第5話:込められた意味をのせて
白かった筆の毛先が、私の血を吸って赤く染まる。そのまま大きく丸を描くと、宙に力強い円が浮かび上がる。
一瞬時計回りに字を書こうとするが、手を止める。エウロパ文字は字の組み合わせで、ものを表現するが、漢字には、文字そのものに意味が込められている。なら!
『火』
力強く書いた字は漢字の『火』は燃え盛る火を表している。その成り立ち通り、既にメラメラと燃えている字に向かって私は拳を叩き付ける。
叩き付けた瞬間、放射状に火が大きく弾け火花の様に弾けると倒れている巨大カナブンの体に、穴を空けながら吹き飛ばし、壁に叩き付ける。
「なんか分かった気がする!」
そのとき、上から突然大量の水が勢いよく降り注ぎ始め、ジリリリリ!! っとけたたましい音を立て、ベルが鳴り響き始める。
「スプリンクラー!? 動くの初めて見た」
どうやら私の出した火に反応したらしい。天井から大量の水が噴射されている。
バシャッ!
大きな水しぶきを上げ巨大カナブンが立ち上がる。その体には無数の穴が空いており、そこから茶色い液体がダラダラと流れている。
虫タイプの魔物は、構造が単純なせいか生命力が異常に強かったりするけど、コイツも同じなのだろうか?
まあ、どうでも良いけど。
再び筆で血を掬うと、床に溜まった水の上に丸を書いて漢字を書く。
『流』
その文字をドン! っと足で踏むと、水が巨大カナブンに向かって流れ始める。
足首にも満たない程度の深さしかない水溜まりなので、攻撃力はないが足元をすくうには十分だ。
巨大カナブンは、思わぬ攻撃に足を取られ、前のめりになってしまう。
その直前に水面に描いた漢字を私は拾い上げる。
『弓』
『矢』
水から拾い上げた漢字はドロリと溶けるように形を崩し、水で出来た弓と矢を形成する。
その弓に矢をつがえ水の弦を引いて狙いを定める。
「前世のときより使いやすい! ってことでサヨナラだよっ!」
バシュン! と床の水を切り裂き、水飛沫を上げながら水の矢が飛んでいき、巨大カナブンの頭部に突き刺さる。その勢いのまま壁をぶち破り吹き飛んでいき、隣の店舗であるメガネ屋のショーケースを派手に粉砕しながら奥の壁に激突する。
「ああ! ヤバっ! 隣のメガネ屋さんまで壊しちゃった!」
大きく空いた穴を見て焦る私だが、もうどうしようもない。奥には四肢が飛びッ散った巨大カナブンが、壁にめり込んでいるのが見える。
無惨な姿になった巨大カナブンに取り敢えず、近付いてみる。
「魔物なのかな? でもこの世界にはいないはずだし、なんなんだろ?」
恐る恐る蹴って生存を確かめる。
ピクリとも動かないし、死んでるっぽい。これ以上ここにいる意味もない私は、メガネ屋さんから外へ出る。
そのまま未だ踞る親子の元に近付くと、咳払いをして話し掛ける。
「えっと、あのー」
私が声を掛けると身を震わせるお母さん。その腕の隙間から女の子が私をじっと見つめてくる。
ああ、視線が痛い……
アニメのお面を着け、てるてる坊主な格好の私を笑うがいいさ。もういっそ笑ってくれた方が助かるんだけど。
自暴自棄に陥る私の耳に、小さな声が聞こえる。
「フラデストロイ?」
え? なんっだって? 女の子が私を指差してなんか言った。
ボソッと言ったから、あんまり聞き取れなかった。
「えーと何かな?」
「フラデストロイ……なの?」
フラデストロイ? なんじゃそれ? 待てよフラって……あーあれだ! 小さい頃見たことがある。
『フラプリ』のシリーズで『なんとかフラプリ』と言って登場キャラにも名前がついてた気がする。それが『フラなんちゃら』って名乗るんだったような……
今放送しているのが、このお面のキャラでおそらく『デストロイ』が名前なのだ。
ここは上手く合わせるしかない。
「そう私はフラデストロイ! 悪い奴は私がやっつけたから安心して!」
喋り方なんか分かんないから、適当にそれっぽいことを言ってみる。
そんな適当な台詞でも女の子の目に少しだけ光が灯る。
「ありがとう、フラデストロイ」
小さいな声だがお礼を言われる。なんだか少しホッとした。
「うん、じゃお母さんと気を付けて帰ってね」
「うん」
お母さんに抱き締められたまま小さく頷く女の子。その声を聞いてお母さんも少し安心したのか、抱き締める力を緩めゆっくりと体を起こし私を見る。
私はお面越しに微笑むとサッと身を翻す。
あれ? 意外にカッコよくない私?
「フラデストロイ!」
女の子が呼び止めるが、私はあえて振り返らず背中で聞く。やっぱカッコいい気がする。
「……あのセリフ言わないの?」
え? 何? セリフ?
「え、えーと……なんだっけ?」
「お前達の命も、野望も、この私がデストロイしてやる! 怯えるがいい! 私の名は、フラデストロイ! だよ」
なんだそれ? 悪役みたいな台詞じゃんよ。
だが言わねば、女の子の精神も安定してるっぽいし少しでも気持ちが和らぐならやるしかない! 恥ずかしいけどやるんだ私!
「ふ、よく覚えていてくれたね。ちょっと試したんだよ。
お前達の命も、野望も、この私がデストロイしてやる! 怯えるがいい! 私の名は、フラデストロイ! さらばだ!」
私は地面を蹴り屋根まで飛び上がると、文字通り逃げるように走っていく。
前世でも村人とか助けて、ものすごーくお礼を言われ、銅像建てるとか言い出して恥ずかしい思いをしたことあったけど、これ程に恥ずかしかったことがあっただろうか。いやない!
お面を外して、恥ずかしくて火照る頬を小雨にあてながら私は人のいない場所まで逃げるのだった。
そうこれが私、鞘野 詩の転生後初めての戦い。これが序章であり大きな戦いになるとは今の私は知らなかったのである。
* * *
巨大カナブンの砕けた体から、ソフトボール位の大きさの茶色の種の様な物が、ヌルリと落ちる。
落ちた種から節のある、蟹の様な足が生えてきて、カサカサと何処かへ去っていく。
──緊急、緊急連絡……地球人には危険な種が存在する模様。
至急応援を要求する──
種はキーキーと鳴きながら、暗闇に消えていく。
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