第11話 慢心
薄暗い店内に入ると、黴臭い湿った空気が肌に纏わりついた。もとはパブのような場所らしく、フロアにはいくつかのソファとテーブル、奥にはカウンターがあった。ソファの布地はやぶれ、テーブルにもカウンターにも厚い埃が積もっている。しばらく営業していないことは明白だった。
店に入るなり男の一人がティナの身体に触れ、持ち物を検査し始めた。あえなくレイピアと短剣を没収され、丸腰にされる。ティナは歯がゆい思いで、無造作に転がされたレイピアと短剣をにらみつけた。隙をついて短剣で反撃しようと思ったが、そう簡単にはいかなさそうだ。
身体検査が終わると、同じ男がティナに手枷をかけ、ぞんざいに床に突き飛ばした。
「宰相に手紙は書いたのか?」
「ああ。計画通り、身代金の受け渡しは西門の外でいいか。」
「そうだな。それにしても、こんな雑な計画で宰相令嬢をさらえるとはな…。じゃじゃ馬でラッキーだったぜ。」
話を聞く限り、身代金目的の誘拐らしかった。ティナを溺愛する父のことだから、彼らの言い値の身代金を払うだろう。
だが、父が素直に身代金を払ったからといって、ティナが無事に解放されるとは限らない。
案の定、男の一人がにやついて言う。
「おいおい、雑に扱うなよ。商品価値が下がる。」
「いいだろちょっとくらい。俺は貴族が大っ嫌いなんだ。」
ティナを突き飛ばした男が、ティナの髪を革靴で踏みつける。商品価値、という言葉に背筋が冷えた。
(身代金だけふんだくって、どこかの娼館に売ろうという魂胆か…。)
ティナは臍を噛む。
慢心。
その2文字が脳裏をかすめた。
ずるのような方法で、90年修行して、少しは剣が使えるようになった。純粋な剣での決闘では、王太子にも貴族たちにも勝利した。レイピアの名手である叔父さえも凌駕し、近衛師団長のエドガルドとも対等に渡り合うまでになった。
だが当然、剣の技には限界がある。そもそも、剣での戦いに向かない場所もある。人質をとり、巧妙に挟み撃ちをするような卑怯な手合いもいる。宰相令嬢かつ王太子の婚約者である自分が狙われやすいことは分かり切っているはずなのに、自分の剣技を過信し、供も連れずに1人で危険な裏街に足を踏み入れたがために、街のゴロつきのような連中に易々と捕まってしまった。すべては自分の慢心が招いたことだった。
ティナの髪を踏んだ革靴の男は、その足で、ティナではなく、隣に転がっているルカを蹴り上げた。
「やめなさい!その子は関係ないでしょう!」
叫ぶティナを、革靴の男はぎろり、と睨んだ。貴族が大嫌いだ、という男の目には、確かに冷たい憎悪が渦巻いて見えた。
「やめて欲しければ、俺に頭を下げたらどうだ。このガキも、お前と関わらなければこんな目に遭わなかっただろうがよ。」
「何を…。」
「貴族様は頭の下げ方なんか知らないか。つくづく可哀そうなガキだな。」
革靴の男はそういって、ルカの腹を何度か踏んだ。容赦ない攻撃に、半分意識を失っているはずのルカが、踏まれるたびにうめき声をあげた。
「…めてください。」
「ああ?聞こえない。」
「やめてください、お願いします…」
ティナはよろよろと、その場に正座した。そのまま男に向かって、頭を下げる。ぎりぎり額が床につくかつかないか、というところまで。
「それで頭を下げたつもりかよ」
革靴の男がせせら笑った。ティナは唇を噛みながら、額を埃っぽい床につけた。
「お願いします。私はともかく、ルカには手を出さないでください…。」
(すべてはわたしの慢心が招いた事態だ…これ以上ルカに痛い思いをさせたくない。)
下げた頭を、ぐりぐりと靴で踏みにじられる。屈辱に頬が燃えた。
(土下座くらい、何でもないはずなのに…200年も貴族をやってるから、骨の髄まで貴族になっちゃったのかしら。)
状況が切迫すればするほど、頭の中ではまったく別の想念が駆け巡る。ティナはゴロつきに頭を下げながら、どこか醒めた目で自己分析をしている自分に気づいた。
(わたしは何をしているんだろう…。200年も貴族ごっこみたいなことをして。剣の修行なんかして。ちょっと強くなったからって油断して、こんなところでこんな目に遭ってる。自業自得かもしれないけど、そもそも…。)
「…いやぁだね。」
革靴の男とは別の男が、ひときわ激しく、ルカを蹴りつけた。
「ぐわ!」
「ルカ!」
ルカは蹴られた勢いでごろごろと転がり、部屋の反対側の壁に激突し、ぐたりとなった。
つい顔を上げて叫んだティナの頭を、革靴の男が再度踏みつける。額を床にしたたかに打ちつけて、目の奥がちかちか光った。
「くう…っ。」
「誰が頭上げていいって言ったよ!ああ!?」
「すみませ…。」
「ケツ突き出してよ、実は犯られたいんじゃねぇの。」
(…そもそも、わたしが、何をしたって言うんだろう…。)
半分身を浮かせた体勢から頭だけを踏みつけられ、期せずして尻だけを高く掲げる姿勢になったティナを、男たちは下卑た声で嘲笑した。
ティナの中で、何かがぷつんと切れた。
殺意。
こんな殺意を抱いたのは、前回、王太子と取り巻きの貴族たちを皆殺しにしたとき以来だった。
「なぁ、ここで犯っちまおうぜ…。」
従順なティナの様子に安堵したのか、仲間の男がティナの枷を外した。
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