第166話:風の牙
鹿の顔面は硬化しており、表情に乏しくなっているが、それでも血走る目から苛立っているのは誰の目から見ても明らかである。
体から這い出す舌も硬化しており鋭い輝きを見せるそれは、無数の剣が連なり鞭のようにしなる、架空の武器である蛇腹剣《じゃばらけん》とでも呼べばいいだろうか。
鋭くしならせ、周囲を切り裂きながら進む鹿から離れた道路に大柄な犬がのそっり現れる。
大きな犬の登場に鹿は警戒し身構えるが、彼の名は
彼の真上を、火の玉が通過する。シュナイダーの放った『
火嵐は鹿に当たることなく舌によって切り裂かれるが、それと同時に鹿の真横に風の刃が当たり弾ける。
鹿が風の刃が飛んできた方向を見ると塀の上に尻尾を振ってアピールする黒猫、
コツンと鹿の硬い頭の上に何かが当たる。
下に視線をやると石ころが落ちている。
石が落ちてきたであろう空を見上げると、大空を数羽のカラスが飛び石ころを投下している。硬い体に石ころなどダメージにもならないが、苛立たせるには十分。落下物の中には芋虫なども混ざってることから、ダメージ狙いではなく完全に馬鹿にしているのが伝わってくる。
苛立つ鹿の後ろ脚で火が弾けると、みゃおー! っと自分が放ったとでも言わんばかりにアピールする白にクロブチの猫
顔面にも風の刃がぶつかり弾ける。その方向にはダックスフントがはっはっ息を切らしながらやり切った表情で鹿を見つめる。
鹿は自分を囲む小さな動物たちに身構え警戒しながら思考する。
自分がこの星で目覚めたときに頭の中にあった情報は、同じ姿をした生物の中にも異常に強い種がいるから優先的に駆除しろというもの。ただそれがどれだけいるか、正確な数は分からない。
ならば自分を囲う生き物たちが、頭の中にある情報の希少種なのかもしれない。全方向を警戒する鹿をあざ笑うかの様に、囲んでいた猫や犬は去って身を隠す。
気配を探る鹿だが、全方向に注意を払ったことにより散漫になる警戒は、油断を生む。
鹿の体に風が吹き付ける。
風を纏うシュナイダーが頭からぶつかってきて、鹿の体に大きな衝撃が走る。
「どうした? 注意散漫じゃないか。イライラは戦場で死を招くぞ」
シュナイダーの首を中心に数本の牙の形状をした風が反時計回りに回る。高速回転するその牙は、鹿の硬い体に歯を立て削っていく。比較的接合部の弱い舌が数本千切れ宙を舞う。
「未完成だがいけるな。『
大きく体を傾けるエロ鹿の胴を蹴ると地面に転がす。
地面ごと鹿の体を削りながら一本の線を引くとその線は、直角に向きを変え何本も線を引きながら段々上に上がっていく。
エロ鹿の真上に到達したシュナイダーが頭を真下にして空中に張り付く。
シュナイダーを中心に空気が集まる。
瞬間弾けるシュナイダーは空気を切り裂き、音を置き去りにし地面で立ち上がろうとするエロ鹿を地面に叩きつける。
同時に起こる風の渦は高速に回転し螺旋模様を描く。
硬いエロ鹿の体を砕き、破片と血飛沫が舞い上がる中、風はその色を変え業火となる。
渦巻く炎が上空へ激しく昇っていく。
地面を焼き、周囲の建物の壁を焼く熱風は、必死に身を隠すめい子にも伝わってくる。熱い熱風を頬に受け皮膚を赤くしながらも、ことの成り行きを見ようとする。
炎が消える瞬間大きく風が吹き強烈な熱風を周囲に放つと、中心には焦げたエロ鹿の上に立つシュナイダーが自慢げに立っている。
「『風牙』からの『
言うなればこの勝利は愛! 愛無きエロ鹿には勝つことなど土台無理だったのだ!
愛を知れ愛を!」
くっくっくと笑うシュナイダーのセリフを聞いてめい子は思う。
──シュナイダー君のセリフ面白い! お笑いのセンスある犬って最高じゃない!!
そんなことを思いながらキラキラ視線を送るめい子に気付いたシュナイダーが、ウインクをする。
お笑い芸
ウインクをしたシュナイダーに手を振るめい子だが、突然視界がふさがれ大きく揺れる。
まだ熱を持つ柔らかい毛並みのシュナイダーが自分に覆い被さっていたことに気が付いたのは、シュナイダーが自分から引きはがされ吹き飛んでからだった。
めい子は仰向けに転げ背中を打つが、痛みより先にシュナイダーが飛ばされた方向を見ようと自分でも驚くほど俊敏に上半身を起こし、何が起きたのか把握しようとする。
背中からどくどくと血を流し地面に赤い染みを広げるシュナイダーを見て、めい子は声を失う。
そして自分の頭部に生暖かい風を感じ振り返ると、目の前に黄色い大きな顔があることに気付き体を強張らせる。
「ト、トラ……なんでここに」
トラは黄色の毛並みに黒の縞模様をなびかせ、ちぎれた尻尾をゆっくり振りながらめい子を見て舌なめずりをする。
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