第76話:名乗る名は無い
巫女の服に袖を通し、猫のお面を被る。筆と買い直した直尺を装備すると、窓から出て屋根に上る。下にいるはずのシュナイダーはすでにいない。
耳につけてある通信のスイッチを押して、話しかける。
「私は今からいく。うん、場所は飲み屋街……
〈警察無線が、そこにいった警官の無線が繋がらないって言ってるから、間違いないと思う。シュナイダーは、先に行ったんだよね?〉
「うん、先に行ったみたい。通信はもう繋がらないし。エーヴァにも通信機持たしてればよかったんだけどね。
まあ、私らだけでやるしかないか。じゃあ通信切るよ」
〈え、えっと気を付けて〉
「うん、ありがと」
通信を切ると屋根を蹴って跳びながら移動を開始する。
* * *
目的地である栄町に近付くとすぐに、煙が上がっているのが見える。パトカーや消防車が忙しなく走り、段々騒がしくなってくる。そして濃くなってくる、シュナイダーとエーヴァの魔力。
「あれ? エーヴァもいるんだ。2人ともバラバラの位置で戦ってるっぽい、ということは複数いるタイプか……さて何が出てくるのやら」
警察も野次馬も増え、屋根の上の移動は逆に目立つと判断した私は、下に降り路地裏を人の気配を避け、移動していく。
強化していない耳にも聞こえる発砲音が鳴り響く。音の方へ加速して路地裏を走ると、2人の警官が発砲し、硝煙の上がる拳銃を手に持っている。
だが、動じることなく向かってくるそいつに腰を抜かし、座りこんで後ずさっている。
警官の発砲した相手を見て、お面の下の私の表情はかなり渋い。
(最悪だぁ~、よりによってゴキブリはないわぁ~)
警官の手前、声に出さず筆に血を吸わせると『剣』の漢字を宙に描く。
袖から滑らせ取り出した2本の直尺を『剣』に通し、剣に変わったそれを手に持ち構え、相手に向かって走る。
警官は突然現れた私に驚いた顔をし、私を止めようとしているのだろうが、声が出ないのか震える手を伸ばすだけだ。
腹部から撃たれたのであろう傷から、血みたいなのが垂れているのが見える。全然赤くないのが気持ち悪い。デカイゴキブリが手を広げ向かってくる。
剣で弧を描き、2本の手を切り飛ばすと、デカイゴキブリの腹部を蹴って、バク転しながら後ろに下がる。
大きく後ろによろけるデカイゴキブリとの間合いを一気に詰め、真ん中の手を切ると、そのまま回転し腹部を連続で切る。
開いた傷口に剣を突き立てると、事前に手の甲に描いてあった『火』の漢字に魔力を通す。剣から伝う火は傷口から侵入し、内部から焼いていく。
体の中が焼けているというのに動くデカイゴキブリは、私に向かってこようとするので、もう1本の剣を首と体の付け根に突き立て、火を伝わせ更に内部に火を通すと焼けて脆くなる接続部に剣を這わせ首を切り取る。
内部が焼け、ゆっくり崩れ落ちるデカイゴキブリ。そして胴から離れたのに、未だ触覚と口を動かす頭の眉間に、剣を突き刺し燃やしてしまう。
焦げた頭部を、剣を振って投げ捨て、警官の方へ向かって歩いていく。
「逃げ遅れた人は、どれくらいいる? 警察の人数は?」
地面に座り込んだまま、私を呆然とした表情で見る2人の警官に話しかけるが、反応出来ないようで目を見開き、ただただ視線を寄越すだけだ。
「まあいい。あなたたちも逃げて。そのついでに出来たらでいい、逃げ遅れた人がいれば助けてあげて」
それだけ言って走り去る。何本も地面に引かれる雑な赤いライン、そのライン上に散らばる食い破られた死体。
これだけ凄惨なものを見れば、あの警官たちの反応も仕方ないだろう。
うわぁぁっ!!
少し離れた場所で、男の悲鳴が聞こえる。急いで向かうと、デカイゴキブリに壁へ追い込まれ、今まさに襲われる瞬間。
私に背を見せるデカイゴキブリの脇腹に剣を突き立て、そのまま後ろに引きバランスを崩させると、腹部を蹴って剣を抜きながら後ろに下がらせる。
左の剣に血を這わせ、剣の先端に溜まった血で宙に『刃』を描き、右手に描いてある『鋭』を右の剣に宿す。その右の剣を『刃』の漢字めがけ投げ『鋭刃』を完成させる。
剣はデカイゴキブリの胸を貫き貫通すると、後ろの壁に刺さる。
その間に間合いを詰め、貫かれ空いた穴に、左の剣を突き立て左手の甲の『雷』を剣に宿し、そのまま剣を縦に振り上げ、雷の軌跡を引きながら弧を描く。
胸元から上を縦半分に割り、雷で内部が焼け倒れるデカイゴキブリ。
壁に刺さった剣を抜くと、振り返って襲われていた男の安否を確認しようとする。危うく「げっ!?」と叫びそうになる。
襲われていた場所は、ゴミを保管する場所らしく、ゴミ袋が積み上がっていた。
そのゴミの前で襲われていた男は、確か小椋とかいう人だ。そしてゴミの山に刺さっている人の名前は、坂口だったっけ?
全くしつこい。どこにでも出てくるなこの人たち。仕事なんだろうけど、こんな夜まで働くとは、公務員の勤務体制はどうなっているんだろうか。
「君は何者なんだ?」
何者? 何者なんだ私? よく正義の味方が「名乗るほどの者ではないとか」「お前に名乗る名はない」とか言うけど、あれって実は、いい表現がなくて答えれないだけじゃないだろうか?
正直に答えれないし、あんまり言うと情報を与え過ぎてボロが出るし、何も言わないのも印象悪い。となるとやはり名前を名乗らないのは、最適解だと思われる。
少し遠慮がちに言うのがポイントだ。
う~ん、昔の偉大な人たちありがたく使わせて頂きます。
「あなたたちに、名乗る名はない。それより逃げて」
それだけ言って、まだ何か言う2人を無視して塀に飛び上がると、その上を走って逃げる。
これはカッコいいぞ! 昔の人は本当に偉大だ!
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