【幕間】披くはゆめ、うつつは鎖し⑤宴の夢
宴は正午からだった。午前中のうちに、夷狄の部族、そして王国からも主要な人間が続々とテミストの館に到着した。王国からは、国王や王太子こそ来なかったが、近衛師団長のエドガルドが何名かの部下を引き連れて参列していた。
「叔父様もおっしゃることが急だわ…いきなり祝宴で舞え、だなんて。人前に出せるようなものじゃないのに。」
ティナは、アメツとともに踊り子の衣装に身を包み、大広間の控えの間で待機していた。
緊張を隠せず、ぶつぶつ呟くティナに、アメツはにっこりと微笑みかけた。
「そんなことはありませんよ。お嬢様の舞いは素晴らしい。ご一緒できて光栄です。」
「もしかして、アメツもグルだったわけ?叔父様と…」
「さぁ、何のことでしょう…」
恨めし気なティナの視線を、アメツは飄々と躱した。
「お嬢様、わたくしの教えたことを覚えてくださいましたね。」
「ええと…披くことと、鎖すこと?」
アメツは頷いた。
「そうです。披くつつ、鎖す。鎖しつつ、披く。それが出来て初めて、貴方は…」
「お時間です。」
アメツが言いかけたところで、侍女が大広間から顔を覗かせ、二人に声をかけた。
「さぁ、踊りましょう。お嬢様、最後に一つだけ。」
「なぁに?」
「…決して躊躇ってはなりませんよ。」
紫の瞳をきらりと光らせて、アメツは告げた。
◆◆◆
大広間に進み出ると、広間の奥の玉座には辺境伯のテミストと夷狄の王、右の壁に沿って王国側の賓客が、左の壁に沿って夷狄側の賓客がずらりと居並んでいた。
そして中央にぽっかりと、舞を舞うための円形の空間。
ティナの数歩前を歩いていたアメツが立ち止まり、くるりと振り向く。
そして、すらりと剣を抜いた。
(剣舞って…向かい合って踊るの?)
何の打合せもしていないティナは、極力動揺を抑えながら、同じく剣を抜く。
(…あれ?真剣?)
鞘から抜いてみて、気づいた。一般的に剣舞や稽古のときに使われる模擬刀ではなく、刃のついた真剣だ。同じくアメツが構えているのも、真剣だった。
(真剣で、向き合って、剣舞?)
とりあえずティナは、昨日までの修行で教わった型に従って、剣を構えた…が。
昨日まで踊っていたのとはまったく違う動きで、アメツはティナに斬りかかった。
◆◆◆
(どういうこと?一体何が起きているの?これは…)
とっさのところで最初の剣撃を受け止めたが、二撃目、三撃目とアメツの攻撃は止まらない。
アメツの表情を窺い、目を合わせて真意をくみ取ろうにも、なんの表情も浮かんでいなかった。まるで魂が抜けたような顔で、次々と攻撃を繰り返してくる。
刃が風を切り、耳すれすれを掠った。ちりり、と耳たぶが熱くなる。
(ほんとうに、わたしを、殺そうとしている…?)
ティナはつい周りを見回した。賓客たちは興味深そうに眺めながら飲み食いしている。
不味いことに、叔父も周囲の賓客たちも、どうやらこれを打合せ済みの演舞だと思ってみているようだった。唯一エドガルドだけがアメツの殺気に気づいたのか、腰を浮かしかけ、不安そうなまなざしでこの演舞に注視していた。
(それにしても、どうしていきなり…。直前まで、そんなそぶりは一切なかったのに…)
…直前。
ティナは、この剣舞が始まる直前、最後にアメツと交わした言葉を思い出した。
(披きながら、鎖し、鎖しながら、披く…そして…躊躇わないこと。)
すう、と一瞬の間に呼吸を整える。
ティナの目が坐った。それを見たアメツが、少し唇の端を歪める。
「そうこなくては、ヴァレンティナ様…」
ティナにだけ聞こえる声で、アメツが呟き、さらに勢いを増して斬りかかった。
◆◆◆
永遠にも感じられる時間、打ち合いは続いた。
(披きながら、鎖す。鎖しながら、披く。)
心の中でそれだけを呟きながら、激しく身体を捌き、攻撃を繰り出しては、防ぐ。
もうアメツと自分しか見えないようでありながら、視野は広く澄み切って、周囲のすべての人間の細かい動きや気配が手に取るように分かる。
自分の呼吸しか聞こえないようでありながら、部屋の中のどんな小さな物音でも聴こえるようでもある。
動こうと意識しなくても、最も最適な軌道で、手が、足が、動く。
自分の欲望。自分の感情。自分の迷い。
すべて塊で吐き出しては、吸う。吸っては、吐く。
肯定しては、否定する。そしてまた、肯定する。
身体に訪れるのは、圧倒的な暴力性。肉体はすべてこの瞬間、アメツを殺すためだけに存在するかのように反応し、機能し、動く。そして精神に訪れるのは…無。
流れの中で、1本の光る線が見えた。ティナはそれに沿わすように、突きを繰り出した。
同じ瞬間、左側から、アメツの突きが伸びてくる。ティナの心臓めがけて。
(躊躇うな。)
アメツが、自分の心臓めがけて突き出される刃に、一瞬怯む。
ティナはむしろ心臓を差し出すように突きを繰り出し、アメツの心臓を抉る。正面で、紫の瞳が大きく見開かれ、アメツが頽れる。
同時に視界の端では、夷狄の王が立ち上がり、辺境伯に斬りかかる。エドガルドが飛びついて、夷狄の王を切り伏せる。そこまで視て、
ぱん!
まるでスローモーションが解除されたかのように、一気に世界に音が戻った。
一瞬で、宴席は戦場と化した。
貴族たちの悲鳴と、武器の鳴る音。異民族の賓客たちと、王国側の兵たちの乱闘。そんな騒動に目もくれず、ティナはアメツに駆け寄った。
「アメツ!」
「…体得されましたね、ヴァレンティナ様…」
「アメツ、どうして…どうして!」
ティナの剣は、たがわずアメツの急所を貫いていた。大量の血が広間の床を染め、アメツの命が長くないことは明らかだった。
「あなたには、分からない…。」
見開かれた紫の瞳から、一筋の涙が零れる。
ティナは言葉を失い、そして…騒乱の中、息絶えた師匠の瞼を閉じた。
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