【幕間】はりぼての獅子王④ 星々と雪雲

 昨夜満天の星を見せた空に、遥か彼方の山脈から、鈍色の雲が塊になって押し寄せていた。

 レオンシオは星を見たのとほとんど同じ目で、雪を降らせる雲を見た。


「王太子殿下、ほんとうにこの崖を下るのですか?」


 おそるおそる、といった顔つきで、指揮官の一人がレオンシオに聞く。

 レオンシオの後ろには五百の部隊。レオンシオの前には、急峻な、ほとんど直角と言っても過言ではない崖。


「そうだ、と言っているだろう。ここを下れば、異民族どもの部落の裏手だ。虚をついて攻撃できる。手柄が欲しくはないのか。」

「しかし、この角度では…。」

「そうか。じゃあ、選んでいいぞ。」


 ぐずぐずと渋る兵士たちに、レオンシオはにやり、と口角を上げてみせた。


「崖で足を滑らせて死ぬか、王都に戻って家族ともども命令違反で処刑されるか、選べ。」


 兵たちがぶるり、と身を震わせるのが手に取るように分かった。

 他人を支配するということの、ぞくぞくした快感が、背骨を貫いた。


「臆するな!俺に続け!蛮族どもに王国の名を示すのだ!」


 鬨の声を上げて、レオンシオは馬に鞭を入れた。

 馬は勇敢に崖を降りていく。手綱を取りながら、後ろを振り返る余裕はなかった。が、実際に崖の下に降り立ってから確認してみると、半数程度の兵がついてきていた。ついてこなかった半数のうち、途中で滑落した者半分、しっぽを巻いて逃げた者が半分、と言ったところか。


 異民族の集落は、朝射かけた火矢の効果か、ところどころが焼け落ちていた。

 いきなり出現した王国軍に、人々が驚愕し、逃げ惑う。男はほとんど出払っており、いるのは老人か、女子供ばかりだった。

 だがレオンシオは、そんなことにはお構いなく、すべてを斬り、焼き、破壊し、蹂躙した。集落一帯が血の海になるのに、そう時間はかからなかった。

 いつしか、吹雪になっていた。雪まじりの強風が、容赦なく頬を嬲る。水っぽい雪と、流れ出した血とで、赤黒いぬかるみがそこここにできていた。


「殿下、いくら異民族でも…女子供ばかりです、これでは略奪と変わらない…!」


 集落の反対側まで来たとき、兵の一人が、たまらず怒鳴った。レオンシオはまったく聞こえないふりをして、吹雪の中、馬を歩ませた。

 細い川が隣の部落の村との境になっているようだった。川原に、母子が命乞いをするようにひれ伏している。吹雪の中、小刻みに震える母親と、幼い少年を、レオンシオは星々と雪雲を見たのと同じ目で見た。

 つまり、あまり興味のないものを見る目で。


「どうか、お助けください、命だけは…。」

「じゃあ、服を脱げよ。そうしたら子供の命は考えてやる。」


 レオンシオの言葉に、夷狄の母親はびくり、と身体を震わせ、無意識に腕を身体に回した。

 実際には、逡巡する母親になど、ほとんど興味はなかった。ただレオンシオの頭の中には、深紅の瞳だけがあった。


(よくもテミストの、指揮官たちの面前で、俺を殴ったな…!どこまでも俺を馬鹿にして、屈辱を与えて!それでいて正義面か!ふざけるな…!)


「どうしたんだ、脱がないのか?」

「あの…お許しを…。」


 母親は、唇を噛んだ。おずおずと服を脱いでいく。吹雪は、薄着になった夷狄の女にも容赦なく吹き付ける。女が震えているのは、寒さのせいか、それとも屈辱ゆえか。レオンシオは再びひれ伏したその裸体を見るでもなく、しばらくそのまま放置してから、思い出したかのように剣で突いた。


「お母さん!」


 それまで隣でひれ伏していた少年が、煩わしく飛びついてくるのを、蹴り飛ばしてさらに切りつける。2人の死体が川原に転がった。


「殿下、あまりにも…。」

「どうしてだ。」

「え?」


 レオンシオの蛮行に顔をしかめる兵士に、彼は尋ねた。


「どうして他人が俺に屈辱を与えることは許されて、俺が他人に屈辱を与えることは許されないんだ。」

「殿下…。」

「俺を殴っただろう。俺を馬鹿にしただろう。俺を無視して…俺に恥をかかせただろうが!俺は次期国王なのに!」


 深紅の瞳のエドガルドが、次期国王の自分に、屈辱を与えた。殴った。脅かした。攻撃した。

 …どうして他人は自分を攻撃していいのに、自分は他人を攻撃してはいけないのか。

 本気で分からなかった。だから嬲り殺した。だから質問した。だから…。


「お前、俺の質問を無視したな。」

「ひっ…。」


 質問に答えなかった兵士をなで斬りにして、レオンシオは残る部隊をねめつける。


「川を渡って、隣の部落に攻め入るぞ…武勲を立てたければ…ついてこい!」


◆◆◆


 そしてレオンシオは、隣の部落も、焼いた。

 隣の部落には男手がいたので、多少苦労はした。きっと火矢を射かけられて復讐に走った部落と、川の反対側の部落で、仲が悪かったのだろう。隣の村が焼かれて、王国軍に楯突き、さらに焼かれるのを、黙って見ていたらしい。

 が、実際その王国軍が川を越えて攻めてくるとなれば話は別だ。レオンシオの前に、件の面の男が現れた。


「レオンシオ様…、こちらの部落は…!」

「何だ、お前か。お前だろう。崖を下って急襲しろと言ったのは。」

「ですが、こちらの部落は…いつだって王国に恭順を示して…ひっ!」

 レオンシオは、面の男を袈裟懸けに斬った。


「今更関係あるか。全部焼け。」


 レオンシオは後続の部隊に命じた。


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