第11話 村人の取引

 ユーリさんとラスボスさんの家で昼餐をごちそうになった後、私はそのまま『かふぇおれ』という謎の飲み物を飲んで一息ついていました。


 食器をてきぱきと洗っているユーリさんは……見ている限り、自活する村人です。


 異常な強さや料理の腕など、気になる点は山ほどあるのですが、普段の生活を観察した結果としてはそう表現するほかありません。


 なので『遡行の少年』と呼ばれる由縁も分からないままです。遡行とか先見とかいうあの言葉はやはりでっち上げだったのでしょう。


 ユーリさんは家の炊事や掃除、建物の補修などに精を出す一方、魔王軍との戦いのついでに野獣や魔獣を仕留めては干し肉や燻製などに加工し、毛皮やらと一緒に行商に売りさばくことで生計を立てているのだそうです。


 目に見える範囲だけでも売りに出すと思われる加工肉や魔獣の素材が所狭しと積まれていました。何でも行商人がそろそろ買い付けに来る時期なのだそうです。


 「ユーリ、いるかーい?」


 ドアの外からユーリさんを呼ぶ声がします。


 声変わり前の少年のようにも落ち着いた女性のようにも聞こえる声でした。


 「クリスかー? つか待ってたー」


 ユーリさんの返答の後、家の中に入って来たクリスさんは、行商と言うには余りに整った身なりの人物でした。


 王との一等地で商館を構えていてもおかしくない、見栄えのする上等な仕立ての服を身に纏っていました。


 年の頃で言えば私やユーリさんより年上、ラスボスさんに近いでしょうか。


 ただ、美しい男性なのか男装の麗人なのか判然としませんでした。


 「やあ、久しぶりだねー。今回は何を売ってくれる……って、ユーリ! このお方は……!?」


 「……あー、なんつーか、姫様ってやつだ」


 私の存在に気づいたクリスさんがわずかに後ずさりました。


 「……エリス=アルジェントと申します。今はこの村でお世話になっております」


 「なぁ!? ええ!? 何であのエリス様がこんな物騒な場所に……」


 「ん? 姫様のこと知ってるのか?」


 「知ってるよ! 知らないわけないだろ! エリス=アルジェント第二王女殿下、シエンセの魔法の再現実験を成功させた才媛だよ」


 興奮気味に語るクリスさんに対して、私は愛想を保つだけの笑みを返しました。


 そんな事もありましたと思いはするものの、誰かが成したことを私も真似て、それが上手く言っただけなのです。


 私がやらなくても誰かがやっていたはずのことです。


 「あれはその、論文通りに実験しただけで……」


 「へぇ、意外と有名人なんだな」


 「意外と有名人、じゃないよ! さっきから言おうと思ってたけど、ユーリの態度不敬スレスレだから」


 「いいんです。村の皆さんも同じような感じですから……」


 「ああ……皆何てことを……」


 私は少し変な気分になりました。


 王城を追放されて以来、初めて見ず知らずの他人に姫様扱いされた気がします。


 素直に喜ぶべきなのか、喜んでしまう自分を悲しむべきなのか分かりませんでした。


 「……その話はあとでじっくりさせてもらうとして、商品を見せてもらってもいいかな」


 「おう、あそこに置いてある分全部だ」


 「……すごいね、上位種の素材がこんなに……」


 「魔王が……つーかその手下が少しずつ本気出してきてるんだよな。家ん中狭くなって困ってるんだ」


 「本気ってそれ大丈夫……なんだね、きっと。こっちはいい品仕入れられるから助かるけど。じゃあ早速見せてもらおうかな……」


 クリスさんは懐から虫眼鏡を取り出して品物を吟味しだします。


 素材の質や試食した干し肉の味に瞠目しつつ、時折ユーリさんに『マジかよこいつ』とでも言いたそうな尊敬のまなざしを向けていました。


 あの希少な猪の素材なのですから、まとめて売り払えば一財産になることは間違いありません。


 その一方で、生活空間が圧迫されて困る程度の損害しか与えらず、世間話の材料にしかなっていない魔王軍に私は同情したくなりました。


 「これ本当にすごいね。特にこの干し肉なんて奇特な金持ちに高く売りつけられそうだ。これ全部で白金貨5枚……」


 提示された金額は金貨500枚に相当します。ユーリさんとラスボスさん二人であれば向こう5年間の生活費と人頭税を賄ってお釣りが来る額です。


 「いや、いいよ。いつも通りで頼むわ」


 「……考え直す気はないのかい?」


 「ないなぁ……特に困ってないし。つーか白金貨とかおっかなくて持ってらんないだろ。よく分かんない奴に襲われて死にたくない。ほら、契約書出してくれよ」


 クリスさんは契約書二枚に『金貨五枚』と書き込んだ後、ペンと一緒にユーリさんに差し出します。


 ユーリさんは鼻歌を歌いながら名前を契約書に書き込みました。


 契約書に改めて目を通し不備がないことを確認したクリスさんは懐から金貨の入った袋を取り出し、ユーリさんの手に握らせます。


 中身を確認したユーリさんは目を輝かせ、満足そうに頷きました。


 「毎度ー。これからも頼むわー」


 取引完了です。当初提示された金額の100分の1。ユーリさんにはもっと値を吊り上げる余地があったはずです。


 ボロいの一言で片づけるのも生ぬるい、一方的な取引でした。


 「……ヤベぇどうしよっかなぁ。思い切って上着新調するかなぁ、夢が広がるだろコレ……」


 何度も手直しを繰り返したのが一目でわかる上着の袖を摘まみながら、ユーリさんが機嫌良さそうに表情を緩めて呟きます。


