に気づいて、席を離れる。


「んお? こいつは……!」

 酔った頭でも、そこに書いてあることが理解できたようだった。

「おい、これは面白そうじゃねぇか?」


(まて、それは……!)


 おれは予感した。そしてその予感は当たっていた。


「おい、みゃーん、隣のトレドセンタ市で闘技大会があるってよ!」


(あ……、やっぱり、そう来ましたか……)


 この後の展開に想像がついた。


「これはぜひ参加するしかないぜ」

 脳筋ヘラクレス・サイドチェストは鼻息を荒くした。

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