第10話 挟み撃ち
宰相令嬢ヴァレンティナ・グレンテスは、かくしてフェリクス近衛師団に入団した。
とはいえ、王宮の哨戒や要人警護などは、王宮つきの兵士たちが行っている。近衛師団は、王直轄の遊撃部隊で、パレードや儀式のとき、そして緊急時以外は特にやることがない、ということだった。
そしてやることがないときは、一日訓練所に詰め、剣技に磨きをかける。ティナは他の団員のように訓練所の寮に住んでいるわけでもないので、毎日訓練所に通うつもりはなかった。だが、ルカに稽古をせがまれるのと、近衛師団の居心地がよいのとで、2~3日に1度は訓練所に赴くようになっていた。
その日もルカの相手をするために、昼過ぎから訓練所に赴いた。だがその日、いつもなら朝から剣を振っているルカの姿はなかった。
「あら、ルカは…?」
「なんだか昨日から、実家に帰ってるみたいで…今日の昼には戻ってくるって話してたけど、そういえばまだ戻ってきてないな。」
ティナの問いに答えたのは、訓練所に詰めていた団員のラウルだ。
「ルカの実家はどこなの?」
「王都の西側ですよ…西門のすぐ近くの街区です。」
(王都の西側…?裏街じゃない。)
ラウルの言葉に、ティナは眉を顰める。
王都の西側は、いわゆる裏街と呼ばれる、王都の中でも一、二を争う治安の悪い街区だ。古い長屋のような建物が密集している区画に、貧しい人々が、肩を寄せ合うようにして生きている。乱闘騒ぎも絶えず、非合法な娼館もいくつかあるという。貴族階級の人間が一人で寄り付くことはめったにないエリアだ。
「心配ね…少し様子を見てくるわ。」
まじめなルカが、戻ってくるといった時間に戻ってきていない。一抹の不安を感じたティナは、王都の西側へと向かった。
◆◆◆
(といっても、裏街に土地勘があるわけじゃないし…ルカの実家の場所も、もっとよく聞いてこればよかった。)
初めて足を踏み入れた裏街は、思いのほか入り組んでいた。狭い区画に安アパートが密集しているせいで、日の光が遮られ、昼でも薄暗く、じめじめしている。ラウルからおおまかな位置を聞いて出てきたものの、目印になるような建物も少なく、迷わずたどりつける自信はなかった。
飲み屋やバーが立ち並ぶ比較的大きな路地を抜け、1本奥に入る。路地1本でがらりと雰囲気が変わり、明らかにうらぶれた店や、あやしげな看板が並んでいる。
(ここをさらに西に入るはず…。)
「こんなところに、なんの用だい、お嬢さん。」
立ち止まり、位置を確認していると、いきなりティナの真横の店の扉が開き、中から体格のよい男が出てきた。
反射的に一歩下がると、いつのまにか、後ろにも男が2人。挟み撃ちにされた格好だ。
(やられた…警戒していたつもりだったのに。)
路地に入ったところから、目をつけられていたのだろう。
ティナは瞬時に周囲に目を走らせた。
両側に建物があり、レイピアを振り回すには空間が足りない。防御用の短剣だけでどれだけ戦えるか…目測しながら、そっと右手を短剣にかける。
そんなティナを嘲笑うかのような声が、ティナの真横の店―…いきなり男が出てきた店だ―…から聞こえた。
「おっと、これの命が惜しけりゃ、おとなしくすることだぜ、お嬢さん。」
声につられ、暗い店内に目を凝らすと、床に、一人の少女が横たわっていた。
「ルカ…!」
「さぁ、両手を挙げて、店に入りな。宰相令嬢ヴァレンティナ・グレンテス。」
前にいる男が、薄笑いを浮かべて顎でしゃくった。
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