最後の十七時

燈外町 猶

第1話

 私の中学時代は――一点の燦めく青春を除けば――まさに暗黒時代と言えよう。学区の関係で仲の良かった友達とは軒並み別の学校になってしまったことが大きな要因に思える。

 さらに郊外活動であった野球クラブと、学業の一環である野球部とでは女の浮き方が別格だった。男子中学生どもは、女子とさほど変わらず異端な者を排除したい衝動が溢れていたらしく、私はひたすらに、徹底的にいじめられた。

 防球ネットをもってこいと先輩に言われ倉庫に行き中へ踏み入れた瞬間、外からドアが閉じられ、倉庫の隅や積み上げられた荷物に隠れていた部員たちから一斉にボールを投げられたのが一番鮮烈な記憶だ。

 生まれて初めて死を意識した。

 スパイクを隠されても、グローブを引き裂かれても、バッドをベコベコにされても、型崩れしたジャガイモがなんかやってるくらいにしか思っていなかったが、これをきっかけに恐怖を植え付けられ、逃げるように部活を辞めた。

 ただ、男子からいじめられていたというのは、学園生活にはそれほど影響しないらしく、女子とは普通に良好な仲を構築できたと思う。

 ジャガイモどもも私が部活を辞めたことで溜飲が下がったようで、ちょっかいをかけてくることもなかった(『岡島菌がついた』だののくだらないことは相変わらずやっていたが)。

 しかしこの少し前から『なんで私がこんな目に遭うんだ』というストレスや怒りから不眠症が始まり、朝日がないと眠れない体質になっていた。遅刻の数は膨れ上がり、通知表には欠席はほとんどないのに遅刻の総数が三桁に及ぼうとしていて笑ったのを覚えている。


 それが中学一年の冬。二年生からは、同じように部活には属さない女子とともに過ごした。

 特に仲が良かったのは五十嵐いがらし 遊穂ゆうほという――スポーティ少女から世が言う喪女のような風貌へ移り変わり始めた私とは――正反対のおしゃれ女子だ。顔が整っているのにお調子者キャラで男子からも教師からも評判も良く、私も放課後、何気ない時間を、二人でなんともなしに過ごすのが好きだった。

 しかし遊穂の闇は、今こうして思うと存外深かった。

 彼女が部活動に入っていないのは、本人の意思ではなく親の意向だったらしい。

 そして彼女は、毎日十七時になると必ず帰宅していた。

 ピアノをやっているだとか東大の家庭教師が来ているだとかの噂は多数あったものの、私はそれについて取り調べることはしなかった。遊穂が公言していないのなら、公言したくないのだと納得していた。

 とある日、私達のクラスで年中置きっぱなしのストーブがベコベコに凹んでいることが事件になった。私はどうせ野球部の馬鹿が悪ふざけをしたと思っていたけれど、結局ホームルームが終わるまでに犯人が見つかることはなく、事件自体も流れていった。

 それからしばらく経った放課後、いつものように遊穂と駄弁っていると、彼女はいつもどおりの明るい笑顔を浮かべながら、『あれね、こうやんの』と言って、カバーが付いたままの英和辞書の角でストーブを叩きつけた。

 絶句して何も言えない私に向けて『キャハハ』と力なく笑った彼女の表情が心を揺さぶる。

 何かしなければと思った私は――

「こう?」

 ――国語辞典を用いて彼女を真似た。

「そうそう。やればできるじゃん岡島。でも思いっきりが足りないね」

 共犯者を得て安心したのか、遊穂は凹みを更にいくつか増やしたあと、教室の後ろにあるロッカーへ、ストラックアウトでもするように辞書を投げつけた。残念ながら枠に当たって得点に繋がらない。

 今度は七年間の経験でコントロールには自信のある私が、野球部員で一番嫌いなやつの、着替えやらプリントやらでぐちゃぐちゃのロッカーに辞典をぶちこんだ。

「ナイスピッチ!」

 爽快感と格好つけられた感動で、私に称賛を送る遊穂とハイタッチをしていた。

 それからの放課後は、遊穂とともに少しずつ悪いことをしていった。

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