第4話 ~そのころ肝心の主人公は~



 冬をなごり惜しむかのような冷たい風がビルの谷間を吹き抜けてゆく。


「さむっ」


 鼻先まで覆ったフェイスウォーマーのなかで、貴志快晴は小さく叫んだ。

 自転車とはいえ、春服を着るには少し早すぎた。ウォーマーはしているが、袖から入ってくる冷風が服の中で渦を巻いている。

 かといってこの時期に着込めば、体が重くなってペダルは漕ぎにくいわ、身体が熱を帯びてきたら温かいを通り越して熱いわ、汗で蒸れるわ……

 本当はバイクが欲しいのだが、そんな経済的余裕はない。


「はぁ……」


 考えるたびに溜息が出る。


(いやいやいや! これから仕事だし! 暗いこと考えんのやめ!)


 心の中でぶんぶんと首を横に振り、気が奮い立つようなことを考える。


(そうそう昨日の世界ヘビー級タイトル、ヤバかったよなぁー!)


 昨夜、インターネットの大手動画配信サイトで特別生中継された、ボクシング世界ヘビー級王者決定戦のことを思い出す。


古武士出こぶしでのガッツすごかったなー。イワンのパンチ、全部耐えてたもんなぁー。激熱だったよ!)


 快晴の記憶を解説しておくと、対戦カードは防衛回数九九回のロシア人王者イワン・ヤナーニオカに対して、挑戦者は日本期待の巨星、『寡黙なるもののふ』と渾名される古武士出語こぶしで かたる


 古武士出は序盤から王者イワンの猛攻を浴び続け何度もダウンしたが、そのたびに立ち上がって奮戦。十ラウンド目には王者の必殺拳と言われるボディへの強烈アッパーをくらって客席にまで吹っ飛ばされるも、それすら耐えきってリングへ復帰。

 決め手をしのがれたことで王者に動揺が見えたことから形勢は一気に逆転。挑戦者の一方的な攻勢が展開された。

 そして迎えた最終十二ラウンド。闘志の燃え尽きたイワンに向けて放たれた古武士出のフックが顎にクリーンヒット。

 これにより────挑戦者がマットに沈んだ。


 なんと古武士出がフックを放った瞬間、すでにグロッキーに陥っていたイワンが突如として失神し崩れ落ちたせいで、パンチは王者の頭上を素通り。当たることを確信して放たれた全身全霊のフックは、疲労による姿勢フォームの乱れもあって、勢いのままその拳先を本体へと転進させて誤爆。

 そう、渾身のフックは確かにクリーンヒットしたのである──古武士出自身に。

 当たり所が悪すぎて古武士出もまた失神。すかさずダブルノックアウトの判定が下され試合は引き分け。タイトル戦のルールにのっとってベルトは移動せず、王者イワン・ヤナーニオカが見事、百回目の王座防衛に成功したのであった。


(古武士出、惜しかったなー。やっぱチャンピオンにもなると運も味方するのかなー?)


 ちなみに試合後のインタビューに対する王者の返答はひと言、


ノーコメントなにをか言わんや


 であった。

 なお念のために明記しておくと、古武士出語とイワン・ヤナニーオカ、そして前述の試合内容が今後、この物語本編に関わってくることはない。


(オレも古武士出みたいに逆転を狙って、耐え抜いてみようかなぁ)


 チャンピオンの猛攻を前に最後まで闘志を失わなかった挑戦者の姿を今の自分に重ね、快晴は漠然とした覚悟を抱いてみる。

 生きるため、金のために仕方なく入った会社、独裁的な上司、趣味も価値観も合わない同僚達、次にいつ貰えるかもわからない休日。

 片道二キロの道を自転車で走り抜けて出社、朝から晩まで目まぐるしく働き回り、ヘトヘトになった心身に鞭打って再び自転車で二キロを踏破して帰宅。

 その頃には真っ白に燃え尽きたも同然で、もはや自炊する元気など残っているわけもなく、毎晩がコンビニ弁当、カップラーメン、レトルトカレー。

 それらも決して安くはないうえに、では昼はといえばやはりコンビニのおにぎりやらサンドイッチなものだから、毎月エンゲル係数はフルスロットル待ったなし。

 本当はやりたい仕事も、なりたい職もあって、そのためには勉強と貯金が必要だということも分かっている。そう分かっているはずなのに、日々の忙殺がその気力を食い荒らす。気がつけばひたすら心の癒しを求めて趣味や娯楽に投資し、貯蓄もままならない。


