奏でる旋律は繊細に激しく

第64話:留学いたしますわ

 白いテーブルクロスを敷いたテーブルの上には、豪勢な料理が並ぶ。その料理を前に座る3人の親子は、優雅に食事をしながら談笑している。


 恰幅のいい目付きの鋭い男の名は、エゴール・クルバトフ。左頬の目の下から顎にかけ縦に大きな傷跡があり、歴戦の男の風格を漂わせている。

 だがこの傷跡が、幼少期に納屋のハシゴから落ちて、壁から飛び出た釘による怪我が原因だと知るものは少い。

 本人も箔がついて丁度良いと、戦場でついた傷跡ということにしている。


 その左手に座る女性、金色のブロンドヘアーは美しく、テーブルの蝋燭の光を反射させキラキラ輝いている。

 優雅にフォークとナイフを使い肉を切っている、何気ない日常の生活の姿さえ美しく見える彼女の名は、オクサナ・クルバトフ。


 そして女性と向かい合って座る銀色の髪を煌めかせ、母であるオクサナと負けず劣らず美しく優雅に食事をする女の子。

 名をエヴァンジェリーナ・クルバトフ。愛称は福音を意味し、親しみを込め『エーヴァ』と呼ばれている。


 エーヴァがナプキンで口を拭くと深緑の瞳で父親であるエゴールに視線を移す。

 対するエゴールは、表情が強張っていて、視線を合わさないように努めているように見える。


「お父様、兼ねてからの約束通り、わたくしは日本へ留学いたしますわ」


 エゴールの表情は更に強張り険しくなる。


「エーヴァ、予定通り、週末には発つのかしら?」


「ええ、お母様。日本の方での住まいも確保致しましたし、抜かりはありませんわ」


「まあ! エーヴァ、そんなことまで本当に1人でやってのけるなんてすごいわ。最初全部任せて欲しいと言ったときはお母さん心配したけど、余計だったわね」


 母と娘はクスクス笑う。


「やだ」


 オクサナとエーヴァが同時に声を発した方へと顔を向ける。


「エーヴァが日本に行くのパパやだ」


 見た目が厳つい大男が子供のようなに駄々をこね始める。そんな姿に眉間にシワを寄せ呆れた顔をするオクサナが、そっとナイフとフォークを置き鋭い目付きで睨む。


「あなた、何度その話をするのかしら? エーヴァが自立して羽ばたこうとしているのよ。それを邪魔すると! そういうわけですの?」


 エゴールは肩をすくめシュンと小さくなる。更に攻め立てようとするオクサナをエーヴァが横から口を挟み制止する。


「お母様、お父様はわたくしを心配しての発言ですから、そんなに責めてあげないであげてくださいな」


 オクサナは前のめりになっていた姿勢を元に戻し、エゴールは神に救われたかの様な表情でエーヴァを見る。その目には涙が浮かんでいる。


「お父様、わたくしエーヴァはこれまでなに不自由のない生活をしてきましたわ。それはお父様とお母様、そしてお屋敷のみんなのお陰。とても感謝いたしてますわ」


 このエーヴァの言葉に母、オクサナは涙ぐみ、屋敷に仕える人たちも目が潤む。

 父、エゴールは涙をボロボロ流していて、もはや号泣と言っても差し支えないだろう。


「でも、いつまでも頼ってばかりではいけませんわ。いずれ恩をみんなに返す、そのときにわたくしは強くありたいのです。

 ですからこの留学はそのための一歩ですの。どうか許してもらえませんかお父様?」


 エゴールは人目もはばからずエーヴァを抱きしめ号泣する。


「ああ、わしの可愛いエーヴァ! 分かったよ、行っておいで。でも本当にSPを50人つけなくて良いのか? 身の回りの世話にメイドも30人雇うのも本当に良いのか?」


「そ、そんなに部屋に入りませんわ」


「そんな小さな所に住むのかエーヴァ!? ああやっぱり心配だ! そうだそれにこの間みたいなことも」


 エーヴァがエゴールに優しい微笑を浮かべ優しく語りかける。


「お父様、わたくしは運も良いですから大丈夫ですわ。

 この間も例の小屋に到着する前に熊が襲ってきて、車に取り残されたわたくしは逃げれたのですから」


 優しい語り口調にエゴールも落ち着いてきたのか、エーヴァを抱きしめる力が緩んでいく。


「た、確かに……それにエーヴァは冷静に判断し、アラたちを怪我なく無事に逃がし、助けを呼ぶように仕向けたと聞いている。その結果エーヴァも無事に帰ってこれた」


「ええ、それもお父様たちが助けにきてくれる。そう信じていたからこそ出来たことですわ。日本に行ってもそれは変わらない、そう信じていますわ。ですから笑顔でわたくしを送って安心させてくださいな」


「おぉすまん!! わしが間違っていた。許しておくれ」


 エゴール涙を拭い笑顔でエーヴァの頭を撫でるとエーヴァも笑顔で答える。


「行っておいでエーヴァ」


「はい、お父様」



 * * *



 機内の窓から外を覗きながら4日前のことを思い出すエーヴァのエメラルドの瞳は、雲を映し流れていく。


(はぁ~、ようやく日本にいけるけどこっちの世界の親ってあんな感じなのかね?)


 心でため息をついて、エーヴァが目の前で自分と同じく外を眺め目を輝かせているアラの姿を瞳に映す。


 今回の留学でエーヴァの世話をするためついてきたアラ・ベロノゴフ。

 彼女は大人びて見えるが19歳、エーヴァの4つ上だ。エーヴァが2歳のときに付き人としてやって来て、かれこれ13年の付き合いになる。姉のような存在であるが、少しおっちょこちょいなところがあり、正直頼りないところもある。

 だが、先日誘拐されたときは震えながらも身を呈して自分を守ってくれたアラをエーヴァは信頼している。


(家族か……前世でもいたけど、今も子孫とか生きてんのかね。まあ、あたしは結婚してないから姉ちゃんの子孫か)


「お嬢様、お嬢様! 日本に着いたら何処へいきましょうか?」


 アラがガイドブックを広げ話し掛けてくる。とても楽しそうである。


「楽しみね」


「ええ! とても楽しみですね、はい!」


 短く答えるエーヴァに満面の笑みで返事をするアラ。対しエーヴァの心は別のことを考えている。


(あたしの目的……エレノア、いや鞘野詩に勝負を挑み勝つこと。そしてなにより、あいつには言いたいことがある)


 まだまだ続く空の旅の中、エーヴァは物思いふける。

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