第2話
野球部の備品を使って窓を割った。
学校をサボって公園でただブランコを揺らした。
屋上へのドアにらくがきをした。
理科室のカバープレートを何枚も割った。
百均で買える物を使って火遊びをした。
そしてまた――寒い冬がきた。
私はコンビニで買ったライターが固くてなかなか火をつけることができず、公園でかき集めた落ち葉がどんどん風に流されていく。やがて遊穂は、少しだけ真剣な表情で私を見つめた。
「岡島ってさ、私のこと好きでしょ」
「当たり前じゃん、大好きだよ」
「こういう好き?」
遊穂は、その華奢な体からは想像もできないほどきつく私を抱きしめた。分厚いコート越しからでも心音が伝わってしまいそうなほど、私の鼓動は跳ねていた。
「こういう好き」
私は自然と遊穂を振りほどき、その顎に指をやっていた。しかし、
「こっちの方がいい」
私のキスは軽々と躱され、首筋に遊穂の唇が触れる。それから舌が押し付けられ、噛まれたのか吸われたのか鋭い痛みが走り、それが私の欲情を加速させた。
お互い無言のまま落ち葉の山を蹴散らして小走りでコンビニへと向かう。
店内に設置された時計はそろそろ十七時を回ろうとしていたが、私はあえてそれを口には出さず、店員の目を掻い潜り女性用トイレに二人で入った。
座らされ脱がされたのは私だった。
この頃から十年経った今思えば私も、するよりもされる方が多い。どちらが良いとか好きだとかは人によって変わるからなんとも言えないけれど、遊穂には私がしてみたかった。
あの虚ろで、黒曜石のように不気味な輝きを持つ瞳を、嘘と真とが入り混じって美しく澱む表情を、私の手で歪ませたかった。それは、現段階では叶っていない。
乱暴な手付きで私のコートと制服を脱がした遊穂は、色気のない下着を押し上げて、既に期待で激しく主張している突起物を口に含み、再び痛みを走らせる。私は遊穂の頭を抱きしめ、その痛みを味わった。
やがて右手がするりとスカートに、そして下着の中へ侵入すると、恥ずかしくなるくらい濡れていることを自覚した。
押し寄せる未体験の快感と、愛される絶大な幸福と、少しの恐怖。
その少しの恐怖が何を示唆しているのかもわからないまま二度果てた私は、もう一度遊穂との接吻を試みた。
けれどそれは、行為では使われなかった左手で阻止される。
「岡島の初めてもらっちゃった」
遊穂は少し赤が混じった右手を舐めながら笑った。
「初めてのキスも遊穂とがいいよ」
懇願にも近いおねだりすら、彼女には届かない。
「それは恋人にあげなきゃね」
「ここまでして恋人にはなってくれないの?」
じわりと、言ったと同時に涙がこみ上げたことを覚えている。
どれだけいじめられても、父に殴られても、母が入院しても、姉の入院が原因であっちこっちをたらい回しにされても泣かなかったのに。
初めて自分の涙腺が機能していることを知った。
「なってあげない」
あっさりと言う遊穂には、私も思わず笑った。蝋燭を消すように笑って、溜まった結露のように泣いた。
トイレットペーパーで残った液を拭き取り、私の洋服を甲斐甲斐しく直していく遊穂。
「岡島の彼女になったらたぶん、私の人生終わるから」
そう言ってトイレから出た彼女の言葉の意味は、このときの私には理解できていなかった。
けれど今ならばわかる。
私は、愛した人間が悪ならば私も悪に染まる。堕ちるなら寄り添ってどこまでも一緒に堕ちる。受け入れて、甘やかして、相手のしたいことを肯定し、相手の踏み入られたくない部分には踏み入らない。
そんな人間が一番近くにいれば、人生は終わる。私は身を持ってそのことを知った。
しかしこの当時中学生の私はそんなことを知る由もなく、トイレでしばらく泣き、おばちゃんからのノックで叩き出されたあとも帰り道で泣き、自分の部屋でも泣いた。
そして次の日、遊穂が引っ越したと聞いたとき、涙腺は壊れてしまった。一滴も涙が流れなかったのだ。
彼女の家は知らない。メールアドレスも電話番号も知らない。当時はSNSもほとんど無いようなものだった。
私と彼女を繋いでいたのは、あの放課後だけだった。十七時までの放課後だけだった。
大切な人を想って指摘をする能力が欠落していたが故に、私は放課後から先へ進めなかった。
どんな時間よりも夢見た十七時から先を、共に生きていくことができなかった。
最後の十七時 燈外町 猶 @Toutoma
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