【幕間】披くはゆめ、うつつは鎖し④鎖しの夢

 その後、午後じゅう踊っても、「ほんとうの望み」なるものは掴めなかった。

 むしろごちゃごちゃした感情を心が拒否するようで、踊っているうちに真っ白になる。そのたびに、アメツは、「心を披いて!」「感情を晒せ!」と叱咤した。


(ただの修行の何倍も疲れるわ…)


 夕暮れ、帰路に着くころにはティナはぐったりして、帰り道ほとんどしゃべらなかった。

 テミストの館までティナを送った別れ際、アメツは不思議な笑みを浮かべてこう言った。


「明日は、日暮れに迎えに来ます。夜通し修行を行いますので、昼間のうちに寝ておいてください」

(夜通し…?)


 ティナは首をかしげたが、アメツはそれ以上説明せず、手を振って帰っていった。


◆◆◆


 翌日の日暮れ頃。

 結局疲れ果てて昼過ぎまで寝ていたティナが、遅い昼食を取り、ひと段落した頃に、アメツはやってきた。


 夕暮れのアメツは、朝のアメツとはどこか雰囲気が違った。

 衣装の違いもあるだろう。今日のアメツの衣装は、黒と銀を基調としていた。金色の髪に最後の日ざしが落ちかかり、存在じたいが凛として、触れれば切れるような鋭さを湛えている。

 雰囲気は違えど、やんごとなき身分を連想させるたたずまいであることは、朝と同じだった。


「行きましょう。日が落ち切る前に着きたい」


 2人はやはり馬を走らせ、川を遡って滝へと向かった。

 滝の裏の洞窟に入る頃には、日は完全に暮れ、月の光が降り注いでいた。月光に照らされたアメツは、やはり近づきがたい空気を纏っていた。


 洞窟内のたいまつに火をともし、明かりをつけると、アメツはおもむろに剣を取り出し、ひとさし舞った。


 静止の構え。

 腕を伸ばし、跳躍し、突き出し、斬り下ろす。型じたいは、前の日の朝に教わったものとまったく同じだった。だが、与える印象がまったく違う。


(同じ動作とは…そして同じ人間とは、思えない…)


 朝のアメツが「動」だとすると、夜のアメツは「静」。

 あふれるような生命力、弾ける力強さがない代わりに、完全な抑制があった。そして、鬼気迫る凄みがあった。


「さぁ、やってみてください。」


 朝とは打ってかわった厳粛な面持ちで、アメツはティナに剣を渡した。


◆◆◆


 案の定、夜のアメツは、ティナに「心を披け」とは言わなかった。

 ティナが何度か踊るのを見ながら、黙ってかぶりを振る。

 そして、振り絞るように、言った。


「…とざしてください。」

「え?」


 ティナはつい、聞き返した。

 

「なるべくとざしてください。感情が…漏れてしまっている。もっと抑制して」


 アメツは淡々と言った。


(昨日の朝と、言っていることが逆じゃないの…)


 ティナはもう1度アメツを頭の先からつま先まで観察した。衣装や雰囲気、言っていることは違えど、顔立ち、すらりと伸びた四肢は、確かに昨日と同じ人物に間違いない。


(に、二重人格…?)


 ふと気づくと、アメツは距離を詰め、鼻先が触れそうなくらい近くに立っていた。

 アメツはゆっくりとティナの唇をなぞる。暗い冬の湖面のような瞳には、やはりティナの顔が映っていた。


「感情に支配されないで。欲望に心を埋め尽くされないで。心を鎖して…制御するのです。」


 女性の甘い香り。ティナはよろめいて、つい二、三歩後じさった。


(お、女?アメツって女だったの?昨日はてっきり男だと…)


 混乱の極致にいるティナを見て、アメツはこの夜、初めて…ごく薄くではあるが…笑った。


「さぁ、踊りましょう。心を鎖して。完全な制御とともに。」


◆◆◆


 それから、朝と夜、「披き」と「鎖し」の修行が、交互に繰り返される日々が続いた。

 その日の修行は夜の修行だった。夕刻を待ちながら、館でぼんやりしているティナに、テミストが声をかけた。


「ティナ、修行は順調かい?」

「ええ…」


 ティナは、言葉を濁した。

 順調とは言い難かった。どころか、はっきり言って困惑していた。


 朝のアメツはよく笑う。好奇心旺盛で、何かとティナに質問をしたがる。生命力に満ち、エネルギーを発散させるような舞い。要求は「心を披き、欲望を晒すこと」。そして、どこか男性的だった。

 一方、夜のアメツは寡黙だ。ほとんど話さないし、笑わない。怜悧な印象で、エネルギーを抑制した舞を舞う。そして「心を鎖し、感情を制御すること」を求める。女性的な一面。


 毎日同じ舞を舞っているが、一日ごとに正反対の要求をされる。今日の修行と昨日の修行が矛盾している。


「あの人は、二重人格なのですか?朝と夜で、言っていることが正反対なのですが…」

「ははは。それがアメツのやり方だよ。」


 戸惑いを隠せないティナに、テミストは笑った。


「矛盾している、と思うだろう。でも、矛盾はしていない。」

「そうでしょうか…」


 開くことと、鎖すこと。

 発散することと、抑制すること。

 ほんとうの望みを掴み出すことと、感情を制御すること。


 ティナは小首をかしげる。


「やはり矛盾しているように思うのですが…」

「そうかい?ティナもまだまだ修行が足りないなぁ。」


 にやにや笑うテミストに、ティナはもう一つの疑問をぶつけた。


「そもそも、男性なのですか?女性なのですか?」

「うーん、難しい質問だね。アメツは、男性でもあり、女性でもある。どう思う?」

「どう思う、って…」


 朝は男性で、夜は女性?そんな人間が存在するのだろうか。ティナはますます困惑した。


「朝には朝のこころを。夜には夜のこころを。まずは突き詰めることだね。披くことを突き詰め、鎖すことを突き詰め、その2つともを自分のものに出来たら、きっと成長できるよ。」

「叔父様、簡単におっしゃいますけど、あの修行をなさったことがあるんですか?」


 少しむくれて言うティナに、テミストは例のごとく、からりと笑って答えた。


「できるわけないでしょ、あんな頭のおかしい修行。」

「…は?」

「俺は2日でギブアップ。ティナは天才だから、狂わずにいられるんだよ。」

「はあ…」


 …数えてみれば、修行が始まって、2週間が経過しようとしていた。

 日暮れとともに、騎乗した人物のシルエット。夜のアメツが館に向かってくるのが見える。思わずため息をついたティナを後目に、テミストは、面白がるように言った。


「さぁ、明日は宴だね。そうだ、ティナもアメツと一緒に、舞を披露しておくれよ。修行の成果が見たいな」


 さらりと言うテミストに、ティナは言葉を失った。


「そんな、急に…」

「二国の友好のためだよ。一方だけが祝賀の舞いを踊るんじゃ、一方的な関係性だとアピールしているようなものだろう?こちらからも舞い手を出さないと…と思っていたんだよ。」


(最初から、そのつもりだったのね…)


 ただの愉快犯なのか策士なのか。笑顔のテミストに、ティナはそっと唇を噛んだ。

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