第6話些細な変化

「あれ…?隈が消えてる…」


3日目の朝いつものように起きて鏡で顔を洗っていた僕は

自分の顔つきの変化に気が付いた。

痩せこけていて寝不足気味の疲れている顔…。

それが3日前の僕の顔だった。


それが…今はどこかすっきりとした顔つきになっている。

相変わらず目の下の皺はあるものの、隈が無くなったおかげで印象が明るくなった。

嬉しい変化だった。

毎朝、鏡を見るたびに年老いていく自分の姿を見るのは何とも切なかった。

仕方のないこととは割り切っていたが、やはり歳は取りたくないという思いもあった。


百合音ゆりとさんと…会ったからだろうか?」


最近…といってもまだ3日だがとても充実している。

一日経つのが早く感じる。

様々な事があったせいかもしれないが心は満たされ

生きていると実感することが出来ている。今までにはない事だった。


自然と表情も明るくなる。

そう言えば…最近笑ったのはいつだったんだろう?

ふと自分のこれまでの表情が気になった。


過去の自分を振り変えるとびっくりするほど無表情だった。

職場では事務的な会話しかないため笑う事はほとんどない。

家に帰っても一人だから話すことすらしない。


それなのに…。自分の頬に手を当てて改めてみるととても元気そうだった。

うん…。ちょっといい感じだ。

髭を剃り髪型を整えていつもの時間に家を出た。

そして百合音ゆりとさんのいる雑貨店についた。

店の中には既に百合音ゆりとさんがすでに来ていて新聞紙を読んでいた。


「おはよう!土方君」


「おはようございます。百合音ゆりとさん」


いつもの様に優しい笑顔で出迎えてくれる百合音ゆりとさん。

この笑顔だけでも10歳は若返りそうだ…。

そんな事を思いながら僕は朝食の準備に取り掛かった。

朝は簡単に作れるホットケーキにしてお昼にパウンドケーキとガトーショコラを作る予定だ。

昨日、家に帰ってから調べていたら思いのほか簡単な作業でできそうだったので

その二つを作ろうと考えていた。


「今朝は何を作ってくれんだい?」


不意に後ろから声がしたので振り返るとすぐそばで百合音ゆりとさんが立っていた。

思わずぎょっとして後ずさる…。

相変わらず百合音ゆりとさんの距離感は近い…。

ドキドキするから少しは遠慮して欲しい…。


「えっと…。朝はホットケーキです」


「ホットケーキ♡やった~!!」


嬉しそうに万歳をする百合音ゆりとさん。

彼女は本当に感情表現が豊かな人だ。コロコロと変わる表情は本当に愛くるしい。


「トッピングは何にするんだい?」


「えっと…あんことバターにしようかと…」


「あんこに…バターだと…!!」


そう言って百合音ゆりとさんが倒れ込んでしまった。

えっ!!どうしたんだ?

僕は何か変な事をしてしまったんだろうか?

僕は慌てて彼女に駆け寄った。


「あの…すいません。あんこ…嫌いでしたか?」


「…土方君」


「はい…」


「君って人は…」


百合音ゆりとさんがワナワナと肩を震わせながら立ち上がる。

怒ってる?どうしよう…。


「最高じゃないか!!」


「へっ?」


「あんこにバター!最高の組み合わせだ♪」


そう言いながら思いっきり百合音ゆりとさんに抱き着かれてしまった。

よかった…。彼女は怒っていないらしい。

僕はほっと胸をなでおろした。

でも…体が物凄く密着しているから…気絶しそうだった。


百合音ゆりとさん…!あの…」


「…?なんだい土方君」


「ちょっと…近いです…」


「ああ!すまない!つい嬉しくて抱き着いてしまったよ」


「それは…良かったです」


「邪魔してすまないな!では、あんこバターのホットケーキ♡楽しみにしている」


「はい。すぐにご用意します」


ふぅ‥‥。

結構…胸が大きかったな…。

さっきまで抱き着かれていた時の感触を思い出していた。

着物を着ているとはいえ密着するとどうしても分かってしまう…。

‥‥。


って僕は何を考えているんだ!!!

変態か?!


