第278話:初めから持っていたもの

 道路標識を足場に利用した三角飛びからの、延髄蹴りはおよそ少女の放つ蹴りの威力ではなく蚊の頭を大きく揺らす。大人が放つ蹴りよりも数倍の威力はあるが、少し前のスーであれば頭を揺らすどころか、蚊を吹き飛ばし更に連撃を加え倒してしまっていたであろう。


 そして力が足りていないことは本人が一番分かっている。


 蚊が首に蹴りを入れられたまま、スーを左右の腕で掴もうと伸ばす。スーはその腕の一本を両手で掴み蚊の首を蹴り反動を使い鉄棒のごとく逆上がりすると更に一回転、蚊の腕の節の部分を中心に腕を捻じり切る。

 数本の筋で繋がったままの腕を離し胸元に蹴りを入れるが、蚊は衝撃に耐え真ん中の腕でスーを殴る。


「ぐぅ!?」


 軽いスーは大きく吹き飛び停めてあった車の真横に衝突し、車のガラスが割れて派手に散る。


「!?」


 ガラスが割れた窓の枠を掴むと、真上に体を上げルーフ上に飛び乗り低空飛行気味で飛んできた蚊の鋭い口を避ける。

 蚊の口がドアを突き破ると、口を抜く前に頭上を両足で踏みつけ空中で回転し、連続で後ろ頭に蹴りを入れ車と足で挟んで蚊の頭を押しつぶす。


 蚊は僅かに潰れ変形した頭などおかないなしに強引に口を引き抜き、体ごと体当たりする勢いで自らも倒れながらスーを吹き飛ばす。


 道路の転がったスーが素早く立ち上がると同時に、変形した頭と口から緑の汁を垂らしながら蚊がゆっくり起き上がる。


「まったく弱くなったものです。詩たちを待った方が賢いのでしょうが、そうも言ってられないのです」


 町のあちこちで暴走する車によって逃げ惑う人々が、どこへ逃げていいのか分からず行き場を失い時々迷い込んでくる現状でこの蚊を置き去りに出来ないと切れた口もとから滲む血を腕で拭う。


 蚊を睨もうとしたとき、目の前にスーより小さな女の子が立ち塞がる。


「スーお姉ちゃんをいじめたらダメなの!」


 両手を広げて蚊に立ちふさがる小さな女の子の右手には大きなシャチのぬいぐるみの尻尾が握られ、その体には布で作られた絆創膏が貼り付けられている。


「か、かおり!? な、なんでここにいるのです! って危ないのです」


 薫を抱きしめ飛びのくと、さっきまで薫が立っていた場所に蚊の口が突き刺さる。


「スーお姉ちゃんっ久しぶりなの」


「久しぶりなのですけど、今ここに出てきたら危ないのです」


 スーの首にぎゅっと抱きつく薫にスーは注意すると、薫はしゅんとしてしまうのでその姿を見てスーは焦ってしまう。


「スーお姉ちゃん、しらゆきは?」


「え、お留守番なのです」


 しゅんとしていたかと思ったら、スーの後ろを見てウサギのぬいぐるみがないことを不思議そうに尋ねてくる。


「けんかしたの?」


「ううん、違うのです。白雪は少し調子が悪いのでお医者さんに診てもらっているのです」


「ふーん、しらゆきにも会いたかったのに残念なの。じゃあキューちゃんを貸してあげる!」


 そう言って手に持っていたシャチのぬいぐるみをスーに手渡そうとする。


「白雪がいないのでキューちゃんを動かせないのです。それにここは水がないからキューちゃんは泳げないのです」


「スーお姉ちゃん、キューちゃんは水が無くても元気なの」


 困った顔をするスーをじっと見たままの薫がそれがどうしたの? と不思議そうな顔をする。白雪もいなくて自身の力も弱くなって苛立っていたのもあって、その物言いにスーはムッとするが、白雪が乗り移ることで動いていたことを薫は理解できてないから仕方ないと気持ちを静める。

