第9話 「お嬢さんを俺に下さい!」
「ティナが神殿に行ったっきり戻ってこないから、どうしたのかと思えば…」
近衛師団の集会所の会議室。円卓のこちら側には、エドガルドとティナ。向こう側には…父宰相とその側近、女中頭のリタもいた。
「お前がティナにいきなり襲いかかって、しかも、強引に訓練所に引っ張っていった、というじゃないか…これはどういうことなんだね、エドガルド。」
父カリストが真顔で口にした言葉に、ティナは内心ほっと胸をなでおろした。
おそらく神殿の関係者が遠目に見ていて、ご注進に及んだのだろう。事実と相当異なる形に歪められているが、ティナにとっては好都合だった。
(そもそもわたしが襲いかかった、なんてお父様が信じるはずもないけれど…)
神官と近衛師団長を殺害しようとした、という事実が父親に知られていないことにほっとすると同時に、エドガルドに対し若干後ろめたい気持ちが芽生えた。宰相令嬢かつ王太子の許嫁であるティナに斬りかかり、訳もなく連行した…となると、いくら近衛師団長でも重罪に問われる可能性がある。
「お父様、これには訳が…。」
立ち上がって擁護しようとするティナを目で制し、エドガルドが放ったのは、意外な言葉だった。
「宰相…いえ、お父様!どうか、お嬢さんを…俺に下さい!」
「「「…はぁ!?」」」
エドガルドの予想外のセリフに、彼以外の全員が、驚き、呆れ、硬直した。
◆◆◆
お嬢さんを俺に下さい=お嬢さんを俺に預けてください。
よく考えれば当たり前だが、王太子の許嫁たるティナを嫁にくれ、という意味ではなかった。
「最近、お嬢様が好戦的になった、と思いませんか?いきなり剣を振り回したり、殺気を放ったり…近衛師団で、私の目の届くところにいれば、お嬢様の身の安全は保証できます。」
「確かに…。」
(確かに、なのかい!)
エドガルドの説得に、父が頷く。見ればリタまで深く頷いている。グレンテス家の人々に対しては不自然にならないように振る舞っていたつもりだが、やはり少しずつ戦闘狂的思考に染まっているのが、父やリタにはなんとなく伝わってしまっていたらしい。
そういえば最近のループでは、最初からティナの身体にぴったり合ったレイピアとダガーが自室にある。最初のうちはいちいち特注していたものだ。ループするうちに時短サービスが発動したのかな、などと呑気に考えていたが、ティナのこの何十年かの思考と行動が、「覚醒」する前のヴァレンティナ・グレンテスの人格にまで、影響を及ぼしているのかもしれない。
などとつらつら考えていると、「男どうし、腹を割って話したいから」と、リタともども会議室を追い出されてしまった。父を待つ間、することもないので、ぶらぶらと、隣の訓練所に向かう。
「あっ、ティナ姐さん!稽古つけてください!」
入ってきたティナをめざとく見つけた少年兵が、駆け寄ってくる。一番最初に元気よく斬りかかってきて、5秒で倒された子だ。
(こんな小さい子が、兵士、ねぇ)
見回しても、彼ほど幼い兵士は他にいなさそうだった。12、3歳くらいだろうか。自分の身長ほどの長さのロングソードを構えた。もちろん刃を落とした模擬刀である。
「いいよ、暇だし…かかっておいで」
「でも、姐さん、剣を」
「いらない。悔しかったら、抜かせてみなさい」
ティナの挑発に、少年は気を吐いて、斬りかかってくる。隣でリタがひっと息を吸い込んだが、ティナは難なく少年の斬撃をかわし、懐に入って右腕をつかみ、捻り上げる。
(あらっ、この子…)
「いててててっ!」
たまらず剣を取り落とす少年。周りで見ていた年長の兵士が、ヤジを飛ばす。
「なんだい、ルカ、今度は3秒でやられてるじゃないかよ」
「うっさい!ラウル兄さんだって10秒くらいで倒されてたよ!」
へらず口に、ははは、と仲間たちが笑う。最年少だけあって、この兵士は周囲の兵士たちに可愛がられているようだった。
ティナはルカの右腕を解放しながら、さきほど抱いた違和感をぶつけた。
「ルカ…あなた、女の…」
「わーっ、姐さん、待って!待って!」
