おれの脳内に存在する異世界を釘バットで征服します
江池勉
第1話 森から始まる、そこは小説の世界
そこは初めて目にする場所であって、同時におれのよく知っている場所でもあった──というのがわかったのは、頭上に輝く二つの大きな満月を見たときだった。
左右には森が茂り、道は目の前で二手に別れているのが、明るすぎる月明かりの下にはっきり見て取れた。青い月と白い月が天頂に。
(これは夢か……?)
そう思った。
二つの満月、というのは、おれが脳内で
「ということは、おれはこの世界の神だぁ!」
などと、握り拳を空につきあげ叫んでみるが、すこぶる虚しい。夢でどんなに思い通りになったとしても、なんの意味もないではないか。
だからこそ、おれは現実世界でがんばってきたのだ。
ブラック企業の激務の合間にコツコツと書き続けてきた小説が、徹夜の連続の末にようやく完成し、締め切り直前にWeb応募ボタンをクリックした。これが受賞すれば、これまでの努力が報われるというものだ。これまで光の当たらぬ人生をすごしてきたおれが一発逆転を果たすという未来が開ける。
(ま、あまりに熱中しすぎたためか、夢に見るほど小説世界に入ってしまうとは……)
この場所は、その小説の冒頭に登場する森だ。主人公は現代世界から転生して、この森から冒険の旅が始まるのだ。
(おや……?)
おれは夢のなかで小説の主人公を追体験している……のではなく、もしや、
(この小説の主人公のように転生してしまった?)
「んな、ばかなぁ……」
おれはトラックに轢かれてもいないし、暴漢に刺されてもいない。徹夜が続いて朦朧としていたかもしれないが、けして過労死などと……。
「いやいやいや!」
おれはすかさず全力で否定する。たとえ死んだとしても、なんで自分で書いた小説世界に転生してしまうんだ? しかもご丁寧にも冒頭からスタートだなんて。
おれは目前にある分かれ道に目を向ける。舗装もされていない土の道。幅はほんの二メートルほど。
小説では、主人公はここで左の道に進むのだ。森が開けていて、見通しがいい。ところがこれが大失敗。ドラゴンが現れてピンチに陥ってしまう。大怪我を負いながらもなんとか逃げ切るのだが……。
(いつか醒める夢なんかではなく、本当に小説世界に来てしまったのかどうか、いっちょ確かめてみるか)
おれは能天気にもそう思う。現実世界で死んだとは信じられなかった。
おれは右へと進んでみる。右になにがあるかは小説には書いていないし、そもそも考えてもいない。すぐに行き止まりになっているかもしれないが、ともかくおれは一歩を踏み出した。
小説に書かれていないことをすれば、世界はきっと破綻して夢から醒めるはずだろうと思って。
☆
右の道は行き止まりにはなっていなかった。森のなかの一本道は、どこまで続くやらわからず、おれは慎重に歩を進める。
数分ほど歩いていると、こちらの道も森が開けてきた。
さきほどより月の位置が低くなっているのがわかった。この世界の二つの月がどんな軌道で巡っているかなど、いちいち設定を創ってはいない。同じように森に生えている木々の一本一本まで、どんな様子か考えているわけもない。にもかかわらず、ちゃんと存在はしている。テレビゲームの背景のように、画面に映っている範囲だけが状況に応じて作られていくのかもしれない。
それはそうと、小説では、ドラゴンに襲われた主人公は命からがら近くの村にたどり着くのだった。
ただ、その村がどの方角にあるのかがわからない。小説では「走っていたらたどり着いた」とテキトーに書いてしまっていた。だから、突然、村が現れるんではと期待していた、のだが……。
現れたのは山賊だった。四人の男女が行く手をふさいでいた。
「おい、きさま、カネ目のものを置いていきな」
髭の生えた男が偉そうに命令してきた。
おれはあらためて自身の体を確認する。服装は一般的なモブキャラの町人風だった。武器はなにもない。本来の小説の主人公とほぼ変わらない。
ということで、戦う、という選択はない。といって、カネ目のものなどまったく持ち合わせてない。要するにこの場を無事に通り抜けられそうにないって状況だ。
(……こんな展開になるなんて)
だがそれでもおれはまだ楽観的だった。
なぜなら、その男女が誰だかわかったからだ。全員がおれの創り出した
おれはリーダーである体格のいい男に向かって言った。
「おまえはヘラクレス・サイドチェストだな」
名前を言われて、男の目が見開く。上半身の筋肉をこれ見よがしに見せられるよう、革のアーマーがプロテクターのように部分的に皮膚を覆っている。イメージどおりの外見だ。年齢は三十歳という設定だ。
おれはさらにたたみかけた。
「そして、おまえはポウズ・ミラーノマエ。それからおまえは、ミニィ・ポイズンケース、それからアマゾネス・アブノマルだな!」
四人全員の名前を言い当てた。
(ううむ……。改めて口に出して言うと、ネーミングセンスが恥ずかしいな……)
「て……てめぇ……、なんでおれたちのことを知っている」
ヘラクレスがおれの顔をまじまじと見ている。
「おまえ、ただ者じゃないな……」
