第60話:猫巫女
手に持つ鉄の梯子が汗で滑りそうになる。額から落ちた汗が下に落ちるとそいつの頭にポタンと落ちる。上を見ると赤く光る瞳がニヤリと笑った気がした。
下も赤い瞳で溢れ返っている。そして下からガリガリと金属を削る音が耳に響いてくる。梯子のつけねを鋭い歯で噛り削っているが暗闇に慣れた目で憎たらしいくらいよく見える。
「くそっ遊んでやがるのか」
悔しいがそんな言葉しか出てこない坂口は走馬灯のようにここまでのことを思い出す。
* * *
小椋と一緒に下水道を歩いていた坂口の左足に激痛が走り転けてしまう。心配して駆け寄る小椋だが周囲の気配に恐れおののく2人。
前に六つ、後ろに八つの赤い光が暗闇に揺らめいていたのだ。
頭のヘッドライトがハッキリと映しだすネズミ。だが体長1メートルはあるその体と赤く光る目に知性を宿している感じに普通のネズミとは違う違和感を感じる。
一匹のネズミの歯から血が滴り落ちる。おそらく坂口の足を切ったネズミだろう。血を味うように口の回りを舐めジュルジュルと口の中で血を転がす。
坂口が人生で初めて感じる死の恐怖。痛む足を震わせながら立ち上がるもののなんの打開策も思い付かない。
「坂口さん逃げますよ」
小椋が坂口の肩を自分の首に回し肩を組むと拳を握って身構える。
「俺はいい、お前だけ逃げろ」
「いやですよ。こんなカピバラみたいなネズミから逃げたなんてカッコ悪いでしょ」
ジリッと小椋たちが前に出ようとするとネズミたちもジリッと下がり間合いを一定に保つ。
「自分達に危害が及ばず自分達の攻撃が届く範囲を保っているってとこか」
「賢いですね。この場合迷惑ですけど」
愚痴りながらこのままなす術がないかと思われたとき上から飛び降りてくる黒い塊。
そいつはチャッと爪をたて着地すると
キシャャャャッッッッ!!
黒い塊は鋭い鳴き声で鳴いてネズミを威嚇する。鳴き声の主がヘッドライトの明かりに照らされると黒猫の姿が闇から浮かび上がる。
小柄だが毛を逆立て威嚇する姿にネズミの本能がそうさせたのか一瞬体を強ばらせ身を引いてしまう。
無意識だった。もうここで逃げなければ後はないそう本能的に悟った2人は走る。坂口は足が痛いことなんて忘れて走る。
上へ上へ地上に向かって行くが逃走劇はすぐに終わる。数もスピードもネズミの方が上だったわけで初めからどのみちこうなる運命だったのだ。
黒猫のお陰で少しだけ伸びた命。それだけでも感謝すべきなのかもしれない。
そう思いながら下水道の点検通路に前後にいるネズミたちを睨む。
この点検通路は人1.5人分の横幅分の広さしかない。下を見ると約3メートル程度、飛び降りるにのは少し辛い。
前を見るとネズミ4匹後ろは6匹といったところだ。
「小椋、ちょっと頼まれてくれないか」
「なんです?」
いつも明るい小椋だが流石に声が上擦っている。
「助け呼んでくれ。ここは俺が引き受ける」
「は? 何を──」
「いいかこれ以上時間をかけてもネズミどもは増えていく。まだ集まっていない今のうちに俺が前の4匹にタックルする。その隙にお前は走って地上に行け」
「何を──」
「よしじゃあ行くぞ。1、2のさん!!」
坂口が手を広げ倒れるようにネズミにタックルをする。
「走れぇぇぇ!」
坂口の声で反射的に走り出す小椋。小さくなっていくその姿に安堵と寂しさを感じながら見送る坂口は背中に乗られ右肩をネズミ歯をたてる。
「あぐうぁあっ」
痛みで反射的にのけ反り転がる。それ災いした。たまたま脇にあった下水道通路に降りるための梯子があったのだ。
助かる見込みなんて全くないが下に落ちる様に梯子になんとかぶら下がる。
勢いよく落ちたお陰か背中のネズミは下へ落ちていく。
左足も痛い、右肩も痛いさらに上にも下にもネズミたちが次々と集まってきて上下からの視線に挟まれる。
だがネズミたちは襲ってこない。なにやら思考している様子をみせ一匹が梯子のつけね溶接部分を歯で削り始める。ガリガリ響く音がとても耳障りで坂口の傷に響く。
流石に鉄を噛みきるほどの強度はないのか最初のネズミが前歯を擦りながら離れると別のネズミが梯子を削り始める。
他のネズミは削るのを見守る者、坂口を見て表情こそ読めないが笑っている感じを醸し出す者がいる。
「楽しんでやがるのか。悪趣味なネズミだ」
削られる梯子を見ていっそこの手を離して落ちてしまおうか。そんなことも考えてしまう。
でも小椋が助けを呼んできてくれるかもなんて期待もしてしまうし、やっぱり死にたくない。いろんな考えがぐるぐる回る。
ガチィン!! バギッ!
梯子の上の一部が壊れそして下も一ヶ所が噛みきられる。再びガリガリと音が下から聞こえてくる。
「先に下を壊してくれるなんて優しいネズミだな」
精一杯の強がり。本当は泣きたい、泣きたいし叫びたい。でもそれをやったらもう自分を取り戻せそうにないから必死で耐える。
バギッ! と音が下から聞こえ続いて上からガリガリ音が聞こえてくる。あぁもう終わる。どうせなら一発で殺してくれないかな? 噛られて死ぬとか最悪だ。そう思いながら意識が少し薄れていくのを感じる。
その薄くなる意識を焼くような炎が一直線に落ちてきて下水道にあたると炎は大きく広がり熱波を上空に巻き上げ火の粉が舞い落ちてくる。
その身を焦がす熱に坂口の意識がはっきりと戻ってきて炎の中心にいる赤く燃える犬をその瞳に捉える。
その様子を目に焼き付けていると体が突如引っ張られ宙に浮く。
大人の自分を片手で軽々と持ち飛び降りる猫のお面を被った巫女のような姿をした女性。そのまま軽やかに着地すると雑に犬の背中に坂口を投げる。
「ここは私がやる。その人連れていって」
犬は言葉を理解したように坂口を乗せて走り始める。猫巫女の女性に話し掛けなければそう思うが声を出す間もなくもうスピードで犬は走っていく。
最後に坂口が見たのは猫巫女が袖から2本の鉄の板を滑らせ取り出す姿だった。
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