第7話 天才を生んだ場所、育てた人

 私たちがたどり着いたのは平屋の建物でした。


 中に入ると大人十人程度が寝られるほどの広さの大部屋がいくつかあり、黒板があり、子供サイズの机といすのセットが人一人歩ける程度の空間を開けてきれいに並んでいます。


 「……これは、教室ですか?」


 「うむ、私の仕事場じゃ。この格好を見ればわかるじゃろ? 私が教師をしておる」


 見る者に固い印象を与える上着、太ももが三分の一ほど見えてしまっているスカート、かかとの高い靴……独特な服装を着こなすと同時にすらりと伸びた足を惜しげもなく晒している銀髪の女性、ラスボスさんを見た私には、その衣服と教師と言う職業との関係が全く分かりませんでした。


 「生徒の姿がないようですが……」


 「授業は午前中で終わっておるのでな。今頃そこらで遊んでおるのではないかの」


 そこら、と言わずとも建物の前に広がっている運動場と思しき空き地では子供たちが追いかけっこをしたりチャンバラをしたり悪役令嬢追放ごっこをしていたりしました。


 あのごっこ遊びには混ざりたくない……傷が痛みそうです、と思う私は教師用と思しき大きな事務机に置かれたままの薄い本を手に取りました。


 「ここで使っている教科書じゃ。内容は初歩の読み書きと一般常識、簡単な計算と魔法の手ほどきと言ったところかの」


 そう言い添えて椅子に腰を落ち着け、背もたれに全身を預けてぐったりと天井を見上げるラスボスさん。


 あいさつをしましょうとかミカンとリンゴがいくつとか、そう言った内容を想像しつつその本を開いた私は、続けて他の本を次々と確認し、いくつかの点で目を見張ることになりました。


 それを大まかに言うならば、紙の質と印刷技術、そして教科書の内容です。


 東大陸から伝来した紙という筆記用具は城でも目にしたことがありましたが、もっとその原料となる植物の繊維の存在を感じさせるざらざらとして荒い手触りをしていました。


 ですがこの紙はさらさらとしていて繊維の存在を全く感じさせず、そして何より生成りのシルクのように真っ白なのです。


 その上、手書きの文字は一つもなく、すべてが活版印刷で記載されています。


 文字数の少ない『魔法言語』限定で導入が進みつつある最新技術ですが、この教科書は書籍で常用する文字数が五千を超える一般言語までもが一定の字体で印刷されていました。


 しかも図表やイラストまでもが印刷されています。世界中を探してもそんな希少な本、今手にしているもの以外どこにもありません。


 さらに教科書の内容。私が想像したものをはるかに超えていました。


 『読み書き』には一般言語だけでなく魔法言語も均等に含まれ、『一般常識』の範囲には貨幣経済や輪作の原理、世界情勢などの多用な話題に関する正確な事実が含まれています。


 『簡単な計算』は四則演算だけでなく度量衡や幾何学、方程式、関数、確率論までもを網羅し、『魔法』の手ほどきとして魔力や想像力、詠唱や魔法陣、魔道具の作動原理を一通り触れた上で実用的な呪文の使用法が記載されていました。