 この悪循環による人生の停滞から、どこかで抜け出さなければならないと自覚はしている。

 しているのだが、かといって打開策があるわけでもない。

 わかっちゃいるけど、やめられない止まらない。

 いつになったら自分の望んだ人生を歩めるのか、快晴には皆目見当もつかなかった。

 それでも頑張って今を堪え忍んでいれば、どこかでチャンスが巡ってくるんじゃないか。昨日の古武士出の闘いを思い出すと、何となく希望が湧いてくる。


(でも、一人はつらいよなぁ。頑張ったって、俺には観客どころかセコンドだっていないんだし)


 古武士出の試合では、同門のボクサーであり親友でもある瀬近藤務せこんどう つとむがセコンドを務めていた。

 その瀬近藤によるアドバイスと激励が、何度も自分を奮い立たせてくれたのだと、試合後に古武士出は語っていた。


(俺には、そばで応援してくれる人なんていないしなぁ)


 またも深々と溜息を吐く。

 貴志快晴、二三歳──彼女いない歴も二三年である。

 だが、街のそこかしこで桜の花が開きかけているように、快晴の人生にも春が訪れようとしていた──ただし、桜の花どころか、街ひとつを吹き飛ばしかねない春の嵐だが。


 ふと、平らなはずの路面の上で、自転車のタイヤががくがくとブレた。


(──地震?)


 ブレーキを掛けようとした瞬間、ドンッと猛烈な突き上げが来た。


「わ────!?」


 信じられないことに、その一発で快晴は自転車から放り出され────


「が──ッ!?」


 街路樹の道に頭から激突して────


「きゅぅ……」


 気を失ったのであった。




「目標、市街地中心部に出ます!」


 オペレーターの叫びで、司令室の緊張感は一気に激化した。

 コンピューターが弾き出した四通りの未来の中でも、最悪のものが当たってしまったのだ。


「GFの到着時間は!?」


 ロボに名前が付いたことにより、早くも略称で呼ばれ始めた戦闘機であった。


「約三分後──え、待ってください!」


「なんだ!?」


「衛星からの映像を確認しました! これはッ!?」




 脳を万力で締め上げられているかのようだった。


「んん……ぅあ……!」


 ひとしきり身悶えし、快晴は眼を開けようとした。

 が、出来なかった。光が痛みに響く。


 さっきのはなんだったのか。地震──それにしては、まるで地面の下から馬鹿デカい拳でアッパーを食らったようだった。

 そばに人の気配はない。都会特有の無情さか。自転車事故を起こした者がいても、誰ひとり、救急車を呼ぶどころか、声をかけようとさえしない。


 いや……変だ、と快晴は気付いた。

 静かすぎる。車のエンジン、人の足音、鳥の声すら聞こえない。

 頭を打ったせいで、耳がやられたのだろうか。

 不安に駆られたが、ビルの間を渡ってゆく春先の風の音が聞こえてきたことで、快晴は安堵した。

 痛みにも馴れはじめ、あらめて眼を開けた。

 変わらない街の風景があった。ビル、車、道路────


「え……」


 快晴は痛みを忘れた。

 風景は変わらない。しかし、そこには人の姿がなかった。

 SF映画でときどき見る、自分以外に誰もいない街という状況が今、快晴の目の前で現実のものとなっていた。

 だが、非現実ならば楽しいものも、自分の身に降りかかってはスリルどころではない。


(なに……が……?)


