第16話 本懐を遂げるために

 ルーベンから不法入国した黒猫のような女囚人は、漆黒の翼を持つ有翼人、ニグレドと何らかの関係がある。そのため、ニグレドの収監されているこの監獄へと送られてきた。

 しかし本来ならばそれは不必要な処置だったのだ。



 そもそもの失態は第一大隊近衛部隊にあった。


 同隊所属の、無能な働き者たちによる思慮分別を欠く「正義」が、ニグレドへの虐待に繋がり、ニグレドは漆黒の片翼が折られ、人間と意思の疎通もままならなくなってしまった。

 せっかくの漆黒の有翼人も、これではただの肉塊に等しい。


「・・・愚かな。」 


 カエルラは深く絶望していた。


 第二大隊情報部隊参謀本部地下にある「有翼人生態研究所」通称ラボにて、有翼人の研究という名の実験に明け暮れていた当時から、この地に舞い降りた初期の有翼人を生体で入手することは悲願だった。


 始祖の有翼人であるプルウィウス・アルクスの献体の一部を、諸先輩方の長年の研究の末、近年ようやく細分化してホムンクルスの生成にまで漕ぎ着けることができていた。


 とはいえ、未だにどの実験体も不完全な「有翼人」らしき生き物止まりで霊長類にさえも程遠い。それは正しく「有翼人亜種」であり、単なる偽物の生命体でしかなかった。


(だからこそ、生体が必要なんだ。《混沌のニグレド》の遺伝子を体外受精させることができれば、人類は新たなステージに上ることができるというのにっ)


 カエルラには確信めいた希望があった。

 有翼人と人間との混血のポテンシャルの高さはすでに証明されている。それを量産することができれば、この国の兵力は増し、「害獣」有翼人の襲来にも怯えなくてもすむ日々は必ず訪れるのだ。


 だからこそ、生きる意味を見いだせなくなっているニグレドを発奮させるため、黒髪の女囚人を差し出す必要があった。


「・・・素晴らしい」

 

 黒髪の女囚人を脱走させると、案の定、真っ先に女はニグレドの元へと駆けつけた。

 黒髪の女囚人の呼び掛けにこそニグレドは応じなかったが、女が兵士たちに折檻された瞬間、ニグレドは己の意思で立ち上がり、目を赤く血走らせ、漆黒の威圧を渦巻くように人間たちに吹き付けた。


『その女を離せ!』


 それは、猿轡をされた口から漏れた声ではなかった。

 人間の脳へと直接かけられた圧力。

 屈するようにほとんどの兵士が腰を抜かしてその場に転げ回った。


 漆黒の片翼は大きく開き、鉄格子の向こうで仁王立ちする姿は、まさに人の姿に似せただけの神を思わせた。


「素晴らしい。」


 漆黒が赤く光るそのニグレドの眼を目の当たりにして、カエルラの碧眼からは宝石のような涙が溢れた。

 しかし。


「やめろ!黒!」


 無粋な女の声に、涙はすぐさま消え去り、カエルラは怒りに似た感情を覚えて戦慄いた。

 端正な顔が醜く歪む。


「・・・なんということだ。」


 カエルラは小さく呟き大きく落胆した。


 女囚人の呼びかけに、漆黒の神は赤い涙を流し、荘厳さをかなぐり捨てるように、その場に崩れ落ちたのだ。

 

(・・・あの女は、神殺しになる。)


 カエルラは歯噛みし、そっと後退る。すぐさま踵を返すと急ぎ地下牢を後にした。


     ・・・


 日はとっぷり暮れていた。

 第一大隊近衛部隊管轄の収容所地下にある監獄。その内部における騒乱は、入り口検問所付近にまで動揺を広げた。


 その騒ぎに乗じて正面から侵入を開始したコダは、異変に気づいた衛兵が振り返るよりも早く峰で胴を打ち付けた。場内に気をとられていたもう一人の衛兵の後頭部を背後から束で強打する。

 

