【幕間】披くはゆめ、うつつは鎖し②夢との邂逅

 翌朝、引き合わされたアメツは、夷狄の踊り子だった。

 

「すぐそこの部族出身でね。今度式典があるから、その打合せで来てるんだ。」


 聞けば近々、辺境伯のテミストが主催する形で、異民族の首長たちとの祝宴があるという。

 アメツはその祝宴で異民族の側を代表し、舞踊を奉納するため、宴の主催者であるテミストのもとへたびたび打合せに訪れているとのことだった。



「…今の首長が立つ前に、王国と部族の間で、ひとかたならぬ血が流れたからね。その後両者の関係改善に奔走したのが今の首長なんだ。」

「いいえ、我が主は常に申しております。我が部族の発展もテミスト様、ひいてはグレンテス家のご寛恕ゆえと。本日はお嬢様にお目もじかない、恐悦至極に存じます。」


 テミストに紹介されたアメツは、艶めかしい笑みを浮かべてティナの手の甲に口づけた。

 小麦色に焼けた肢体が、露出の高い踊り子衣装からすらりと伸び、身動きをするたび、腕や足首につけた銀の輪がしゃらりと鳴る。しなやかな所作と紫の大きな瞳、短い金の髪は、どこかネコ科の獣を思わせる風貌だった。


(それにしても、北方の異民族とは緊張状態にあると思っていたけれど、今回のループでは案外友好関係が築けているのね…)


 アメツの挨拶を受けながら、ティナは内心一人ごちる。

 内政、外交等王国が置かれている基本的な状況は、1回1回のループで大きく変わることはない。だが辺境伯と北方異民族たちの関係といった、ティナにとっては「細かな」情報の一つ一つまでそっくり写したように一緒かどうかは、心もとなかった。


(まぁ、把握したところで、あと数週でリセットだし…)


 ティナの内心を知る由もなく、テミストがうれしそうに言う。


「アメツ、姪っ子に稽古をつけてやってくれないか。もう俺じゃ勝てないんだ。」

「ほう…お嬢様が、剣を嗜まれるのですか。しかもテミスト様を凌駕されると…この若さで。」


 テミストの言葉を聞いたアメツの瞳が、好奇心にくるくると輝く。

 テミストは頷き、ティナへと向き直った。


「アメツは部族一の踊り子だけど、同時に剣の達人でもあるんだ。剣技、体捌きだけじゃなく、精神的な部分でも、学ぶといいよ…」


◆◆◆


 翌朝、ティナが館を出ると、アメツが馬にまたがって待っていた。隣には、誰も乗せていない白馬が1頭。テミストの部下の兵士が轡をとっている。修行は館ではなく、馬に乗って移動して行うらしかった。

 葦毛の馬にまたがった朝のアメツは、昨日会ったとき以上に、生命力に満ち満ちて見えた。赤と金を基調とした衣装に、白い布をマントのようにふわりと羽織っている。アメツ自身が夷狄の王だと言われても、ティナは疑わなかっただろう。


「場所を移動します。馬には乗れますか?」

「ええ…」


 ティナは何十年ものループ生活の中で、乗馬の技術も習得していた。轡をとっていた兵士が乗馬を手伝おうと手を差し伸べたが、首を振って断り、自力でひらりと白馬にまたがる。

 そんなティナの様子を、アメツは興味深そうに観察していた。


「…では行きましょう。我々の領土に、修行にうってつけの場所があります。」


 アメツはこともなげに言い、馬首を巡らせる。ティナは内心動揺した。


(我々の…って、夷狄の領土に行くわけ…?)


 王国と夷狄は、基本的に緊張関係にある。もちろん友好国どうしではあるが、それはあくまでも表向きで、王国の圧倒的な軍事力の前に夷狄の部族が従属している状態である。しかもそれすら、いつ王国に牙をむくか分からないかりそめの服従にすぎない。王国が弱みを見せれば、夷狄はすぐさま王国の国境線を破ってくるだろう。それを牽制し、北方の国境線を守るために、辺境伯のテミストは存在するのだった。


(一応グレンテス家の令嬢なんだから、人質にされるって可能性も…)


 ティナは不安を感じたが、一方で馬を用意したのがテミストの部下ということは、テミストはアメツがティナを夷狄の領土に連れていこうとしていることを知っているはずだ。


(このループ限定で、ものすごい信頼関係がある、ってことなのかしら…)


 逡巡するティナに、アメツはクスリと笑った。


「…ヴァレンティナ様、よろしいですか?」

(…見抜かれている。)


 何もかも見透かしたような紫の瞳。同じ色の瞳を持つ宿敵の姿が、一瞬脳裏をよぎった。

 ティナは覚悟を決め、背筋を伸ばした。


「行きましょう。」


 アメツとティナは2人、馬を並べて駆け出した。


わざわざ馬に乗せるからには、どれだけ遠くに連れていくつもりか…とティナは身構えたが、実際に走ったのは小1時間程度だった。

 国境線を過ぎ、夷狄の部族の村を一つ過ぎると、川にぶつかった。2人は川沿いを、上流に遡るようにして走った。走りながら、アメツが声をかけてくる。


「ヴァレンティナ様は、なぜ強くなりたいのですか?王妃に剣技は不要でしょうに…」 

「なぜって…」


 なぜ強くなりたいんだったか。

 いざ聞かれると、早朝でぼんやりしていたこともあり、すぐには思い出せなかった。


(なんだったっけ…)


 ティナは馬上で記憶をたどり、ようやく思い出した。


(そうだ。エドガルドを斬りたいんだった。なぜか?エミシアを殺すために…エミシアを殺して、幸福な結末ハッピーエンドにたどり着いて、もとの世界に戻るために…)


 もちろん、何十年ものループの中で、その目的を忘れたことはない。ただ、思い出すのに時間がかかるだけで、決して忘れたわけではないと、ティナは自分に言い聞かせた。一方で、瞬時に思い出せないのは、それだけ長い期間、思考停止状態で、剣の修行だけに明け暮れていた証でもあった。


(もとの世界に戻る、という目的を見失ったら、単なる殺人マシーンと変わらないわね…)


「行きたい場所があるの…」


 ティナは静かに答えた。行きたい場所、というか、戻りたい場所。

 この世界の誰も<本来の自分>を知らない、孤独なおとぎ話の世界を抜け出す。そして、<本来の自分>がいた…いるべき場所、令和の東京へ。


(でも、東京に帰って、何がしたいんだろう。結局、ただの派遣だし…)


 道はいつしか、見通しの悪い木立の中に入っていた。

 ティナは、すぐそばの川の音に加え、ざあざあと立体的な水音がすることに気づいた。どうやら、滝が近くにあるらしい。


(わたし、ほんとうに帰りたいんだろうか。もとの世界に…)


 ふときざした疑念に、ティナは呆然とした。

 道は大きな岩をぐるりと迂回し、開けた場所に出た。ちょうど小さな滝が、目の前に現れた。


「さあ、馬はここにつないで。ここから滝の裏に回る獣道があります。」


 ティナの内心に生まれた迷いに気づいているのかいないのか。

 アメツは馬を降り、ティナに手を差し伸べた。

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