急に自分が考えていたことがふしだらに感じてしまい恥ずかしくなってきた。

百合音ゆりとさんは全く気にしていないだろうけど…。

彼女は僕の上司だ。いくら年齢差があるとはいっても

やっぱり、男と女なんだし…適正な距離は必要だと思う。

後で…百合音ゆりとさんにちゃんと言おう。


僕は気を取り直してホットケーキを焼き始めた。

生地は昨日の夜に作っていたから後は焼くだけだ。

あんことバターはイメージしたらいつもの様に出てきた。


お湯を沸かしてティーポットに茶葉を入れる

次はティーカップにお湯を注ぎ先に温めておく。

今日の茶葉はアッサム。

コクのある強い味わいがあり、芳醇な香りが特徴の紅茶だ。


インドの北東にあるブラマプトラ河の両岸に広がるアッサム平原で栽培されているため

名前がアッサムとなっている。

ポピュラーな紅茶だが今収穫されている茶葉が一番クオリティが高く美味しいと言われている。

今日のメニューに合いそうだと思ったためこれにした。


本当に紅茶は調べれば調べるほど奥深くて面白い。

栽培される産地や収穫時期によって品質や味に影響を及ぼす。

同じ紅茶の木でも産地と時期が違うだけで全然違う味になるそうだ。

これは購入した本に書いてあったことだ。

今まで全く興味がなかったが、百合音ゆりとさんが好きなので勉強した。

彼女の役に立てていると感じることが出来て楽しかった。


百合音ゆりとさん。あんこバターのホットケーキ。できましたよ」


「やったー!!ありがとう。土方君」


嬉しそうにしながらお皿を受け取り頬張る百合音ゆりとさん。

同じようにかい君も大きな口を開けて美味しそうに食べてくれている。

やっぱり…嬉しいな。

改めてそう感じた。自分の作っているものが誰かに喜んでもらえる。

たったそれだけの事だが胸がじわっと温かくなる感じがした。


だから…母も毎日食事を用意してくれていたんだろうか?

