第12話 黒猫
第二大隊情報部隊の主な任務は有翼人、有翼人亜種を早期に発見することにある。駆除するための部隊を派遣する前段階を担っていた。
例に漏れず、与えられたエリアの警邏に向かうため、コロル軍の黒い軍服に袖を通したコダは、早朝前から出立した。
大きな青鹿毛の馬で朝靄の中を駆け抜ける。
そして一時間半ほどでルーベン近郊の原生林付近に到着した。
「やっぱりここかよ。」
前日よりの申し送りの際に、事務官より渡された地図が表す担当エリアは、恐ろしく簡略化された上にざっくり赤丸で記されていた。
そのため予感はあった。だが改めて現地に到着し、やはり見覚えのある景色であったことに苦笑が漏れる。
ここは、セイレーンに逃げられたまさにその現場だった。
「・・・」
意地の悪い赤髪の上司は、今頃さぞ小気味良く笑っていることだろう。
「・・・まあいいか。」
短い息を吐き捨てて、コダはしばらく林沿いを馬で駆けた。
ルーベンとの国境線を守る天然の防壁である原生林は、南から北へ向けては馬の脚でも1日以上かかるほどに長く、東へ向けては数日を要するほど深く広がっている。まさに樹海だった。
しかも針葉樹が多く、間引きもされないため湿気がこもり、林全体が鬱々としている。
辺りを警戒しつつ走るコダは、不意に馬の手綱を引いた。
馬は二度三度と足踏みした後ゆっくりと止まる。
「・・・」
馬上から改めて目を凝らしてみた。
やはり何かがおかしい。
不揃いの木々の中で、一角が、風もないのに微かに揺れたのが見てとれた。それはほんの一瞬で、ゆえに見間違いと言われればそうかもしれなかった。だが。
(・・・何かがいるな。)
コダは改めて鞄から双眼鏡を取り出して見遣る。
だが何も見当たらない。
それでもどうにもその一角の違和感がぬぐえない。
「・・・」
何かが木に止まっているというのなら、それは有翼人や有翼人亜種ではあり得なかった。彼らは空の上にでも立つことができる。となれば彼らは木の上に立つ意味などないのだ。
その違和感が有翼人によるものでないのならば、この案件はコダの任務の範疇から外れる。だが、なぜかそれを無視することができなかった。
コダは馬を下り、気配を殺して原生林へと踏み入った。
・・・
それを発見したとき、コダはうっかり笑いそうになった。
木の上に、黒髪の女が眠っている。
コロルでは見かけないみすぼらしい身形から、おそらくルーベンからの不法侵入者だと悟った。
「・・・くくっ」
笑みを含んでコダは木の影を選んで歩みを進める。そのコダの一瞬の油断を女は察したのか、むくりと起き上がり辺りを見回し始めた。
(ほう、面白いな。)
身体を巡る血がざわついた。口角が上がる。
女の視界から外れる位置を見定めて進みながら、ゆっくり腰の刀を抜いた。
「・・・」
やがて女の真下へとたどり着く。
「・・・!」
気配を気取った女が勢いよく下を向き、目が合った。
「ちっ」
舌打ち、女がすかさず一番近い木に飛び移ろうとする。その一瞬重心を後ろにずらした瞬間に、コダは木の幹をドンと激しく蹴った。
「うわっ!」
バランスを崩し、女が地面に落ちてきた。
刹那コダは女めがけて一閃を走らせる。一気に鋭い風が舞った。
しかし女は上体をひねってその一撃をかわし、すぐさま後ろへと飛び退く。
「・・・くくっ」
コダは笑みを隠しきれなくなってきた。
刀をこめかみに届く程高めの中段に構えた。
女は身を低くして腰の短刀を己の眼前に構える。
だが女はジリジリと後退しつつ、空いた手を太股にかけた。させるものかとコダは喉を鳴らしながら素早く斬り込んだ。
(浅い!)