 パニック寸前の思考回路を積んだ頭を振り回すように、快晴は顔を後ろに向けた。

 そして、パニックを通り越して、フリーズした。

 百メートル先、いや二百……よく分からないが、とにかく視線の先に、それはあった。

 アスファルトの地面を突き破り、大通りを埋め尽くしてそびえ立つ、岩山──ではなかった。

 表面こそ乾いた溶岩のように黒くゴツゴツとしているが、それは間違いなく、ゆっくりとした呼吸に合わせて動いていた。


 呼吸──生きているのだ。

 ビルに頭を並べるほど巨大で、トカゲを思いっきり恐くしたような顔をしていて、破壊した道路の破片(というには大きすぎる瓦礫)に下半身を埋もれさせながら立っている。

 それを何というか、快晴は知っている。


 大怪獣、だ。


 さきほどの地震と、快晴の自転車事故と頭痛の犯人がコイツであることは疑いようもない。

 みな怪我人を置いて一目散に逃げ出すわけだ。

 だが、快晴からは豆粒ほどにみえるその眼は今、瞼の裏に隠されて光を失っているようだった。

 フリーズから再起動したおかげか、それともあまりの超現実に、精神が混乱するどころか一周回ったのか、快晴は目の前の巨大生物を、恐る恐るながらもまじまじと観察していた。

 それにしても、動かない。

 寝ているのだろうか。大地を突き破って現れた瞬間から大暴れするのが怪獣というものではないのか。

 などという怪獣映画のセオリーを思い出して、快晴が不思議がった瞬間────

 瞼が開いた。

 昼間でもわかるほどの金色の光。その眼球に、瞳はなかった。


 ギャアアアア────


 周囲を一瞥するや怪獣が吼えた。

 たまらず耳を塞いだ快晴の周囲で、ビルの、そして車の窓ガラスが次々に割れてゆく。

 そして、その図体にしては小振りな、しかし人間からすれば充分に巨大な手が、手近にあったビルの上半分を薙ぎ払った。

 子供が砂で造った城を叩き壊すかのようだった。吹っ飛んだ屋上は小さな瓦礫をともないながら、まるで何かのお約束と言わんばかりに、綺麗な弧を描いて快晴の頭上に────


「うわああああ────ッ!?」


 逃げてどうなるわけでもない。快晴は眼を瞑り、顔を背け、腕で頭を守った。

 もちろん、そうしたってどうなるわけでもないのは一緒だ。ただ、飛んでくるパンチに対して反射的に眼を瞑ってしまうのと一緒で、危機に対してひとつでも多くの感覚を閉ざそうとしてしまう人間の本能である。

 そのおかげで快晴はもっとも肝心なシーン──突如として、怪獣に匹敵する巨大な影が空から飛来し、快晴に覆い被さり、その背中でビル塊を受けるという大スペクタクル──を目の当たりにすることが出来なかった。


 辺りに響く轟音と震動を、快晴は最初、ビルが地面に激突する音だと思った。

 だが肝心の自分の身には死はおろか、コンクリートの破片ひとつ落ちてこない。


「……え、なに?」


 眼を開けたらそこは天国なんじゃないか。地獄かもしれない。いや、だとしたら三途の川の手……?

 そんな恐怖と闘いながら、快晴は恐る恐る瞼を開いた。

 ない。自分の周りに……落ちてきたはずのビルが。

 だが、昼間だというのにやけに暗い。なにか大きなものが上に……


「────え?」


 自然な流れで空を仰ぎ見て、快晴は再びフリーズした。

 五メートルはありそうな巨大な、そして無表情な顔が快晴を見下ろしていた。

 いや、顔と言うには眼しか見当たらない。鼻も口もない。まるで仮面か────


「え……ロボット?」


 それが貴志快晴と、彼と心を通わせるスーパーロボット・アーバロン、そしてアーバロンに宿る──のちに快晴によって《ソラ》と名付けられることになる──《彼女》との出逢いだった。

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