【幕間】はりぼての獅子王③ 打擲と復讐
天幕に戻ると、エドガルドと軍の指揮官たち、それに、辺境伯のテミストの姿があった。
「殿下、供もつけずにどちらに行かれていたのですか。」
エドガルドが眉を顰める。レオンシオは意に介さず、テミストの向かいに座った。
「テミスト、出迎えご苦労。」
「この辺りはごたごたしていますからね…崖の向こうは異民族の領土ですが、新王を輩出した部落と、隣接する部落との間では昔から小競り合いがあって…まぁ、北の夷狄も一枚岩ではないということですよ。」
(それであの面の男か。俺をけしかけて、敵対部落をつぶそうという…。)
レオンシオは一人で納得した。だが、老人に会ったことは、何となく、胸の内にしまっておいた。
「それに、明日の朝はおそらく吹雪になる。殿下、エドガルド殿、明日は行軍せずここでもう1日待たれては?」
「吹雪?満天の星空だったが…。」
慎重なテミストの提案に、レオンシオは首をかしげる。テミストはかぶりを振った。
「夕刻、山脈の向こうに灰色の雲がありました。風にも雪のにおいが混じっている。こういう場合、朝から吹雪くのです。今夜はその警告もかねて参りました。」
「テミスト、警告はありがたいが…王宮軍の指揮官は、俺だ。行軍するかどうかは、俺が決める。」
ふてぶてしい態度を崩さないレオンシオに、エドガルドが素早く口を挟んだ。
「殿下。北国の天気は変わりやすいのです。ここは当地の風土を知悉されたテミスト殿の忠告に従うべきかと…。」
(風土を知悉?田舎貴族風情が…。)
レオンシオは苛立ちを隠しながら、からりと笑って見せた。
「どうせ一日待つなら、ついでに崖下の夷狄でも制圧してくるか?その、吹雪とやらに乗じて。」
「殿下、お戯れを…。」
「一枚岩ではないのなら、誰かには感謝されるだろう。俺たちだってこんな大軍引き連れて、国王陛下のご挨拶を申し上げますってだけじゃあ、はりぼてと言われても仕方ないだろう。牽制っていうなら、目にもの見せてやったほうが…。」
「いい加減になされよ!」
怒号とともに、頬に痛みが走る。
エドガルドが立ち上がり、レオンシオの頬を叩いたのだと気づくまで、数秒を要した。
レオンシオは何も言わなかった。いや、言えなかった。あまりの屈辱、そして怒り…罵倒の奔流が脳内を渦巻いていたが、それを口に出そうとしても、舌がもつれて回らない。それくらい激していたのだ。
結果的にレオンシオとエドガルドは数十秒、憤怒の形相で黙ったまま睨み合った。
永遠とも思える時間の後、先に視線を外したのは、エドガルドだった。
「…とにかく、臣下の忠言をお聞きください。いたずらに兵を失うことを避けたければ…」
(臣下の忠言?お前たちの言いたいのは、「色彩眼でもない落ちこぼれの王太子は、俺たちの言うことを聞いていればいいんだ」じゃないのか。)
レオンシオは怒りに任せ、周りの指揮官たちをぐるりと睨みつけた。
指揮官たちやテミストは、目を伏せてはいるものの、臣下の分際で王太子を打擲したエドガルドの不敬を咎めることはなかった。暗に、エドガルドの方が正しいと言いたげな表情で、沈黙している。
「ふん、田舎貴族に、臆病犬どもが…勝手にしろ!」
(俺はお飾りじゃない。はりぼてじゃないんだ。目に物を見せてやる…。)
レオンシオは、ずかずかと天幕を出た。黒々とした怒りを抱えて。
◆◆◆
翌朝、北方の冬の曙光を、レオンシオはあの崖の上で迎えた。
雪の気配など微塵もない、からりとした快晴だった。
(天は俺に味方した。俺が獅子の名に相応しい王だということを、見せてやる…)
後ろに控えている弓兵に、顎をしゃくって見せる。
射かけるのは、一本の火矢。
(要は、向こうが攻めてこればいいんだろ)
凛とした冬空を割いて、火矢は彗星のように崖下へと落ちた。
◆◆◆
しばらくしてから天幕に戻ると、昨夜とほとんど変わらない顔ぶれが、行軍すべきか否かで議論している最中だった。
テミストは相変わらず、この後吹雪になると主張していた。基本的にはエドガルドもテミストを立てる姿勢だったが、現状が快晴なので、指揮官たちの中には様子を見ながら軍を動かしてもいいのでは…という意見の者もちらほら出始めているようだった。
レオンシオが入っていくと、一瞬彼らは沈黙したが、再び議論を再開した。
(俺の意見はもはや関係ないというわけか。どこまでも馬鹿にしやがって…)
レオンシオは苛々しながら、どかりと上座に座り、面々を順繰りに睨みつけた。指揮官たちは居心地悪そうにしたが、エドガルドとテミストは意にも介さず、レオンシオを無視し続けた。
そんなとき、見張り兵が天幕に飛び込んできた。
「お知らせします!崖の下の異民族が、こちらへ攻めてきています!」
「何?見間違いじゃないのか!この大軍に?ありえない!」
予想外の報告だったのか、テミストが思わず立ち上がり、いきり立つ。
「なんでも、王国が先に仕掛けた、部落を焼いた復讐だ、と…決死の覚悟のようで…」
見張り兵の言葉に、エドガルドは、はっとこちらを見据えた。
物問いたげな深紅の瞳。レオンシオは、それを完全に無視した。
そして、皮肉をたっぷりと効かせて、言ってやる。
「異民族の言いそうなたわごとだな。おい、向こうが攻めてきたら、迎え撃つしかないんじゃないのか?」
「…王太子殿下のご命令だ!全軍迎撃態勢を取れ!」
エドガルドは立ち上がり、指揮官たちに命じた。指揮官たちが慌てて自分の部隊へと戻っていくのを見送った後、エドガルドは素早くレオンシオの方に振り向いた。
そして。
「クズが…。」
ぼそり、と。
吐き捨てた。レオンシオにだけ聞こえるように。
かっとなって立ち上がったレオンシオをひらりと躱し、エドガルドは天幕を後にした。
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