 私のような商取引の素人が見ても分かる有利な条件で取引を結んだはずのクリスさんは暗い表情をしていました。良心の呵責のせいかもしれません。


 「……ありがとう。じゃあ、もう馬車に積み込んでもいいかな」


 「それは構わないけど、そんな急がなくてもいいだろ? お茶位なら出すぜ?」


 「ありがとう。でも次の仕事があるから」


 「ふーん、大変だな……じゃあ積み込みでも手伝うわ」


 「それは助かるよ」


 そう言ってクリスさんとユーリさんは品物を馬車に運び始めます。


 十分ほどして全ての商品を馬車に積み終わると、クリスさんは陰鬱な表情のまま馬車の御者台に乗り込みました。


 「……それじゃあ、今日はもう行くよ」


 「ありがとな。またよろしくー!」


 ユーリさんは満面の笑みで手を振ります。


 「もちろん、ユーリは最高の『お得意様』だからね。何かあればいつでも声をかけて欲しい」


 「おう。じゃあなー」


 クリスさんはぎこちない笑みを返すと、手綱を振るって馬を動かしました。


 荷物を満載した馬車はそのまま村の門へと去って行きます。


 私は我慢できずにユーリさんに尋ねました。


 「あの、あまりに無欲すぎでは?」


 「ん? これだけあれば数ヶ月働かなくても平気なんだぞ? 平民の金銭感覚なめんな」


 その言葉が本心であるということを疑いはしませんでした。


 恍惚の表情で馬車を見つめるユーリさんの口元はだらしなく緩み、今にもよだれがこぼれそうになっています。


 「そうかも知れませんが、あまりに支払うべき対価が少なすぎると相手も……」


 「大丈夫だって。どうせ差額は村に置いていくんだよ、アイツ」


 私は内心で、『なるほど、そういう事ですか』と呟きました。


 この村に滞在して一週間、いろんな人に声をかけて話を聞いたものの今一つ納得できないでいた違和感、それは村の人たちがユーリさんやラスボスさんに対して抱いている感情でした。


 身を張って魔王軍から村を守る英雄であったり村を栄えさせるほどの優秀な教師であったり、村一番の料理の腕を持つ主夫であったり残念美人であったり。


 概ね好意的な評価ではあるのですが、奇妙なことに彼らを悪し様に言う人が一人もいなかったのです。


 少なくない人間が集まれば、どんなに優れた人物であれ誰かの悪意を買うのが普通です。


 優れた才能や容姿は時に妬まれ、持ち合わせた財産や地位は盗人や敵対者からは標的として狙われる。


 ユーリさんとラスボスさんにはそれがありませんでした。村の人たちから一様に感じたのは二人への感謝や敬意です。


 その違和感をもたらす原因が、ユーリさんが村に齎す大量の現金なのであれば納得できます。他者からの評価はある程度金銭で買えるからです。


 とは言え、そんな即物的な理由だけで村人たちが二人を評価しているとも思えませんでした。


 第二王女という立場上、野心や欲望を抱える人間を見分ける嗅覚は一応備えている私ですが、この村の人たちからはそういった者たち特有の押しつけがましい善意を感じなかったのです。


 それに結局私の中には疑問が残ったままでした。なぜユーリさんが自分の手に収まるはずの金品をむざむざ捨てるような真似をするのでしょうか。死にたくないにも程があるのでは?


 「……たとえそうでも度が過ぎているのではないですか? クリスさんも村の方々もユーリさんたちを尊敬しているようですし、ある程度は受け入れるべき……」


 「うーん……尊敬とかそういうんじゃないんだよなぁ、あれ」


 「違うのですか?」


 ユーリさんは私の反問にため息混じりに答えました。


 「敬遠って言うんだ……まあお互い様だけどな」


 その見解が正しいのかどうか私には分かりませんでした。ユーリさんもラスボスさんも、話の通じる普通の人です。


 けれど魔王軍をたった一人で敵に回しても負けない少年、そして常識外れの知識と魔法の技量を併せ持つ女性でもありました。確かに敬遠されてもおかしくはない程度には並外れています。


 私はユーリさんのことを気にしていました。


 本当ならなぜただの少年が魔王軍の戦いに駆り出され、誰もが疑問も持たずその事を自然に受け入れているのか疑うべきでした。


 けれど常識外れの強さを目の当たりにした私はむしろ、何故ユーリさんがそんなに強いのか気になっていました。


 その強さと『遡行』という言葉に何か関係があるのかもしれないと想像はするのですが、それが具体的に何なのかということについては見当もつきません。


 ちなみに私たちと戦闘した時に突然生まれたり増えたりしていた白髪の束は、その翌日には元の黒髪に戻っていました。これも何か関係があるのでしょうか。


 考え込む私にユーリさんが声を掛けました。


 「ところで姫様は今日の午後何か予定あるのか?」


 「いえ? 特に決まった予定はありませんが」


 「じゃあ創世王って奴の遺跡と猪の爆発現場でも行くか? 正直つまんない場所だけど、数時間で両方回れる」


 私を追放するための大道具に過ぎない遺跡には大した興味はありません。


 私の関心はもっぱら猪を吹っ飛ばした爆発現場にあって、実際に足を運ぶことで何か未知の発見があるのではと胸が躍りました。


 それでも一応『遡行の少年と遺跡に眠ると思われる創世王の言葉の調査』にやって来たという建前があるのでした。遺跡に行かないのは不自然です。


 私は提案を受け入れることにしました。


 「本当ですか? それでは、お願いします」

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