第2話
「吾輩の吾に新妻の妻で吾妻」
「あ、吾妻さん、あの、よ、よろしく、おねが、お願いしますっ」
冬音の作ったカレーは絶品だった。こんなカレーを出されては、聞かれたことにくらい答えてやる義務もあるだろう。
久しぶりに提供された人間らしい飯にがっつく私へ、遠子が続けた。
「私は仕事であまり帰れないから、この家は君達の好きにしてくれ。吾妻、冬音はよく気がついて家事に於いてベテランメイド並みのスキルがあるけれど、頼りっぱなしはいけないよ」
「……」
「ふふっ。私への返事よりも冬音のカレーを優先させるのは良い心掛けだ」
なんとなくこいつは気に食わないので会話は最小限にしよう。三億円とか関係ない。私がここにいることでこいつに何かしらのプラスがあるわけだし。取引をした以上、立場はイーブンだ。
「冬音、見ての通り目つきも食い方も野良犬だが、私の見立てでは悪いやつじゃない。もし怖いことをされたら殺してしまっていいからね。埋める時は私も手伝ってあげる」
とんでもないことを口走っているし、軽妙に紡がれる言葉には重みがない。それなのに、こいつが嘘を吐いているようには一切思えないから不思議だ。
「こ、ころ……そんなこと言わないでください。あの、吾妻さん、私、私ができることは一生懸命やりますから、何かあったら申し付けてくださいね」
「ん」
「ほう! 冬音にはちゃんとお返事できるのか! いや素晴らしい素晴らしい。こうなってくると私はお邪魔かな。風呂にでも入ってくるとしよう。居候水入らずでどうか寛いでくれ」
言うや否や残っていたカレーを平らげると立ち上がり、その場で全裸になった遠子が颯爽と歩いていく。
食器も置いたまま、服も脱ぎ散らかしたまま。行動レベルで見れば暴君……いや、幼稚園児と言ったところか。
「……あはは、遠子さん、お体もお綺麗ですよ、ね」
おずおずと、沈黙を壊すように適当な言葉を浮かべた冬音は衣類を拾い上げていく。
「食べ終わってからにしたら?」
「えっ……」
その間、おそらく数分。私とて特に重大な意味を込めたわけじゃない。ただ遠子が上がってくるのはまだ先だろうし、こんなに美味しいカレーが冷めてしまっては不憫だと思っただけだ。
だのに冬音は目をまんまるにして私を見つめ、遂には涙を零さんばかりに潤ませた。
「私、変な事言った?」
「あっ、違くて、あの……そう、シワになっちゃうから、だから……」
「そう、まぁ好きにしたらいいと思うけど」
そんなに焦られると妙な罪悪感が芽生えるからやめてほしい。
下着を洗濯機へ、ハンガーに掛けるものは掛け、食器を水に付けると冬音は再び席についた。
「後のことは……食べ終わってからにしますね」
いつもは洗濯機を回すのも食器を洗うのも先にやっているということか。何が同居人だ、まるで家政婦じゃないか。
「冬音も「っ」
状況把握は早いほうがいい。今度はこちらからいくつか聞こうと名前を呼べば、彼女は数ミリ跳ねて反応する。やりづらいったらありゃしない。
「ごめん、名前で呼ばれるの嫌だった? なら名字を「そうじゃ、なくて。……その、嬉しくて」
どこにそんな要素があるのやら。とは言え嘘はないらしく、無意識に持ち上がってしまうらしい口角はなんとも不器用で可愛らしい。
「じゃあ冬音で。冬音も三億円もらってここに来たの?」
「さ、さんおく……?」
あの女……! 肩からガックリと力が抜け、冬音に見えないよう、聞こえないように舌打ちが自然と湧き出る。
てっきり私と同じ境遇、同じ流れかと思いきや違うのか。だとすれば何故? いや待て、これ以上の詮索に意味はあるか? 違う境遇、違う流れで共に暮らす同居人。もうこれでいいじゃないか。状況把握としては十分。これ以上は深入りだ。
「えと、その、吾妻さんは「吾妻でいいよ「じゃ、じゃあ、吾妻、ちゃん……」
いきなり呼び捨てはできないタイプか。育ちがいいのか、気が弱いのか。
「吾妻ちゃんは……その、三億円? をもらったの? 遠子さんに?」
「あー、まだちょっとよくわかってない。整理したいから寝たいんだけど……」
あの経緯を説明するのはなんとなく恥ずかしい。思い返してみれば私、相当阿呆な選択してるし。
「あっうんっ! えっと……どこのお部屋がいいかな……。和室はね、遠子さんのお部屋だから、それ以外なら好きなところ使って?」
「ん、ありがとう」
立ち上がり皿を持って気付く。そして気付いたその言葉は、なんだか無性に、羞恥心をくすぐるソレだった。
「あー、ごちそうさま。美味しかったよ」
「っ! うん、うん、お粗末様でした、ありがとね、お皿、シンクに置いておいて、まとめて洗っておくから」
「そ。じゃあよろしく」
台所にはこれまでの人生では縁の無かったどデカい食洗機。使い方もわからないし任せるとしよう。
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