しかし女は寸で右にかわす。コダは踏みとどまって体を回し、太い足で蹴りをくり出した。女は飛んでそれを避けると手にしていた短刀をコダめがけて投げつけた。
短刀を白刃で弾く。
その一瞬で女は両太股のクナイを一気に抜き取り投げつけてきた。その勢いのまま後方へ駆け出す。
「面白い!」
コダはクナイの全てを白刃で弾き飛ばす。オレンジ色の火花が舞い散った。
そしてコダは黒い瞳を嬉々として輝かせて女を追った。
原生林を駆け抜けて、眼前の女が一瞬光の中に消えた。
通りに出たらしい。コダは重心をさらに低く落とし獣のごとく加速する。
コダも整備された道に出た瞬間、女は腰に差した二本の短刀を抜き去り振り返ろうとした。だが一拍早くコダは白刃を下段から大きく斬りつけた。
辛うじて女は短刀でそれを受け流し、しかしその勢いに押されて女は後方へと吹き飛んだ。
すかさずコダは女の腹に乗り、刀を喉元に突きつけた。
それでも怯むことなく女は黒く吊ったその目で鋭くコダを睨む。
(こいつ、)
再び込み上げかけた笑みをそっと殺して女に問う。
「大人しくしろ。お前はルーベンの兵士だな?」
すると女は一層殺意を込めた眼光をコダに飛ばした。
(・・・ほう、)
「この態勢でも虚勢を張るのか。まるで黒猫だな。」
「黒猫?」
「そう黒猫だ。こんなにすばしっこいヤツは初めて見たよ」
そしてコダは喉の奥でククっと笑った。
その時だ。
「コダ二等兵!二番地区に有翼人が現れた!警邏を中止し急行せよ!」
早馬の地響きが鳴り、伝令兵が離れた位置からこちらへ叫んできた。
(くそ、遊びはここまでか。)
軽く落胆しつつ、コダは刀を鞘に納めた。
そして女の腹から立ち上がる。しかし、
「お、おい、有翼人が現れたってどういう意味だ。」
解放してやったはずの女がコダの腕を掴んで目を丸くした。
「・・・は?」
若干コダは面食らった。
「有翼人は有翼人だろ。知らねぇのか?」
「いや、知ってはいるが、有翼人が現れたらどうだって言うんだ?」
「奴らは人間を襲うから、俺たちで駆除するんだよ」
「駆除?駆除って、・・・殺すのか?」
「そりゃそうだろ。」
コダは事も無げに言う。そして悟った。
ルーベンには有翼人による襲撃がないと聞く。そのためこの女は有翼人を知らないのかもしれない。
悟りはしたが興味がなかったコダは指笛を鳴らして青鹿毛の馬を呼んだ。すると何処からともなく馬が砂埃を巻き上げ駆けてくる。
首を差し出す馬を撫で、コダは一気に馬にまたがった。そしてそのまま手綱を弾く。
「え、ちょっ、待ってくれ!私も連れてってくれ!」
刹那女は慌てて立ち上がり、駆け出そうとするコダの馬の前に飛び出てきた。そして進路を妨害するように両手を広げた。
馬が驚き軽く嘶く。
コダは微かに苛立った。
助けてやったにもかかわらず、女は全く逃げようもしない。逃げないどころか邪魔をしてくる。
忌々しそうに舌を打つ。
「何言ってんだ。不法入国者を連れて行けるわけねぇだろ。見逃してやるからさっさとルーベンに戻れ」
「その有翼人は、私の知り合いかもしれないんだ!頼む!連れてってくれ!」
「・・・知り合い?」
思いの外、女が必死な形相でコダに嘆願してくる。その様相に、コダの眉根が寄った。
(有翼人の知り合いだと?・・・まさか、)
訝しそうにコダは無精髭だらけの顎を擦りながら、
「お前の知り合いの有翼人の、翼の色は何色だ。」
低い声音で女に問った。
「漆黒だ。」
女の答えに、コダは薄く笑った。
(これは、好機かもしれねぇな。)
刹那コダは馬の胴を鐙で強く打ち、嘶いた馬が駆け出したと同時に女の腕を掴んで女の身体を浮かした。
女はその勢いのままコダの肩を掴んで、身を翻し、コダの後ろにまたがった。
二人を乗せた馬は、北へ向けて砂埃を巻き上げ走り抜けていった。
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