第13話 その情の名前を知らない
黒猫のような女は、有翼人討伐の現場に向かったコダに付いてきたために、不法入国の罪であっさりサンディークス少尉に捕まった。
半ば呆れ顔で一部始終を傍観していたコダが、意図せず今後の黒猫の処遇を聞いたのは、隊舎の食堂で夕食をとっている最中だった。
「・・・?」
マメのスープにパンを浸して頬張っていると、見たことのない女兵士が、わざわざコダの前に皿いっぱいのサラダと肉を携えて鎮座した。
年の頃は20代半ばくらいか。色が白く、目の大きな、短い桜色の巻き髪の女だった。ただまったく見覚えのない女でもあった。
何事かと訝しがるコダを尻目に、女は優雅な所作で手を合わせ、目を閉じ、食事の前の祈りを捧げ始めた。育ちのよい女だと思った。しかし自分の目の前で食事をとる理由は皆目見当がつかなかった。
「おい、席は他にも空いてるぞ」
コダの不躾な親切心に、女はゆっくり目を開けて柔らかく微笑んだ。
「結構です。あなたとお話ししたかっただけですから。父から伺った通りの朴念仁ですね。」
女は事務官フスクスの娘、ロサ。第一大隊近衛部隊所属の伍長だと名乗った。
「・・・ああ、お前が、」
コダは、懐にいつもあるあの便箋に思い至り、黒い瞳を丸くする。
「その節は世話になったな。」
「とんでもないです。」
愛想とすぐにわかる口調のロサは、サラダをザクザクとフォークで突き刺しながら、それを大きめの口で頬張り、しばらく咀嚼したのち徐に言った。
「明日、あなたが連れてきたルーベンからの不法入国者を、首都ペルティナーキアへ移送します。」
ロサの、見た目を裏切る豪快な食べっぷりに、にわかに食欲を減退させたコダは、パンを投げ置いて、背もたれに背を預け、腕を組んだ。
「あいつは俺が連れてきたわけじゃねぇ。付いてきただけだ。」
「まあ、どちらでも構いませんが。コダさん、あなた、彼女がなぜ首都に移されるのかご存知ですか?」
「・・・。さあ。知らねぇな。」
否定しつつも、やはりなと思った。確信めいた予感はあった。
過去のサンディークスの言動を反芻すれば、漆黒の翼の有翼人を知り合いだと言った黒猫を、理由なく首都へ移送することは考えられない。首都には漆黒の翼の有翼人が収監されている。
(黒猫は起爆剤にされたな。)
漆黒の翼の有翼人は、公開処刑されることが決まっている。黒猫は、漆黒の翼の有翼人を追って密入国までした女だ。それが同じ収容所に収監されて、漆黒の有翼人が処刑されるのを手をこまねいてただ見ているなど、想像できなかった。
今後必ず首都で混乱が起きる。
それはセイレーン奪還の最後のチャンスになるかもしれないとコダは悟っていた。だが、公言するべきことでもないことも知っている。
「私は奴隷制度しかり、この国の、この軍の、人の命を利用した作戦には賛同しかねます。」
「・・・口を慎め。反骨分子と判断されるぞ」
コダの声は低く、そして黒い瞳は鋭くロサを睨め付ける。ロサは一瞬怯んだが、再び声を上げかけ、しかしコダは制するように掌をロサの眼前に据えた。
「もう何も言うな。言わんとすることは所詮綺麗事でしかねぇ。お前は若い。これ以上この案件に首を突っ込むな。お前一人の問題じゃなくなるし、お前の親父さんも巻き込むことになるぞ。」
「黙認などできません!これは倫理の問題でもあり、社会的道徳の問題でもあります。人道に反する行為は、正義を重んじる軍の規律に違反する行為です!」
ロサは皿の上の大きな肉にフォークを突き刺し、色素の薄い頬を紅潮させた。
その気迫に、コダは、言葉が通じない異星人を見る思いを抱いて小さく鼻で笑った。
「清々しいほど青いな。」
「なにをっ!」
コダの、哄笑ついでの言葉に、ロサの顔全体が真っ赤に染まる。怒りに目が潤んでいた。
「馬鹿にしないで!私は!」
「馬鹿になんかしてねぇよ。ただ、全員に当てはまる普遍的な正義なんてもんはこの世に存在しねぇよって思っただけだ。」
「正義はあります!正義がなければ、社会の秩序が乱れます。少なくとも私は、自分の正義を信じています!」
「だろうな。だから自重しろと言うんだ。正義を口にする奴が重んじる《正義》なんてもんは結局独善にすぎねぇ。」
「違う!私はそんな矮小な人間ではない!」
コダの笑みを嘲笑と理解し、侮辱されたと思ったのか、ロサは怒りに任せて腰を浮かした。椅子がガタンと鳴り、疎らにいた食事中の兵士たちの視線を集めた。
コダは溜め息混じりに微笑み、俯いた。
「お前には感謝してるんだ。セイレーンの手紙を寄越してくれたしな。お前の立場を考えても、政府高官に売られた女の手紙を俺に渡すなんてのは、それこそ軍規違反だろ。だからこそ、もう止めろと言っている。」
「・・・私は、セイレーンさんもスガヤさんも、不憫で仕方がないんです。女に生まれたことで国に翻弄されて、利用されていることが、歯がゆくて仕方がないっ」
ロサは冷静を取り戻したのか、席に座り直して声を静めた。
「セイレーンさんなんて、無理矢理愛する人と引き離されたんですから、」
「・・・愛する人?」
途端にコダは額に手を当て顔を歪め、堪えきれずに声を上げて笑い出した。
予想だにしない反応に、ロサは唖然とした。ぽかんと口を開いて大笑いするコダを見遣った。
ひとしきり笑い終え、コダは徐に、投げ置いていたパンを掴んで冷めきった豆のスープに浸した。
「愛だの正義だの、くだらねぇなぁ。」
クツクツと喉の奥で笑いを堪えながらコダは言う。
「セイレーンを助けたいとは今でも思う。だがそれを愛と呼ぶほどには俺はほとんどセイレーンを知らねぇ。」
「でも、遊女の足抜け幇助は重罪ですよ。現にあなたは捕まって捕虜同然の冷遇で軍務に従事させられているんですよ!」
説明することを億劫に思えてきたのか、ひとしきりパンを食べ終えると、コダは器を持って席を立った。
「理屈じゃねぇんだよ。止められねぇ情に突き動かさせることぐらい、あるだろ?」
「・・・それって、」
「それに、セイレーンとは無理矢理引き離されたわけじゃねえよ。あいつはあいつの中の自らの意思で、首都へ行ったんだ。」
吐き捨てるように言ったのは、自らの情を持て余しているからだ。
垣間見えたコダの横顔には確かに怒りが滲んでいる。
軽々しく愛を解く自分は幼いだけなのかもしれないと、ロサは俯き、白く変色するほど下唇を噛んだ。
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