第17話 想い人
雲に隠れがちだった満月が、ようやく煌々と光を漏らす。
第二大隊情報部隊所属サンディークス少尉は、第一大隊近衛部隊管轄の収容所を目指し馬を走らせていた。
その道すがら、遠く人影が見えた。
目を凝らすと、出迎えてくれているらしい黒い軍服の男が苛立った面持ちで手を振っている。闇にも映える青い髪。カエルラ中佐だった。
「えー、マジかぁ」
思わずサンディークスの口からは隠しきれない不満が漏れた。
カエルラという男は、月明かりの下、微かな光の中でさえ絵になるほどの美丈夫であるはずだが、よほど不機嫌らしく顔が歪んでいる。
(・・・これは、幸先が悪いなぁ。)
サンディークスは愛想笑いの向こう側でひっそり嘆息した。
「お疲れ様です、カエルラ中佐。わざわざ出迎えてくださるなんて、今日は槍でも降るんですか?」
「軽口はいらないよ、少尉。君の悪い癖だね」
「・・・すみません。」
「君の任務の詳細はウィリデから聞いているよね?一度被検体を泳がすから、必ず生け捕りで頼むよ。」
「・・・ニグレドを逃がすことは前提なんですか?」
「当たり前だよ。ある程度復活させておかなければ。実験中に死んでしまっては元も子もないだろ?」
(相変わらず、悪趣味だなぁ。)
サンディークスは内心で辟易しながら笑顔で「善処します」と最敬礼した。
「頼むよ、少尉。君も、真の仲間が欲しいだろ?同じ有翼人の混血の、ね。」
月下に映えるカエルラの爽やかな笑みに、サンディークスの顔は曇る。
心底ヘドが出る思いだった。
・・・
コダが地下牢へと続く階段を駆け降り終えた瞬間、闇から現れた小さな影が行く道を遮った。刀を抜きかけ、手が腰に伸びる。しかし、
「えっ、お前は、」
刹那慌てて上体を起こし、コダは足を止めた。
「よかった、無事だったか、」
安堵の息を漏らすコダは、微笑みを浮かべかけて、だが一拍後に小さく落胆した。
「・・・」
行く手を遮る小さな影は、懸命に両手を広げ、その黄金色の瞳で鋭くコダを睨めつけていたのだ。
『この先は、行かせません。』
プルウィウスだった。
プルウィウスは闇に溶けた影の形のまま、目だけをギラギラと光らせている。再会を喜ぶ欠片も見せず、冷えた声音でさらに言葉を連ねた。
『邪魔はさせません。ようやく、・・・ようやくニグレドが、目を覚まそうとしているのですから、』
「・・・」
ニグレドは、プルウィウスの想い人だ。
しかし、とコダは思う。想い人と出会うことを懇願していたはずのプルウィウスの声は、固く強張り、淀を孕んでいる。
「・・・」
コダはボサボサの黒髪をガシガシと掻きむしり、そして苦々しく眉根を寄せた。
「黒猫が、あの黒髪の女が関わってんだろ?」
『なぜあなたがあの女を知っているのっ』
コダの言葉を聞き、刹那プルウィウスは目を見開いて戦慄いた。感情の昂りは青白い火花となって爆ぜ、闇の中、プルウィウスを何度も照らし出す。
冷たい光に包まれたプルウィウスは確かに人ではなく、まるで後光が差したように神々しい。だが、
「・・・」
その顔は感情が膿のように現れた生々しい人間の顔をしていた。
黄金色の瞳が醜く歪む。白い頬は紅潮していく。
『あなたは!あの女を救いに来たとでもいうの!』
「・・・ちっ」
コダには、プルウィウスの怒りの真の矛先がわからない。苛立ちを隠せず激しく舌を打った。
『あなたもっ、あなたまでもっ、』
コダの態度は、プルウィウスの感情を更に激しく昂らせた。プルウィウスは一層声を上擦らせ、しかし高いプライドは悲愴感を隠そうと懸命に笑みをたたえて顎を上向かせた。
そしてプルウィウスは震える声で笑いながら叫んだ。
『あの女は、ニグレドの覚醒のために人間になぶり殺されればいいのよ!そしてニグレドは覚醒した後に絶望の深淵に堕ちて死ねばいいのよっ!』
その声は、悲痛なほどの悲鳴に聞こえた。
コダは一層深く眉根を寄せたまま、一度目を固く閉じ、開いた瞬間に、プルウィウスに駆け寄り、
「すまねえ」
その細い首を手刀で打ち付け気絶させた。
・・・
地下牢の最奥に進むにつれて、人影が増える。その人影はほぼ、第一大隊の兵士だ。
腰のカンテラが揺れる度、コダは微塵の迷いもなく抜き身の刀で峰打ちにした。
「ぎゃあああ!」
「うわあああ!」
兵士たちは前方へ気をとられているらしく、ほとんど無防備に近かった。故に背後からいきなり襲われた彼らは慌てふためき、瞬く間に辺りは混乱に包まれた。右往左往と逃げ惑う兵士たちを無尽蔵に薙ぎ倒してゆく。
「ひいいい!」
最後、転がるようにコダの前に四つん這いに逃げ来た男を力任せに蹴りあげると、刹那辺りは静寂に包まれた。
「・・・」
あらかた倒し終え、兵士たちのカンテラが床に散らばった頃になってようやくコダは辺りを見渡した。
その視線の先で、黒い何者かが立ち尽くしている。
コダは近くに落ちていたカンテラを拾うと、勢いよく駆け出し、立ち尽くす者を照らした。
「黒猫!大丈夫か?」
黒猫と呼ばれた黒髪の女は、瞳を丸めて困惑の色を深め、コダを見上げた。その顔は、殴られたらしく少し腫れている。
「え、コダ、お前どうしてここに?助けに来てくれたのか?」
そう問われ、うっかり笑ってしまった。
「そんなわけねぇだろ。ついでだ。」
そしてそのままコダは踵を返し、本当に助けたかった女の元へと駆け出した。
・・・
気を失ったセイレーンを肩に担いで地下牢を抜けると、建物の影で息を殺し、時を待った。
しばらくすると案の定、「黒猫」と、漆黒の片翼の男が地下牢入り口から姿を現した。「黒猫」にはセイレーンが持っていた鍵の束を渡してあった。それを利用したのだろう。
二人は寄り添うように支え合いながら、厩舎に忍び込み軍馬を盗んで風のごとく収容所を後にした。
すかさずコダも建物の影から抜け出し、セイレーンを抱えて走る。その勢いのまま厩舎に入った。
そして軍馬に馬銜を噛ませて手綱を付けると、その背にセイレーンを荷物のように引っ掛け、飛び乗った。馬が嘶く。
両足で強く馬の腹を蹴り、馬は駆け出した。手綱を強く弾くと、コダは「黒猫」たちとは反対の方向へ馬を走らせた。
闇に溶ける。
刹那、耳をつんざく甲高い警笛が、静寂を切り割くように鳴り響いた。
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