ティナの声をかき消すように、大声を張り上げるルカ。かと思えば、急に声を落とし、顔を寄せて、囁いてくる。
「な、内緒なんです…女だってこと、みんなに…。だから…」
「別にいいじゃない、女だって。わたしだって女だし」
「姐さんは特別ですよ!鬼みたいに強いんだから!でも、ボクはまだ弱いから…女ってバレたら、追い出されちゃうかも…」
顔を赤らめてもじもじするルカ。ティナはふう、とため息をついた。
「わかった。いいわよ…黙っておいてあげる」
(というか、絶対みんな、気づいてると思うけど…)
ティナが3秒手合わせしただけで気づいたのだ。日々行動をともにし、一緒に訓練している師団の仲間たちは、エドガルドを含め全員気づいているだろう。
「なんで師団にこだわるか…って、聞かないんですか、姐さんは」
「そりゃ、人はそれぞれ、強くなりたい理由があるものよ。それを詮索しようなんて、思わないわ」
ボクは「まだ」弱い、と、ルカは言った。つまり、これから強くなりたいということ。
ティナが強くなりたいのと同じように、ルカにも、強くなりたい理由があるのだろう。
「姐さん、かっこいい…一生ついていきます!」
「姐さんはやめてほしいんだけど…一応まだ17なんだから…」
ルカは目をきらきらさせる。周りの兵士たちも、心なしか嬉しそうに微笑んでいた。
◆◆◆
子犬のようにじゃれついてくるルカをようやっと追い払ってリタの隣に戻ると、リタは、感慨深そうにひとつ息をついた。
「お嬢様、楽しそうですわね…」
「そうかしら?むしろあの子がなかなか放してくれないから、困っていたんだけれど…」
「いいえ、初めて見たかもしれませんわ…お嬢様がこんなに楽しそうにされているのを」
リタは、目にうっすらと涙さえ浮かべていた。
楽しい。確かに、そうかもしれなかった。
稽古をつけてくれと寄ってくるルカ。すでに仲間と認めてくれている、レミヒオやラウルをはじめとした近衛師団の面々。そして何より、「お嬢さんを俺に下さい!」と宰相に頭を下げた、エドガルド。早くもティナは、このフェリクス近衛師団という居場所を、居心地よく感じ始めていた。
(どうせ今回のループは失敗なのに…)
エミリアを殺し損ねた失敗回。早く終わりにして、次のループを始めたほうが効率的…頭では分かっている。だが、心がそれを拒む。この新しい居場所に、一秒でも長く居たい…そんな感情が、ティナの心に満ちつつあった。
「必要とされるのって、嬉しいものね…」
「まぁ、お嬢様!グレンテス家に仕える者一同、お嬢様のことを必要としない者などおりませんのよ!」
むきになるリタを宥めていると、父カリストとエドガルドが、連れだって訓練所に入ってきた。
「お父様…」
宰相は、娘の前に立ち、こほん、と咳払いをして、威儀を正した。
「ティナ、お前は、近衛師団に入りたいのか…」
「はい…」
自分でも驚くほど、素直な気持ちを出していた。
「わたくし、この方々のことが、好きです。この方々の役に立ちたいんですの」
「ティナ…」
リタに続き、父まで目に涙を浮かべている。グレンテス家は、一人娘のティナに弱すぎるのだった。
「わかった。ティナがそういうなら…エドガルドもあそこまで言ってくれたのだし、許可しよう。」
「お父様、ありがとうございます…!」
深く頭を下げながら、「あそこまで言ってくれた」の内容が気にかかった。そういえば、ティナとリタが会議室を辞してから、結構長い時間話し込んでいたようだ。エドガルドが父にどんなことを言ったんだろうと、ティナは不安になった。
「だが、くれぐれも危ないことはしないように!娘の身に一つでも傷がつくようなことがあれば、わたしも王太子も黙ってはいないよ。わかっているだろうね、エドガルド!」
「もちろんです、宰相殿…というか、お嬢様ほど強いと、傷なんて、つけようと思ってもつけられませんよ」
エドガルドの言葉に、訓練所中が、明るい笑いに包まれた。
かくしてティナは、フェリクス近衛師団の一員となった。
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