第8話 決意の日

 会場にたどり着いた私たちの目に飛び込んできたのは『姫様歓迎会兼イノシシ肉祭り』と書かれた横断幕と所狭しと料理が並ぶテーブルの数々、そして興奮にも似た熱い雰囲気を漂わせる村人たちの姿でした。


 私と騎士団が卓布の掛けられた席に着席すると、銀髪の女性が宴の趣旨を説明し、最後にこの村の村長なのだろう初老の男性が乾杯の音頭を取りました。


 木製のジョッキを突き合わせる音がそこかしこで響くと、一気ににぎにぎしい会話が始まりました。


 それからしばらくの間、村人たちが本物の姫と騎士の姿を珍しそうな目で見ながら挨拶しに来ては私たちが友好的に対応するという時間が続きます。


 「騎士ってカッコいいんだな! ユーリと戦ってまだ生きてる」


 「本物の姫様……夢でも見てるみたいだ……むしろ悪夢見せたようで申し訳ない」


 「……ユーリに料理されてたもんな……本当に済まねえ」


 「あいつらがおかしいだけなんです。魔王軍と戦っているのだってユーリ一人で俺たちは普通の……」


 「細かいことはどうだっていいさ! 強く生きなよ、お姫様に騎士の旦那! 生きてればいいこともあるってもんさ、あはははは!」


 子供たちに、守衛の青年たちに、たくましさを感じさせる主婦の女性に、慰めるような詫びるような励まされるような言葉を掛けられます。


 この空気に居たたまれなくなった騎士たちは続々と立食形式で宴会を楽しむ村人たちの間に散っていきました。


 言葉遣いをわきまえないクラッドさんだけは相変わらず私の側に付いていますが、同情の余地はありません。少しは反省すればいいのです。。


 そんな私たちの前には次々と料理が運ばれてきます。


 その品々は大皿に盛られたものと同じでしたが、コース料理の形式をなぞるように、突き出し、前菜、スープ、魚料理、口直しの氷菓子が順に出されました。


 盛り付け方にまで気を遣われたそれらの料理は、すべて作り立てというのもあるのでしょうが、いちいち美味しいのです。


 クラッドは最初に手にした一番大きなフォークとナイフだけを用いて料理を平らげ、特に魚が気に入ったのか大皿に盛られている分をお代わりしていました。


 「……おい、こんな旨えメシ食ったことねえぞ俺。姫様は毎日こんなもん食ってんのか?」


 口元から魚料理のソースを垂れさせながらクラッドが尋ねました。


 「いえ……王都の高級店や城でだってここまでのものはそうそう……」


 そう答える私は、柑橘系の果汁と牛乳を使った爽やかな氷菓子を舌の上で溶かしつつ幸せな気分を満喫していました。


 「すみません。この料理を作ってくださった方にお礼がしたいのですが」


 料理人に直接挨拶がしたくて給仕役の女性に声を掛けると、彼女は一瞬だけ困惑した表情を浮かべた後、近くの建物の中に消えていきます。


 しばらく経った後、料理を作っていた人物が現れました。


 片手には食材が入っているのだろう平たい角型の金属皿、もう片方の手にはいまだに私の脳裏に強く焼き付いている大きなフライパン。


 私の傍らでクラッドさんが料理を口に運ぶ手を止めました。


 「待たせたな姫様。何か話があるって聞いたけど」


 「……ユーリさん、ですよね? この料理を作ったんですか? ひょっとして全部……」


 「ああ。偉い人の口には合わないかと思ってたけど、残さず食べてくれたみたいだな。とても嬉しいよ」


 そう言って屈託なく笑ったユーリさんが言葉を続けます。


 「……せっかくだからお礼でもしようかと思ってな」


 そしてユーリさんが唐突にフライパンを目の前に構えました。


 聞いたことがあります。平民たちの間には、『お世話になった人』に感謝の気持ちを伝える『お礼参り』なる儀式が存在すると。


 あふれる感謝をその身に受けた人は、その『お礼』に感激するせいなのか再起不能になるほどだとも。


 クラッドさんが腰に佩いた剣の柄にそっと手を伸ばします。


 突然の出来事にあわあわしてしまう私の耳に、聞き覚えのある若々しい声が届きました。


