第277話:力なき者

 白雪は手に持った帽子をスーの頭に被せ腕を組んで考え込む。


「この帽子は似合わないですか?」


 帽子のつばを握り絞め不安そうに尋ねるスーに白雪が首を大きく振る。


【逆よ逆ぅ! どれも似合いすぎて決まらないの。もースー可愛い過ぎてお母さん困ちゃう!】


「なーんだ、似合いすぎて困ってたのですか。安心したのです!」


 照れて跳ねるスーと両頬を押さえくねくねする白雪の横で、冷めた目をした美心が見ている。


「白雪がなにを言っているか聞こえないんだけど、なんとなく何を言ってるか分かる気がするんだよねぇ」


 冷めた目のまま時計の方に視線を移した美心が小さなため息をつく。


「もうあんまり時間ないんじゃない? 詩との約束の時間に遅れちゃうよ」


「はうっ! もうこんな時間なのです。早く行かないと食べにいける件数が一桁に減ってしまうのです」


「いったいどんだけ行くつもりよ!」


 スーが詩のおじいちゃんから買ってもらったスマホを掲げ、その画面に並んだお店の名前の件数を見た美心は冷めた目を更に細くして呆れる。


「美心、お母さんをお願いしますなのです」


「はいはい、任せといて。食べ過ぎてお腹壊さないようにね……ってスーと詩なら大丈夫か」


 バタバタと急いで準備を終えたスーが部屋を出る前に白雪の長い耳に触れる。白雪の右の耳は長いままだが、左の半分以下になった耳を見て目を潤ませる。


「痛くないのです?」


【大丈夫よ。だってこの間なんか体バラバラにしてお腹にファスナーまで付けたんだから♪】


「それもそうなのです! バラバラでも大丈夫だったから問題ないのです」


 お腹のファスナーを開く白雪と一緒に肩を揺らして笑うスーの二人姿に、美心は人外の何を感じて一歩身を引く。


「ったく、白雪の新しい依代よりしろは制作中だから安心して、スーは詩と食い倒れしてきていいよ」


「はいっ、お願いしますなのです!」


 手をパタパタと振り部屋を出て行くスーを手を振って見送った白雪だが、スーの姿が見えなくなるとペタンと座り込む。


「ったく、無理しなくていいのにさ。立つのも辛いってスーにはちゃんと言った方がいいと思うけどな」


『今日を楽しみにしてたんだから、邪魔しちゃ悪いでしょ。詩ちゃんとのデートが終わったら言うわよ』


「んーそんなものなのかな? 娘としてはもう少し詳しく言って欲しいと思うんだけどなぁ」


『私のわがままよ。それに美心ちゃんが依代を作ってくれれば解決する問題かもしれないし』


 ウインクでもするかのように、首を傾け不揃いの耳を揺らす白雪が持つホワイトボードに書かれた文字を美心は見て、何か言いたげにもごもごと言葉を吐いた後、ふうっと大きく息を吐くと表情を引き締め白雪を見る。


「ここでうだうだ言ってても仕方ないか。今日は一〇センチからいってみよう」


『よろしくねっ☆』


 ホワイトボードを持って可愛く肩を竦める白雪を見て笑みを浮かべた美心は作業に取り掛かるのだった。



 ***



「ちょっと早く着いたのです」


 スキップまではいかないが、一足先に目的地に着いたスーは足取り軽く目当ての店を見て回る。

 時々漂ってくる美味しそうな匂いに体を引っ張られては我に返り、首をブンブンと振って「食べたい」と言う邪念を振り払う。


 商店街に漂う美味しそうな匂いを吸って胸に入れるとスーは幸せな気分に浸る。二週間前までは、前世の記憶を持っていて自分がマティアスだと認識しているなかにある小さな違和感をずっと感じていた。

 例えるならお腹が空いているのになんだか胸がむかむかして気持ち悪い感じ。


 自分がカミュラの生まれ変わりだと認識したときのジャストフィット感はショートケーキに乗せたイチゴのような感じだったと、たまたま目に入ったケーキ屋を見て納得したスーが大きく頷く。


「あそこのケーキも食べたいのです。おじいちゃんのお土産にいいかもしれないのです」


 もちろん自分の分も忘れずに買おうと誓う。


 日本に来てから見慣れた景色だが、新たな自分で見ると新鮮に感じるものである。漠然とした幸せ、なんでもないから感じられるもの。


 スーは自分の胸に手を当てる。


 ここにいれること、こうして思えること、そんな幸せを感じる時間を自分に与えてくれた両親に感謝する。


「今度お母さんと来るのです」


 いつも背負っていたウサギのぬいぐるみのことを思い出し、いつもより寂しい背中を思って寂しくなる。


 ふと目を細めたタイミングで、ズボンのポケットに入れていたスマホがけたたましい音を立て始める。それはスーだけでなく商店街のあちらこちらから聞こえてくる。


「緊急アラームなのです。このタイミングで最悪なのです!」


 スマホの画面に流れる文字に険しい表情になったスーの耳に甲高い音が通り抜ける。


「羽音?」


 確認する間もなくすぐに、少し離れたところでパトカーがサイレンを鳴り響かせ建屋内に避難するように呼び掛ける声が聞こえてきたと思ったら、タイヤが擦れるスキール音と激しい破壊音が響きサイレンの音が聞こえなくなる。


 突然の緊急アラームにパニック気味の商店街の中で人の波に逆らい走るスーが道路の方へ向かうと、普段は見ることのない腹を見せひっくり返るパトカーが煙を上げ道路に転がっていた。


 周囲の逃げる人をかき分けパトカーの元へむかうと煙の中で何かがゆっくりと立ち上げる。それは怪我をしている警官を手に持ちスーを見る。


「蚊? であってるのですか」


 二メートル近くある蚊は二本の足で立ち、鋭い口に生えた細かい毛を揺らしどこを見ているか分からない目でスーを凝視する。


 この蚊、ここより先で広げられているデッドヒートに参加すべくピカピカ光るパトカーを乗っ取ろうとしたが、事故られ失敗したことに傷心中だったが目の前に現れた小さな現地の二足歩行の生物を見て、手に握っていた警官の頭をぎちぎちと締め付ける。

 彼の細胞に深く刻まれた希少種の情報、そのうちの一匹が目の前に現れたことに傷付いた心も一瞬で完治し興奮状態となっていた。


 怪我した警官を放り投げると羽根を広げ、体を僅かに浮かせ地面を蹴ってスーに向かって鋭い口を突き出す。


 手先に魔力を集め、蚊の口をギリギリで避けながら手で払いカウンターを決める……だが現実はスーは吹き飛ばされガードレールに衝突する。


「くっ、タイミングが遅かったのです……」


 跳ね起き、蚊の追撃をしゃがんで避けると蹴りを人で言うふくらはぎ辺りに決め、そこを視点に体を回転させもう一方の足の裏で顎を蹴り上げる。


 蚊の頭が大きく揺れるが蹴りの衝撃に耐えつつ、二本の腕を振りスーを薙ぎ払う。


 スーは大きく吹き飛び道路を転がる。


 手のひらで道路を叩きその勢いで飛び起き、手のひらに魔力を集める。スーの必殺技の代表とも言える玉兎ぎょくとを放つための魔力は集まりこそすれど、凝縮されずゆらゆらと揺れる。


「前よりも魔力の収束が出来なくなってるのです。日に日に力が落ちてる気はしてたのですがここまで弱くなるものなのですか」


 手で揺れる魔力を握りしめると目の前の巨大な蚊を睨む。

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