第14話 消えかけの光
第一大隊近衛部隊所属のカエルラ中佐は、高貴なご婦人方に評判がいい。澄みきった青空を思わせる髪の色、ガラス玉のような碧眼が単純に人の目を引いた。黙して立てば見目麗しく、笑顔の爽やかな美丈夫だったためだ。
だがその実、整いすぎた笑顔は、平素何を考えているのか、第一大隊近衛部隊の面々を持ってしても図りかねた。
「重要な機密ほど、カエルラの方がわしより遥かに認知が早い」
カエルラの直属の上司である第一大隊近衛部隊隊長リビードー少将は、オレンジ色の口髭を整えながら、事あるごとに傍に支える秘書官に苦々しく溢した。
そもそもその容姿が気に入らないのではないか。だからこそ、他の隊員よりも待遇が粗雑なのだろう。
上への媚が巧みなリビードー少将への部下たちの評価はそもそも低く、ゆえにカエルラに同情的な偏見が蔓延っていた。
(だから僕の報告が聞き入れられなかったというのは、言い訳にはならない。)
カエルラは、暗い地下牢の最奥にある鉄格子の前に立ち尽くし、怒りに呼吸を乱れさせていた。短く熱い息を何度も吐き捨てる。
カエルラの青い瞳は歪んでいた。その視線の先には、漆黒の翼が片方折れた有翼人が横たわっている。
その有翼人は、《混沌のニグレド》だった。
有翼人が隣国ルーベンにて、奴隷として人間に従属しているとの報告は過去に数件寄せられてはいた。だがそれが、およそ150年前、創始の有翼人プルウィウス・アルクスを死に追いやった、人間たちへの報復のために舞い降りた最初の使徒、《混沌のニグレド》だとは誰も予想だにしなかった。
有翼人は個体差によって翼の色が異なる。
同じ色を持つ個体は存在しない。
それは150年近く有翼人の襲撃に遭っているコロルではよく知られた事実だったが、小国ルーベンには認知されてはいなかった。
(だとしても、あまりに畏れ多い。ルーベン国民も、そして、この隊の若輩者共もっ)
捕らえられた奴隷の有翼人を、若い兵士たちがストレスの捌け口に虐待しているとの報告を受け、何度もリビードー少将へ苦言を呈した。
だが、その都度、奴隷の有翼人をルーベンより密輸させた政府高官メトゥスの容認を得ているのだからと突っぱねられた。
今現在、奴隷ニグレドの所有権はメトゥスにある。そしてメトゥスは奴隷ニグレドの処遇を近衛部隊隊長のリビードーに一任していたのだ。
「無知蒙昧だと許容できる範囲は越えている。この生命体の価値を理解しない愚鈍どもめがっ」
噛み締めすぎた奥歯から血が滲む。
「必ず、我々のラボへお連れします。悲願である新人類の誕生発展のために。そのお命を必ず未来永劫に繋いでいきますよ。」
闇に溶けるように浮かんだカエルラの微笑は、恍惚としながらも深い腐臭を放っていた。
その二日後、カエルラのもとに、第二大隊情報部隊所属ウィリデ少佐より、ルーベンから不法入国した囚人の収監を求める書簡が届いた。
その書簡には、いつものように、密書が数枚混在させられていた。
・・・
なぜか、このところ記憶がなくなることがない。
昨日のことも一昨日のことも覚えている。
(私は、私のままでいいのかな、)
不安そうな面持ちでセイレーンは、冷たい井戸水で囚人たちの汚れた衣類を洗っていた。
「おいデーフォルミス!いつまでそんなことをちんたらやってんだ!」
洗濯板で一枚一枚丁寧に洗っていると、づかづかと足音を響かせやってきた奴隷頭に怒鳴られた。
奴隷頭は大男で、セイレーンの遥か頭上から、唾を飛ばしつつ声を張り上げるのが常だった。そしてセイレーンを必ず「デーフォルミス」と呼んだ。
その名は遊女時代に呼ばれた名で、この国では「醜い」を意味した。
「毎回毎回怒鳴らせやがって!怒鳴るのも労力がいるんだぞ!」
俯いてやり過ごすしか術のないセイレーンは、今日も無慈悲な怒号に「すみませんすみません」とひたすら小声で詫びて頭を下げた。
むやみやたらに怒鳴ることが正当な指導や鞭撻ではないことは誰の目にも明らかだった。
だが、要領の悪い者が怒られる傍らで、それを隠れ蓑に責を逃れようとする不遜な輩も存在する。
その日も、セイレーンは仕事が遅い罰として、誰もが嫌がる肥溜めの清掃を任された。
そこは汚れが酷い箇所ばかりで、全て終えるまでに半日ほどかかった。
服や身体に染み付いた糞尿の匂いを冷たい井戸水で清め落としていると、奴隷仲間のイワンに声をかけられた。
「おい、デーフォルミス、ちょっといいか」
イワンは幾分セイレーンより幼く見える。だが彼はセイレーンを常に見下し小馬鹿にした。
セイレーンは、時々人格が代わる。その上、食事を取る姿を誰にも見せない。
そのため、その奇特さから、奴隷たちの間でも嫌悪の対象となっていた。
日々虐げられる奴隷の彼らにとって、そのさらに下層に位置する「デーフォルミス」は、消えかけている自らの尊厳を守る最後の砦でもあったのだ。
「カエルラ様から内々に仕事の依頼だ。有り難く受けろよ。それから、いいか、これは絶対他言無用だからな。」
セイレーンに耳打ちするイワンの言葉に、セイレーンの黄金色の瞳は大きく見開かれた。
・・・
以前は、地下牢へと続く階段を下る途中でほぼ毎回意識が混濁した。
しかし、近頃セイレーンはセイレーンのままで、階段を下ることができている。
ただ、セイレーンが担当していたはずの漆黒の翼を持つ大きな男の世話だけは、いつの間にか他の奴隷の仕事に代えられていた。
セイレーンは小さな息を吐いて、乏しい灯りしかない寒々とした通路を歩いていく。
少し緊張していたのは、イワンに頼まれた仕事の特異さゆえだった。
『今日収監される異国の女の世話をする時、必ず扉は開けておけよ。』
おかしな依頼であることは重々承知している。
そもそも脱走幇助は奴隷にとっては死罪に等しい。それが例え軍幹部による内々の依頼だったとしても、バレて咎められるのはセイレーンに他ならない。
イワンがセイレーンにこの仕事を押し付けたのは頷ける。
セイレーンは少し泣きそうになった。
(やっぱり、私が私のままだと、ダメなのかな。)
いつも、セイレーンがセイレーンとして意識を取り戻すと、たいてい目の前の人間は落胆する。そして必ず「ずっとプルウィウスのままでいればよいものを」と口にした。
(でも、)
セイレーンは思う。
コダだけは、自分と話がしたいと言ってくれた。
共に逃げようと外へ連れ出してくれた。
(コダさん、もう一度、もう一度でいいから、会いたい。)
暗いだけの通路の先は闇しかない。
それでも、セイレーンはコダを想うことで、生きるために、一歩ずつ前に進むことができた。
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