 「おお、ここにおったのかユーリ……ん? ひょっとして今からハンバーグ作るのかの?」


 「ラスボス? おう、姫様たちにちょっとお礼しようと」


 私は助けを求めるようにラスボスさんに声を掛けました。


 「……ラスボスさん、『はんばーぐ』とは何ですか?」


 「ん? そうじゃな、ひき肉をこねて鉄板で焼く……」


 「え……」


 私の顔が青ざめます。私はこれから原形を残さないほど叩きのめされ、鉄板の上で焼かれるという『お礼』をされるのです。


 絞り出した私の声は震えていました。


 「……あの……私、食べてもおいしくない……」


 「はぁ? お前は食べる側だろ」


 「自分の肉を食べさせられるのですかっ!?」


 「訳わかんないこと言うな。肉はもう用意してある。ほら、これだ」


 「いやぁ……え、ひき肉……」


 差し出された平皿の上には薄い楕円形に成形されたひき肉の塊がありました。


 「これを焼くんだよ。外じゃ珍しい料理みたいだし、せっかくなら作るところも見てもらおうかと思ったんだ」


 「じゃあ……私はフライパンで潰されたりしないのですか? ひき肉になったり……」


 「しないし、ならないな。つーかフライパンは料理道具だぞ」


 そしてユーリさんは騎士団を軒並み打ちのめした凶器フライパンを構えたまま言いました。


 「炎の剣フィレスウォルド


 それはクラッドさんも扱う、刀身に炎熱を纏わせる魔法です。


 その強大な火力を幾度となく目の当たりにしていた私は狼狽しました。


 「……あぁ……やっぱり嘘です……る気です……ひき肉にして直ちに焼肉にする気です……」


 目を閉じてぶるぶると震える私は身体のどこをひき肉にされるのかと怯えていたのですが、溶け出す乳酪(バター)が発する匂いと、それに続いて耳に届くじゅーっという音に、恐る恐る目を開け、くんくんと鼻を鳴らしました。


 フライパンの上で油が弾けていました。肉の焼けるいい匂いもしています。


 食欲をそそられました。


 「……あれ?」


 「さっきから様子がおかしいけど大丈夫か。出来上がるまで十分掛からないから少し待っててくれ」


 「良かったのう姫様! 出来立てのハンバーグは最高じゃぞ! 今回は肉も特別じゃし……ほれ、早く出せユーリ!」


 「だから待てっつってんだろ、あとテーブル叩くのやめろ行儀が悪い」


 フォークとナイフを握りしめてテーブルを叩くラスボスさんを窘めながら、ユーリさんは火も何もない中空でフライパンを持ちながらひき肉の塊を焼いています。

 剣から手を離したクラッドさんは、ユーリさんを疑るように睨みつけました。


 「なあガキ、そのフライパン一体何だ? 俺の剣を受け止めて傷も歪みもねえ……しかも炎の剣の熱に耐える。ただのフライパンじゃねえだろ」


 「お、コイツの良さが分かるのか?」


 ユーリさんはクラッドさんの問いに嬉しそうに目を輝かせました。


 「頑丈で軽くて扱いやすいんだ。炎の剣フィレスウォルドを使うと火元がなくても料理できるしフライパンの面全体から食材に均一に火が通ってだなぁ……」


 「そのフライパン、材質は何だ?」


 「ええと、確かオリハルコン……」


 「「はあっ!?」」


 私とクラッドさんが同時に声を上げます。


 そしてそれから続くユーリさんの説明に頭を抱えました。


 「戦いで使った針もそうだぞ。よく知らないけどちょー高いんだろ? あと糸はミスリルとかいう……」


 国宝級武具の素材となるオリハルコン製の調理器具と裁縫道具。そして高級武具に広く使われるミスリルを織り込んだ糸。


 ドワーフ種の鍛冶師たちに聞かせたら即座に鋳潰すことでしょう。


 「針と糸は最近コイツが用意したんだよ。夏になったら作りたいものがあるとか言ってさ」


 「ミスリルの糸に魔力を込めての、内側でそよ風が吹く涼しい服を作るのじゃ。その試作でハンモックを作ってみたんじゃが、最高じゃった」


 ……涼しい服を作るためにオリハルコンとミスリルを使う? 希少金属の無駄遣いでは?