 そのまま抜き身の刀を片手に施設内を駆けた。


 地下での脱走騒ぎに浮き足立ち、突然の侵入者への対応が遅れた組織は統制を欠いていた。

 黒い風が一気に吹き抜け、武器を構える隙も与えられず次々と薙ぎ倒されていく。ある兵は胴を払われ、ある兵は腕を折られ、ある兵は足を折られて戦力をみるみる削がれていった。

 

 日々傭兵を駒のように扱う兵士たちの醜態に、薄ら笑いを浮かべたコダは獣のように邁進する。



 地下牢入り口に到着し、警備にあたっていた兵士二人の胴を打ち付け悶絶させた。

 そして腰のカンテラに灯をともし、地下へと続く階段を下りかけて、地下から駆け上がってくる一人の兵士と出くわした。


 青い髪に青い瞳。役者のような面持ちの兵士だった。

 しかし兵士はコダを見つけるとその端正な顔つきを一気に強ばらせ、腰の剣に手を延ばす。

 そのまま疾風のごとく下から吹き上げ、切っ先がコダの顎を微かに掠めた。コダは大きくのけ反り、二歩三歩と後退りした。


(くそっ)


 コダは慌てて体勢を立て直す。青い髪の兵士はカンテラをかざしてまじまじとコダを見据えた。

 カンテラの影で、コダの側からは青い髪の男の表情は読めない。


「あれ、キミは、あの女郎屋を彷徨いていた傭兵か?」

「・・・なに?」

「君はウィリデのところに入隊したと記憶していたが。君が来たってことは、01小隊が来ているのか?流石にウィリデは仕事が早いな。」


 コダは訝しげに眉根を寄せたが、この男と対峙することは得策ではないと踏んで話を合わせ、ああと頷く。だが頭は目まぐるしく青い髪の男を見定めた。

 ウィリデ少佐を呼び捨てにでき、コダの事情も把握している以上、この男が将校であることは間違いない。


「あんたは、」

「ウィリデから聞いていない?僕はカエルラ中佐。訳あって今は第一大隊に所属しているけど、元々は第二大隊情報部隊隊長補佐官だよ。」


 にこやかに話ながら、しかしカエルラはカンテラを腰に戻し、腰の剣をするりと抜いた。片手でその剣を垂直に構え、切っ先をコダの中心に定める。


「僕も第一大隊のぼんくらどもには心底辟易していたけど、一介の兵士に成り上がったばかりの傭兵崩れが、罰していい相手でもない。違うか?」

 

 ちらりと周りを見回して、カエルラは大袈裟に呆れた。侮蔑を込めたその顔を見て、コダはゆっくり刀を鞘に戻す。そして右足を大きく前に踏み出すと、深く腰を落とした。


「上官への態度がなってないね。」


 先に仕掛けてきたのはカエルラだった。


 突き刺すように迷いなく真っ直ぐ伸びたカエルラの白刃を、コダは抜き身でいなした。そのまま返す刀を振り下ろす。カエルラは寸ででかわして大振りに左から凪いでくる。後ろに飛んで避けながら身を翻して小手先を蹴りあげた。カエルラはそれを避けずに受け止め弾き飛ばす。コダは地面に手をつき崩れながら身体を捻ってカエルラの足を払った。足をすくわれカエルラが体勢を崩す。

 すかさず立ち上がりながらコダは刀を片手で右下から振り上げ両手で束を握り直すと袈裟斬りにした。

 しかし崩れた体勢のままカエルラは剣でそれを受け止め、力任せに押し返した。刀がしなる。


(・・・くそっ、キリがねぇ!)


 コダは奥歯を鳴らして後退り、カエルラから距離をとって逃げる算段を講じながら唸った。その様を見て、立ち上がったカエルラは剣を納める。


「不毛だと、気がついたみたいだね。」

「・・・は?」

「僕も同意見だ。君とここで殺り合うのは本意ではない。時間の無駄だ。」


 にこやかに言って退けると、呆気にとられるコダを尻目に、カエルラは踵を返すとそのまま駆け出した。 

 何事かと考えるよりも早く、コダも地下牢へ向けて走り出した。


 


 


 

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