第12話 「御意。」
「ティナ、ルカ…うっ」
数十分して、店の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのはエドガルドだった。が、エドガルドは、室内の凄惨な光景に、一瞬狼狽した。
(既視感のある光景だな…。)
ティナは血だまりの中で、ぼんやりと考えた。
(まぁ、今回はまだ、殺してないけど…。)
男が3人、床に転がっている。急所は外したから、死んではいない。だらだらと血を流しながら、痛みにのたうち回っていた。
枷を外されてからのティナの行動はすばやかった。男の一人に足払いをかけて蹴り倒し、
慢心。
それは男たちにしても同様だった。言われるがままに土下座し、従順にふるまう囚われの貴族の令嬢の姿から、獰猛な剣士の一面を読み取ることは難しい。男たちはティナに刺される直前まで、女一人、短剣を振り回したところで何ができるものかと嘲笑っていたのだ。その代償が、この凄惨な光景というわけだった。
「まぁでも、貴方は、殺してもいいか…。」
ティナは、革靴の男を軽くつま先で蹴った。
「ほら、止めてほしかったら、頭を下げたら?」
「ぐ…。」
革靴の男は、血を吐きながら、ティナを睨みつけた。命乞いをしないのなら、と、躊躇なく短剣を振り上げる。
「ティナ、もういいだろう。」
「姐さん、もういいです…やめてください…。」
ティナの手を、エドガルドが掴む。ふと足元を見ると、男の身体にかけた足には、いつからか意識を取り戻していたルカがすがりついていた。
「…」
ティナは、ふっと力を抜いた。手から落ちた短剣が、革靴の男の鼻先に落下した。
ティナが短剣を手放した後も、エドガルドはティナの手を離さなかった。赤い瞳が、じっとティナの目を覗き込む。まるでティナの心にかかった深い霧の向こうを見透かそうとしているかのように。
ティナの方では、王太子を殺したときのような高揚感は、すでになかった。ただ、激しい感情が身体を駆け巡り、そして去っていったあとの虚脱感だけがあった。執拗に目を合わせようとするエドガルドから、ティナは目をそらし続けた。
「とりあえず、こいつらは兵卒に引き渡そう…ルカは訓練所で治療だな。歩けるか?」
「はい…」
ルカがふらふらと立ち上がる。手ひどく痛めつけられてはいるが、幸い、大したけがはなさそうだった。
その後、何人かの団員たちが入ってきて、ルカを保護し、男たちを捕縛した。彼らが去るまで、エドガルドはずっとティナの手を握っていた。
彼らが去った後、エドガルドは静かに言った。
「ティナ、少し話せるか?」
◆◆◆
裏街を抜けたところに、馬車が待っていた。ともに色彩眼で有名人のエドガルドとティナが、血糊を浴びたまま王都を闊歩するわけにはいかない。ティナは促されるまま、馬車に乗り込んだ。
エドガルドは、何も言わなかったし、聞かなかった。ただ焔のように赤い眼が、ずっとティナを観察していた。
(なんであんなことをしたんだろう…。)
引き続き、エドガルドから目をそらしながら、ティナは考えた。
卑怯な方法で嵌められたから。自分の慢心に腹が立ったから。ルカが蹴られたから。土下座させられたから。
いくつもの言い訳が、頭の中でうるさく響いた。だが、ティナは、それらを口に出さなかった。
そんなことで、ゴロつきを半殺しにしたわけではなかった。自分でも制御できない感情に駆り立てられて、気づけば男が3人、血を流して床に蹲っていた。
男たちを行動不能にするだけでは飽き足らず、必要以上に痛めつけさえした。前回のループで、王太子や、貴族を殺したときと同じだ。
自分でも制御できない感情。
その前に意識にのぼったこと。
(200年間のループ…)
あのとき革靴の男に髪を踏まれながら、200年にわたるループのことを考えていた。200年も貴族をやっている間に、いつのまにか心の底まで王国貴族になってしまったのだろうかと。
そして、そもそもどうして自分がこんな目に遭わなければならないのかと。
自分がいったい、何をしたというのか。
…それが、ティナの自制心を奪った。いや、「自制しなくてもいい」と、自分に、感情のまま暴走することを、赦した。
「それで、気は済んだのか…。」
黙ったままのティナに、エドガルドが投げかける。ティナははっと顔を上げた。
…気など、済みようがなかった。
ティナにだけ、200年の時間が過ぎた。
1年経つごとにリセットされる人間関係。確かにティナが覚醒する前の17年間、彼らはティナのそばにいたのだろう。だが、覚醒した後の自分と過ごした経験や記憶を、父も、叔父も、王太子も、決して覚えていてはくれなかった。破滅の運命を繰り返しているという秘密すら、誰にも打ち明けることができない。
(それでも…。)
この赤い眼を見ていると、感情を暴発させる自分が、いたたまれなく、恥ずかしくて、ティナは目を伏せる。涙が視界を曇らせた。
200年も破滅の運命を繰り返しているから。誰も自分のことを覚えていてくれないから。誰にも自分の秘密を打ち明けられないから。孤独だから。自分は十分に傷ついているから。
だから、相手を傷つけてもよいという正当性が得られさえすれば、喜んで自分より弱い人間を傷つける。
特別な機会を得て手にした力で、暴力を振るって、誰かを殺して、傷つける。感情のままに暴走し、他人の血にまみれて、自己憐憫に浸る。
こんなことを、いつまで繰り返すつもりだろう。
ティナは涙をこぼさないよう、上を向いて深呼吸した。
「わたしは…。」
「ティナ、俺に何ができるだろう。」
エドガルドが、静かに問う。
「…何かしてくれるの。」
「俺にできることならば。」
「じゃあ、私を愛して。そして裏切らないで。絶対に。」
ティナは早口で言い終えてから、はっと口をつむいだ。
最終的に婚約破棄されることが自分にとっては当たり前すぎて忘れがちだが、エドガルドたちこの世界の人間にとっては、ティナは王太子の未来の妻であり、王国の未来の王妃なのだった。怪訝に思われ、場合によっては王太子への不逞行為で一足早い破滅を迎えかねない。ティナは自分の失言を激しく後悔した。
だが、エドガルドの反応は、意外なものだった。
「御意。」
そういって身を乗り出し、ティナの唇にそっと口づけた。
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