 それから『はんもっく』という寝具のすばらしさを滔々と説き続けるラスボスさんと、それを頭痛をこらえるような面持ちで聞くクラッドさんと私の前に『はんばーぐ』なる料理が差し出されました。


 「おお! 待っておったぞ! 早速頂くのじゃ」


 そこで説明を打ち切ったラスボスさんは夢中で食べ始めます。


 私もそれに倣って『はんばーぐ』をナイフで切り分けつつユーリさんに問いました。


 「……あの、オリハルコンにミスリルって、素材を用意するのも加工するのも大変だったのでは?」


 「その辺よく分からないんだよな。全部ラスボス一人でやってるから」


 「ラスボスさんが?」


 「んぐ? ほうらろそうじゃぞほーあろっへろ興が乗ってのほあいお素材もいひかられんひん一から錬金ひてみはんらしてみたんじゃ


 「……おい姫様。やっぱこいつらおかしいぞ、能力も頭も」


 とクラッドさんが耳打ちしましたが、そんな事よりもこの『はんばーぐ』という料理は一体何なのでしょうか。


 簡単に噛み切れるのに肉の旨味が濃厚で、練り込まれた香草の香りが獣肉特有の生臭さを綺麗に消していました。


 しかもすりおろし野菜をベースにしたさっぱりしたソースとの相性が抜群です。

 ラスボスさんの有する国家戦略さえ一変させるほどの冶金技術をそっちのけにして、がっちりと胃袋を掴まれた私はユーリさんにこの感動を伝えることにしました。


 「これおいしいです! お城でもこんな料理食べたことない……お肉もそうですけどすごい腕前ですね」


 「気に入ったのか? 昨日の晩飯で出してみたら予想以上に旨かったんだよ。そんで今日は朝から宴会料理を試作してたんだ。何とかボアっていう四種類の猪の肉で、確かこれは土属性のやつだ」


 「なるほど、そこを私たちが邪魔して怒り狂った……土属性?」


 ……食材の説明として用いられることのない単語に私は違和感を覚えました。


 「おう。魔王軍がけしかけてきたんだ」


 ユーリさんの言葉を吟味すると、他にも不可解な点があります。魔王軍が嗾けた、四種類の猪、なんとかボア……。


 幼少の頃から書庫の蔵書を片っ端から読んできた私には心当たりがありました。


 「……四種類の猪というのはひょっとしてブレイズボア、リキッドボア、ジュエルボア、トルネードボアのことですか?」


 それは猪種の上位に位置する魔獣で、攻城槌に匹敵する威力の突進と各属性の上位魔法を兼ね備える危険な存在でした。


 幸いにして知能は高くないため複数現れても連携を取らない分対処もしやすいなのですが、一体だけでも無防備な村一つくらい余裕で蹂躙するだけの力があります。


 その強さを一旦脇においておくとしても、魔獣が食材になっている、ということがそもそもおかしいのです。


 魔獣肉を安全な食肉に加工する方法が確立されていないからです。


 生息数の多い一部の動物種は例外的に食用されることもありますが、魔物肉が食卓に上る機会など王室ですらそうそうありません。


 それが今目の前にあって、しかもこれまで食べて来たものの中で一番おいしいのです。


 この村に来て良かったとすら私は思い始めていました。


 「ああそれそれ。四匹まとめて相手してたんだけど、魔法の集中攻撃受けたと思ったら突然大爆発が起こって全部気絶してたんだ。それを仕留めて持ち帰ってきた」


 その後ユーリさんは各属性の猪の肉質の違いを説明してくれましたが、私は爆発という単語、正確には大爆発という魅惑の表現に血が騒ぐのを感じていました。


 仮に四属性魔法の重複が強力な魔獣を一網打尽にするほどの大爆発を生じさせたのであれば、それは画期的な発見なのでは……。


 「……大爆発……」


 「気になるなら現場見に行くか?」


 「というかそれ、ただの水蒸気爆発じゃろ。それよりユーリ、このサラダ生肉が乗っかっておるぞ。食べても大丈夫なのかの」


 「ん? ああ、それ火属性の猪肉でどれだけ火を通しても生のままなんだ。ちゃんと加熱したし味見もしたけど問題なかったぞ」


 「ふむ、なら一口……おおおっ、これは新感覚……柔らかいのじゃ! ほれ姫様、お主も食べてみい」


 私はラスボスさんが何気なく口走った『すいじょうきばくはつ』という言葉の意味を尋ねようとしましたが、出来ませんでした。


 「……んんんっ! 何ですかこれ、すごくおいしいです!」


 口に突っ込まれた猪肉の『さらだ』が想像以上に美味しくて、未体験の食感と風味のとりこになってしまったからです。


 その後、夜が更けるまで宴は続きました。


 学問にしても料理にしても未知の発見に満ちているこの村を気に入った私は、しばらくの間ここに滞在することを決意したのでした。

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