 その学習内容は王侯貴族向けの高等教育に相当していました。


 「あの、これ王立学校並みの内容なのでは……?」


 「……そうなのかの? まあ縁のない場所のことは知らんし……しかし背中が痛い……ハンモックが欲しいのう……」


 寝ぼけたように答えるラスボスさんは背もたれをぐらぐらと揺らしながらくつろぎの限界に挑戦するように全身の力を抜いていました。


 それに『はんもっく』とは何なのでしょう。ラスボスさんは理解できない言葉をしばしば口にする人でした。


 「……ラスボスさん、ひょっとしてここにシエンセという卒業生はいませんでしたか?」


 「シエンセ? 初めて聞く名じゃな。……じゃが卒業生たちが偽名を使って外で生活しておるとは聞いたのう。魔法使いとか冒険者とか商人とか……」


 私の中で長年にわたる疑問が氷解していました。


 謎の天才、シエンセ=プレオメアルはこのラスボスさんの弟子で、名のある学校こそ出ていないものの貴族たちに匹敵する教養を備えている。


 私が今しがた目にした内容を全て修めているのならば、その人物をただの平民と呼ぶことなどできません。


 天才の名を裏打ちするだけの知識をきっとここで学んだのです。


 「あの、ラスボスさん。ぜひ詳しい話を聞かせて……」


 「……うん、作るかの、ハンモック。私は一度家に戻るのじゃ。場所は騎士団の人間が知っておるじゃろうて、何かあれば来るがよいのじゃ。それではの」


 そして、『安眠が私を待っているのじゃー!』と叫び、ラスボスさんは外へ出ていきました。


 聞きたいことを聞けないまま取り残された私に、グレゴールさんが声を掛けます。


 「……姫様、あの者にはくれぐれもお気を付けください」


 「グレゴールさん? 変わった方だとは思いますが別に危なくは……」


 「あの者と遡行の少年の居宅を取り囲んだ際、罠が発動したのです」


 「魔法?」


 「敵を感知して、永続的な弱体魔法を掛ける結界罠でした。何も知らずその罠にかかった我々は実力の半分も発揮できないまま少年一人に蹴散らされました」


 「その罠を張ったのがラスボスさんだと言いたいのですか?」


 グレゴールさんは頷きます。


 「少年はデタラメに強いですが、せいぜいが自己強化と初歩的な属性魔法しか使えないようです。かように高度な魔法の罠を設置することはできないでしょう。でなければ我々がこうも易々と……」


 「やられたんじゃねえの? どうせみんな瞬殺だ。俺だけだよ、あのふざけたガキを相手にできんのは」


 口を挟んだのはクラッドさんでした。


 「クラッド……お前我々を舐めているのか?」


 「舐めてんのはアンタだろ旦那。あのガキは強い。つってもあの銀髪女が罠を仕掛けたってのは旦那の言う通りかもな」


 「何か根拠があるのですか、クラッドさん」


 「……そういう事か、姫様は感じらんねえんだな……あの女、不自然に魔力の気配が少ない。いや、ないと言っていい」


 確かに私はラスボスさんの魔力について特別に何かを意識していませんでした。

 魔力を感じ取る才能がない、つまりは魔法使いとしての才能がない。


 魔法使いではなく魔法学者と名乗るしかなかった私を形作った、動かすことの出来ない事実を私は意識せざるを得ませんでした。


 「人間が無意識に発する微かな魔力まで制御できるほどの使い手、ってこった。最上級の冒険者にだってそんな奴そうそういねえ」


 「……そう言えばクラッドさんは元冒険者でしたね」


 「気をつけろってのは俺も同意見だ。ここが魔王軍とやりあえる人間がいる場所だってこと、忘れんなよ」


 私にそう言い残してクラッドさんもまた外へと出ていき、他の騎士たちとの訓練に混ざり始めました。


 「……そう言えばまだ聞いていなかったのですが、ユーリさんはどうしてああも怒っていたのですか?」


 私がグレゴールさんにそう尋ねると、自分自身釈然としないという様子で首をひねりました。


 「……よく分からんのです」


 「変なことを言ったわけではないのですよね?」


 「ええ。魔王の危機から王国を、ひいては人類を救うために姫様の使命に協力してくれないかと伝えたのです」


 「それでユーリさんは?」


 「興味ないと。そのまま飯炊きを続けるものですから説得を試みました。貴様の働きは万人の正義と平和を守るものになる、望む褒賞も用意する、いざとなれば勅令として同行を願うことになるだろうと……」


 「それで、あの大惨事が?」


 「そうです。示威の為に家を囲みはしましたが、誓ってこちらから手を出してはおりません」


 「……王国のことが嫌いなのでしょうか?」


 「いえ。最初は特別我々に反抗的な姿勢を見せてはおりませんでしたので、それは考えづらいかと。どうにかして彼には我々に協力していただかなければ……」


 グレゴールさんは任務に忠実な人でした。


 あれだけユーリさんにしてやられた後だというのに、私を騙し通すという建前に忠実に演技を続けていました。


 「……分かりました。私からも確認してみます」


 私は内心の苛立ちを気遣わしい表情で隠しながらグレゴールさんに答えます。


 それから教科書の内容を読んだり騎士団の訓練を眺めたりしているうちに夕闇が迫ってきました。


 「お、みんな動けるんだな。昼間は悪かった。宴の準備ができたから呼びに来たんだ」


 一人でやって来たユーリさんが騎士団の方々に頭を下げた後、私たちは村の中央に位置する広場……今回の宴会場へと案内されました。

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