「そうさ。おれはこの世界のことならなんでも知っているのだ」
(なにしろ、おれが書いた小説世界なのだ。知っていて当然だ。こいつらの人物像もある程度設定してある。そこを指摘すれば、おれを襲おうなどと畏れ多いと思ってくれるだろう)
「こいつ、あやしいやつぞ。警備隊のやつかもしれない」
そう言ったのは、ポウズ・ミラーノマエだ。長身で、見た目はすごい美形だ。それを本人も意識していて、自分こそ世界で一番の美男子であると自負している。二十四歳。
おれの美形のイメージを視覚化すると、こういうものなのかとひとりで納得してしまう。後ろに束ねた長髪が、月光を反射して銀色に輝く。
「こんな見るからに冴えない、石をなげれば当たりそうな、どこにでもいる感じの特徴のないモブ男が警備隊の人間なわけないじゃない!」
すかさず否定したのは、ミニィ・ポイズンケースだ。ロリキャラとして設定したこの少女は、こんな森のなかだというのにフランス人形のようなドレスを着こんでいて、つやつやしたツインテールが可愛いが、その愛らしい外見に似合わず、口がひどく汚い。十二歳。
「あら、ミニィ。意外とそう見せかけて、有能かもしれないわよ。ちんぽが元気そうだし」
で、最後にセリフが回ってきた女が、アマゾネス・アブノマル。長い金髪を後ろに流し、片手にムチを持って黒いボンデージのきわどい衣装を身につけている。三十一歳で、変態SM女王を意識して設定したのだが、なんでこんなやつを小説に登場させてしまったのかと、いまおれはちょっと後悔している。小説のなかで動かしている分には楽しいのだが、実際に目にすると、引いた。
「世界を知っている、と言ったな? なんでもわかるのか?」
リーダーのヘラクレスは脳筋だ。こいつをうまく丸め込むことができれば、こっちのものだ。
「ああ、そうだとも……。たとえば……そうだな、おまえはいま、水虫を患っている」
びしっ、とヘラクレスの足元を指さした。
「うっ、なんで知ってるんだ!」
「そういう設定にしてあるのだ!」
おれは胸を張った。どうだ、と言わんばかりのドヤ顔である。
「待て待て待て!」
驚くヘラクレスの横で、ポウズがつっこんだ。
「そんなこと当てたぐらいで偉そうにするんじゃない」
「そうよ。ヘラクレスの汗臭い顔を見れば、たいがいが水虫だってわかるんだから、当てたってちっともすごくないわよ」
ミニィも認めてくれない。っていうか、ひどい言われようだ。
「こんなやつの言うことなんか聞いてないで、さっさと身ぐるみはがしてしまいましょうよう」
アマゾネスはちょっと言うことが違った。身ぐるみはがしたあと、そのまま見逃してくれるのかといえば、そんな気がしない。きっと屈辱的なことをされると予想した。
このままではまずい。
おれは考え、勝利を引き寄せるがごとく言い放った。
「じゃあ、ポウズの持っている手鏡、それはポウズ自身しか映さない魔法の鏡だ。この世でいちばんいい男は誰だって、毎晩確かめずにはいられない」
「な、なんでそんなことを知ってるんだ!」
やはり、さすがに動揺するポウズ・ミラーノマエ。
「ミニィの大きなリュックのなかには、お気に入りのクマさんの毛布が入ってて、寝るときはいつもそれを体に巻きつけていないと安眠できない」
「な……!」
絶句するミニィ。
おれはさらに言った。
「アマゾネスは初恋の相手にストーカーをしていて、嫌がられた」
「なにを言っているのよ!」
ぎりっ、と手にもったムチがねじられた。月明かりでも顔が赤いのがわかった。
四人の、おそらく当人しか知らないようなことをおれが知っていて、この場の空気は微妙な感じである。
どれもこれも登場人物の
「さぁ、これでおれがすごいやつだ、というのがわかったろ」
おれの示した切り札に、四人の態度が硬直している。しかしそれでも、まだおれを尊敬するようではない。戸惑い、それとも畏れ──だろうか? ならば!
「まだおれが『この世界の創造主』だと認めないのか? ようし、だったら──」
「待て!」
ヘラクレスが両手のひらを前に突き出した。これ以上の恥さらしは勘弁してほしい、というアピールだろう。
「わかった、どうやらおまえには特別な能力があるようだ……」
一同、うなずく。とりあえずは、襲ってやろうという勢いをそぐことはできた。
「で、おまえは、なんて名前なんだ?」
「おれは……」
おれは、何者だろう?
いや、わかっている。問題はこの世界でのどう名乗るべきなのか、だ。
この小説世界の主人公の名前はもちろん知っている。
現実世界から転生した男、
しかしおれは主人公ではない。限りなく圭藤に近いポジションにいるが、架空の存在ではないのだ。
では本名を名乗るべきなのか、といえば、それは違うような気がした。ここはやはり、小説を書いたときに決めたペンネームを用いるべきだろう。
おれは言った。
「おれは、みゃーん、だ」
その場の空気が一瞬にして氷点下にまで下がったような、冷たい視線を感じた。口に出したとたん、そんなテキトーなペンネームにしなければよかったと激しく後悔した。
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