 その間にも襲ってくる蚊の攻撃を避けたとき薫がポツリと呟く。


「お姉ちゃんはお人形を操る人なの。初めて会ったときそう言ってたの」


 薫の声ではあるけど、自分より幼い子の声の向こうに何かを感じたスーがまじまじと薫を見る。


「薫は知ってるの。スーお姉ちゃんは最初っからお人形を上手に使ってたんだよ。それはね、お父さんでもお母さんでもないの。スーお姉ちゃんなの」


 一瞬だけ、薫の黒い瞳に青色が差し込みどこか優しく澄んだ魔力を感じる。だがスーが二度見したときは不思議そうに見つめる薫がいるだけでもう何も感じ取れない。


「はいっ、キューちゃんも頑張るって言ってるの」


 薫が自分の手に持っていたキューちゃんの尻尾をスーの手に握らせる。建物の影に薫を隠して蚊の前に立つスーの手にはキューちゃんが握られている。


 ──渡されたもののどうすればいいのか全く分からないのです。薫のあの言葉を信じるならスーはキューちゃんを動かせる……どうやってやるのです?


 取り合えず魔力をキューちゃんに送り込んでみる。スーの魔力は布系によく馴染むらしくキューちゃんは魔力を纏うがただそれだけである。


 蚊の細い腕が放つフックを避け、魔力を含んで硬くなったキューちゃんをフルスイングして頭を殴る。

 蚊が大きくよろけるが、対してダメージは入っていない。強いて言えばスーのリーチがちょっと伸びたくらいである。


 固さも棍棒程度、ぬいぐるみにしてはかなり固いが決定打には乏しい。


「キューちゃんはもっとぴちぴち動くの。口でがぶぅーってやるの!」


 せっかく隠れさせたのに物陰から覗く薫からキューちゃんの取り扱いについてアドバイスが飛んでくる。


「ぴちぴち? がぶぅーなのですか?」


 薫が何を言っているのかは初めて出会ったとき、そしてOSJで出会ったときに白雪が乗り移ったキューちゃんの動きを言っているのだと理解はするが、それは白雪がいたから出来たのだとの結論にスーの思考は戻ってくる。


 ──そもそも白雪はスーが魔力を充電してその魔力でぬいぐるみを動かしているのです。スーは充電するだけで……ん? あれ? 白雪にはお父さんの魂があってお父さんの魔力で動いてたはずなのです?? あれ? なんで充電する必要があるのです?


 蚊が腕を鋭く作り変え振るった攻撃を、上半身を反らし避けると足払いをし、その勢いのままキューちゃんを蚊のわき腹に振り抜いて距離を取りつつ思考に戻る。


 ──お父さんの魔力はお母さんに渡して今意志があるのです。でも素早く動くことが出来ず戦闘に参加できないのです。それはお母さんが魔力を使えない人でお父さんの魔力は魂の定着に使っていて……だから充電しても魔力が扱えないお母さんにスーの魔力は馴染まず意味がないのです。


 スーはハッとしてキューちゃんを見る。


 ──白雪とスーの密着度が上がることは、お父さんの魂の形が一つに近くなるからじゃないかとエーヴァが言ってたのです。爆発的な戦闘力はお父さんのもの、そして動けなくなるのはスーの力じゃないことの反動なのです。


 手に集める魔力はキューちゃんに流し強化するものではなく、白雪を充電するために流していたもの。


「なんとなく分かったのです。白雪が動いていたのはお父さんの魔力じゃなくてスーのもの。それが意味することは多分っ」


 距離を詰めた蚊の振り下す腕を振り上げたキューちゃんの背で受ける。ここまでは普通、キューちゃんが背を丸め勢いよく跳ねると背で受け止めていた蚊の腕を弾く。

 その勢いに後ろによろける蚊の腹に蹴りを入れ駆け上がると、キューちゃんを顔面目掛け真横に振る。

 顔面への殴打、とはならずキューちゃんが大きく開けた口が蚊の頭にかぶりつく。鋭い歯に頭を捕らえられたまま、スーがキューちゃんの尻尾を握ったまま地面に飛び下りるのに合わせキューちゃんがしなやかに体を弓なりに反らし二人分の反動を持って蚊の頭を引きちぎる。


 ぺっと蚊の頭を吐き出すキューちゃんを持つスーが頭がなくなった蚊を見てニヤリと笑う。


「なるほどスーの力は元々こっちだったのですか。なんとなく分かってきたのです」


 スーの手元でぴちぴち跳ねるキューちゃんが鋭い歯をガチガチ鳴らし威嚇する。

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