第18話 王都、そして波瀾の始まり
近衛師団が王都に戻ると、市街はしんと静まりかえっていた。
いつもなら日中、人気の絶えないメインストリートにも、人の気配がない。
(おかしい…いつもならもっと賑やかなのに…)
ティナは、エドガルドと顔を見合わせた。
北方の叔父の館で耳にした、神殿勢力の陰謀の話が脳裏をよぎる。ティナ、そしてエドガルドが王都を不在にしている間、王太子が何か仕掛けてきていたとしたら。
(父上…)
もし本当に、王太子が神殿勢力と手を組んでいるとしたら。ティナを婚約破棄し、神殿派の次期王妃を据えることはもちろん、宰相や辺境伯といった有力な地位を占めるグレンテス家の力を削ごうとするはずだ。つまり、自分以上に、父親の身にも危険が迫っているということでもあった。
エドガルドも、口には出さないものの、不安で、表情が蒼白になっている。
エドガルドの実兄である現国王は、神殿勢力がこれ以上力を伸ばすことを嫌い、グレンテス家のティナを王太子の婚約者に指名している。つまり、王太子が神殿勢力と手を組んだとしたら、最大の対立者は、現状、国王である、ということになる。まさか…とは思うが、神殿勢力に唆された王太子は、何をするか分からない。
「俺はまず、国王の様子を見に行く…」
「わたしは、父上のところへ。」
「分かった。ルカを連れていくといい。他の団員は、訓練所に向かわせる。」
2人は頷き合い、別れた。
ティナはルカを伴い、父宰相の館に戻った。心なしか使用人たちの顔も暗い。まっすぐ2階の父の書斎に向かうと、父カリストは、いつになく落ち着かない様子で、書斎の中を行ったり来たりしていた。
ティナの顔を見るや、カリストは、絶望的な表情を見せた。
「ああ、ティナ、戻ってきてしまったか…今、テミストのところに早馬を飛ばしたところだ。鷹はちょうど向こうに着いたままでね。」
「お父様…」
「ティナ、よく聞きなさい。この指輪をもって、できるだけ遠くに逃げなさい。」
カリストは、せかせかとティナに近づき、自分の指から外したばかりのエメラルドの指輪を渡す。
緑髪緑眼のグレンテス家に伝わる、当主の印章だった。
「これは…グレンテス家当主の印章!お父様、なぜ…」
「カリスト・グレンテスはいるか!!」
突然のことにティナが面食らっていると、館の外から、野太い男の声が聞こえた。使用人の応対する声が、ふつりと聞こえなくなり、どやどやと階段を大人数で上がってくる音がした。
「ああ、もう追っ手が…わたしが引き付けるから、ティナは逃げなさい!」
「でも、お父様…」
そんな会話の間にも、書斎に、兵士の一団が雪崩れ込んできた。近衛師団ではない、王宮付きの兵士たちだった。
20名ほどだろうか。長い槍と銀の盾を持ち、鎧で完全に武装している。書斎表の入り口を塞ぐや、その中の1人が一歩進み出て、大声で怒鳴った。
「カリスト・グレンテス、国王暗殺の容疑で捕縛する!」
「国王…暗殺?そんな、お父様がそんなこと!」
「ティナ、逃げなさい!これは罠だ!」
カリストに強く押され、ティナはふらふらと後ろに下がった。兵士たちがカリストを取り囲み、輪を縮める。
「姐さん、逃げましょう!」
呆然と立ち尽くしていたティナは、傍らのルカに腕を引かれ、我に返った。ルカは重い机の裏に回り込み、奥の窓を大きく開けはなった。窓から飛び降りて逃げようということらしい。
「でも、お父様が…」
「お父上が逃げろって言ったの、聞こえなかったんすか!?姐さんまで捕まったら、誰がお父上を助けるんすか!」
躊躇するティナを、ルカが一喝した。ルカがひらりと窓枠を飛び越える。ティナが窓に駆け寄り見下ろすと、階下、裏庭の植え込みに着地したルカが大きく手を振っている。
「早く!」
ルカの叫びに、ティナも覚悟を決め、窓から飛び降りた。下が柔らかい植え込みだったこともあり、数十年鍛えたこともあり、軽い衝撃だけでうまく着地することができた。
「こっちよ!裏から抜けられるはず!」
2人は裏庭を抜け、生け垣を潜って館の敷地外に出た。まだ裏には兵士がいない。館ごしに、表側に兵士が集まっているのがちらちらと見えた。カリストや抵抗する使用人たちを連行しているのだろう。
「きっとそのうち、姐さんにも追っ手がかかるっすよ…逃げましょう!」
「逃げるって…」
「裏街に逃げます!」
ルカが、ティナの手を引いて走り出した。ルカは裏街出身なのだった。
(お父様、エドガルド…どうかご無事で…)
ティナは、走りながら祈るしかなかった。
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