今さらながら母の有難みを感じていた。

学生時代は朝と夜。それから昼はお弁当を毎日作ってくれていた母。

当たり前の様に出てきたが今となっては自分でしないと料理は出てこない。

就職を機に一人暮らしを始めて分かっていたはずなのに

最近はすっかり忘れてた。むしろ母の事すら考えていなかった。


薄情な息子だな…。自分で入れた紅茶を飲みながら反省した。


「はぁ~。このあんこの甘さとバターの塩気が何とも言えない!!」


「喜んで貰えてよかったです」


「土方君!ありがとう。本当に美味しいよ」


「いえ…そんな…」


真正面からお礼を言われると照れくさい。

百合音ゆりとさんの場合、裏表がないから余計に恥ずかしい。

彼女の態度はストレートなのだ。

どう受け止めていいのかいまだに迷ってしまう…。



かいもあんなに沢山食べて…よかったな!かい


「うん…まぁ。げぽくにしてま…まぁまぁだふ」


食べながら話しているから何を言っているのかよく分からない…。

まぁ…ニュアンス的に褒めてはくれてるんだろう。

大きめのホットケーキを三枚焼いて乗せていたが、百合音ゆりとさんはペロリと食べた。

さらにはお代わりしてきた…。

相変わらず朝から物凄い食欲だった。


「土方君の料理は美味しいから…ついつい食べ過ぎてしまう」


「ハハハ。僕も見てて気持ちがいいです」


「次は何を作ってくれるんだい?」


食べたばかりだと言うのにもう次のおやつの話をしている。

やっぱり百合音ゆりとさんの胃袋はブラックホールだ…。


「今日はパウンドケーキとガトーショコラを作ろうと思ってます」


「うわぁ…。じゅるり…どちらも美味しそうだな…」


百合音ゆりとさん…涎たれてますよ…」


「ああ!すまない。想像したら涎が出てきてしまった…」


ふふふ。そんなに楽しみにしてもらえているのなら…頑張らないとな。

気合の入る思いだった。

食器を片付けて僕は次のおやつの準備に取り掛かった。

パウンドケーキはラムレーズンとヘーゼルナッツを入れて触感を楽しめるようにして

ガトーショコラはチョコの配分をブラック半分、ミルク半分にしてほろ苦くしよう。

スマートフォンのレシピを見ながら材料をイメージする。


カタン カタン カタン


次から次へと必要な材料が出てくる。

多分、二種類ともよく食べるだろうから2倍の材料はいるな…。

台所は広いため置き場所には困らない。

機材もほとんど揃っているため、何でも作れそうだった。

本当に…百合音ゆりとさんは食べることが好きなんだな~。

パウンドケーキの材料を混ぜながら思った。

御影みかげさんが言っていた。膨大な量の生気が必要だと…。


僕にできるのは作ることくらいだし…。せめて楽しんで貰るようにしよう。

僕はオーブンを170℃で余熱して材料をならべた。

無塩バターに薄力粉、卵にグラニュー糖。あとはベーキングパウダーと蜂蜜。

中に入れるナッツはアーモンドやクルミ。それからピスタチオが

相性がいいと書いてある。これも一緒にいれて焼いていこう。

僕はレシピを見ながら黙々と作業に没頭するのだった。



しばらく作業していた時。スマートフォンの画面に着信の表示が出た。

確認したら僕の上司である警部からだった。


一旦作業を止めて電話に出る。


「はい。土方です」


「土方君。今大丈夫かい?」


「はい」


「報告書…読ませてもらったよ。うまくいっているみたいで安心した」


「ありがとうございます」


「くれぐれも無茶せず、望月様のいうことをよく聞くんだぞ」


「分かりました」


「それから…。決して深入りはするな」


「それは…どういう意味でしょうか?」


以前、御影みかげさんにも言われた言葉だった。

警部の言い方はずっしりと重く緊張が漂っている。


「言葉のままだ。彼女たちと我々では住む世界が違う。そこをはき違えるな」


「…。分かりました」


「では…残り1年くれぐれも粗相のないようにな…」


警部はそれだけ言うと電話を一方的に切ってきた。

思い切り後頭部を鈍器のような物で殴られたような衝撃を感じた。

さっきまで…あんなに楽しかったのに。

幸せな気分に浸っていたのに。

少し変化した自分に喜んでいたのに。


それが一気に崖の上から突き落とされた気分だ。

なんなんだ?いったい…。

俺の事を心配しているのではない…。

明らかに百合音ゆりとさんに対して釘をさされた感じだった。

しかも…。望月様って‥‥。


警部の話し方にも違和感を感じた。

何か…恐れているようにも感じる話し方だった。

彼女が白銀の一族だからだろうか?


妖怪あやかしからも敬い崇められているくらいだ…。

それが人間側に崇められていてもおかしくはない。

彼女を知らない人からすれば、恐れるべき存在なのかもしれなかった。

普通の可愛い女性なのに…。


警部に言われた言葉を自分の中で噛み砕きの見込めるようになるまで半日かかった。

その間にパウンドケーキ3本と、ガトーショコラ2個出来上がっていた。

百合音ゆりとさんとかい君は大喜びだった。

両方とも二人がペロリと食べてしまった。


二人の様子を見ながら思った。

別に敬い恐れなくてもいい。

彼女たちはここに生きて笑って食べてる…。

僕達と何が違うんだ?人間と変わらないじゃないか…。

僕はあくまで等身大の僕自身で関わっていこうと決めた。


「そう言えば百合音ゆりとさん…」


「なんだい?土方君」


「鏡を割った犯人はどうなったんでしょうか?」


「それがね~。痕跡が無くて探せないんだ…」


「そうですか…」


「まぁ…鏡の修理さえ終われば一旦は騒音問題は解決になるんだけどね…」


「なんだか、すっきりしませんね…」


「ああ…そうだね」


神社に祀られている鏡を壊した人物。

それはいったい誰なんだろうか?

とてもいいモノとは思えなかった。


鏡を壊すことで得られるメリットってなんなんだろう?

盗んでオークションに出すとかならまだ分かるんだけどな…。


「土方君」


「はい…なんでしょう?」


「何でも白黒はっきり付ける事が正しいとは限らないんだ」


「それは…今回のことですか?」


「それもあるし…今回に限らず妖怪あやかしが起こす事件は大体は理由が曖昧だ…」


「そう…なんですね」


「だからこれ以上は深く考えない方が良いよ」


「分かりました…紅茶のお代わりいりますか?」


「ああ。頂くよ」


僕は百合音ゆりとさんのティーカップをとって紅茶のお代わりを注いだ。

白黒はっきり付けない方がいい…。

はぁ…。妖怪あやかしって難しいな。


ティーカップの紅茶を除きながら、白黒つけない捉え方を模索した。

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