第6話 心臓を貫かれて
宰相令嬢ヴァレンティナ・グレンテスは、殺意に満ち満ちていた。
今日はティナの18歳の誕生日であり、王宮の大広間で、王太子レオンシオと宰相令嬢ティナの大々的な婚約披露パーティーが行われる。そしてその中で、ティナは婚約破棄を宣告され、父とともに謀叛を企てた大罪人として破滅エンドを迎える…はずだった。
しかし、今年は特別な年だ。この日に向けて、ティナは90年に渡り、鍛練を積んできた。
剣の才能など、一切なかった。そもそも転移前は、ほとんど運動すらしなかった…だが、どんなぼんくらでも、90年もの歳月、一心不乱に修行を重ねれば、ある程度の力は手に入れることができる。
(今日は、今の自分の実力を試す日だ…。)
王宮の大広間へ続く控えの間で、婚約者である王太子レオンシオの迎えを待ちながら、ティナは一人そわそわしていた。
もちろん、今回
「王太子様より、至急、大広間へお越しになるようにと…。」
「分かりました。向かいます。」
王宮つきの侍女に伴われ、大広間へと進み出る。そこには王国の主だった貴族十数名と、王太子レオンシオ、そして…ティナがよく知る女性。ティナにとっては馴染みの光景が広がっていた。
「ヴァレンティナ・グレンテス、ここに参りました。」
(今のわたしの剣技が、どれくらい通用するか、試す。そして…。)
ここにいる全員を、血染めにしてやる―…
二世紀近くに渡って蓄積された怨嗟を漲らせながら、ティナは王座の前に膝を突いた。
◆◆◆
「今ここに、王太子レオンシオの名において宣誓する!カリスト・グレンテスの爵位および宰相職を剥奪し…ヴァレンティナ・グレンテスとの婚約を破棄する!」
聞き慣れた婚約破棄の台詞。ティナは決然と立ち上がった。
「わかりました…しかし王太子、わたくしにも誇りというものがあります」
動きづらい、パーティー用のドレスを脱ぎ捨てる。ドレスの下には、男性貴族が身に付けるようなシャツとズボンを着込んでいた。腰には、愛用のレイピアとダガーを帯びている。
「婚約破棄は受け入れましょう…だがその前に、わたくしと決闘をしていただきたい!わたくしを棄てるというのであれば、レオンシオ様みずから、わたくしを殺してくださいませ!」
婚約者のいきなりの要求に、王太子は一瞬狼狽した。
「いきなり、何を言い出すのだ…。」
「女相手に、臆したか!剣をとれ!レオンシオ!」
ティナが立ち上がり、一喝すると、王太子の目が据わった。
ティナと王太子の、決闘。周りの貴族も、従者たちも、特に止めようとはしなかった。まさか深窓の令嬢であるティナに、剣での決闘で王太子が負けるわけはないと、たかをくくっているのだろう。面白い余興でも見るような目で、ティナ、そして王太子を見ている。
「そこまで言うなら…後悔するなよ!ヴァレンティナ!」
レオンシオは、従者からレイピアを受け取った。
ティナとレオンシオは同時に鞘を払い、打ち合った。
◆◆◆
辺境伯謀叛の報せを携え、近衛師団長エドガルドが大広間に駆け込んだとき、広間中を満たしていたのは、噎せ返るような血の匂いだった。
「何だ、これは…!」
十数人に及ぶ貴族たちの死体が、累々と折り重なっている。
広間の奥、玉座の前には、王太子レオンシオと思しき男性が倒れていた。おそらくすでに絶命している。
そして、女性が2人。立っている女性が、床に這いつくばった女性に、剣を突きつけている。剣を突きつけられているのは、白銀の聖女エミリア。神の寵愛を得て、予言の力をもつという女神官だ。そして、冷酷な目で彼女を見下ろしているのは…
「ヴァレンティナ様…なぜ!」
「…なぜ?」
男性貴族のような装いをしているが、緑髪緑眼の麗人は、宰相令嬢ヴァレンティナ・グレンテスに間違いなかった。
エドガルドの問いに、ヴァレンティナはゆらり、と目を向けた。暗いエメラルドの瞳に貫かれ、エドガルドはぶるり、と震える。
(なんという殺気…これが本当に宰相令嬢か。)
「なぜ、か。貴方はいつもそう聞きますが…。」
ヴァレンティナは、躊躇いなど微塵もなく、レイピアでエミリアの喉を突いた。まるでなにかのついで、といった風情で。這いつくばって命乞いをしていた女神官は、あっけなく息絶え、倒れた。
「きっと、あなたには分からない。」
言いながらヴァレンティナは、レイピアに付着した返り血を、エミリアのドレスでぬぐう。エミリア自身の喉から流れる血と、なすりつけられた血とで、純白のドレスは深紅に染まった。
王太子とエミリアの死体を邪魔そうに足でどけながら、ヴァレンティナはエドガルドの方へと歩を進める。
レイピアの切っ先をこちらへ向け、狂ったように微笑みながら。
「さぁ、時は満ちた。殺し合いましょう、エドガルド。」
◆◆◆
ティナが近づくと、赤髪の男は、音もなく剣を抜いた。互いの間合いに入る一歩手前でぴたり、と止まり、睨み合う。
突き込む隙は、一分もない。さすがは近衛師団長、王国随一の剣の天才といったところか。
(凡才の90年を、天才は1回の生で超えてくる…か)
ティナは、今までにない興奮を感じていた。
王太子も、貴族たちも、口ほどにもなかった。90年、孤独な修行を積んだティナの、敵ではなかった。だが、この男は…愉しませてくれる。
繰り返されるループの中で、殺意が身に沁みつき、戦いに血が躍るようになった。
何度か刃先を打ち合わせる。相手の攻撃をいなし、斬りかかり、防ぐ。
2人の動きはまるで、洗練されたダンスを踊っているかのようだった。
「くっ…。」
よろけるエドガルド。血だまりに足をとられながら、無謀な攻めを仕掛けてくる。そのとき、一瞬、エドガルドに隙ができた。ここぞとばかりに、ティナはエドガルドの左胸に突きを見舞った。
(捉えた!)
だが、次の瞬間、左胸に激痛が走る。
相討ち覚悟のエドガルドが、ティナの懐に飛び込み、深く心臓を貫いたのだった。自らも心臓を貫かれながら。
(相討ち、か…)
血を吐きながら顔を上げると、エドガルドと目が合った。燃える深紅の瞳が、ティナを貫く。
「それで、気は、済んだのか…。」
気が済んだか。
そう問われて、ティナはゆっくりと、周りを見る。
何回も、何回もティナを裏切った王太子が、胸を押さえて倒れている。自分が殺した。
神の力だかなんだか知らないけれど、善良な父親を陥れた聖女は、喉から血を流し、純白の衣装を赤く染めている。自分が殺した。
毎回、毎回、ティナが婚約破棄される姿を余興か何かのように見物し、誰一人助けてくれようとしなかった、名も知らぬ貴族たち。これも、みな、自分が殺した。
(わたしは、何をしているんだろう。)
ただ、
「幸せに、なりたかった…」
ティナが呟くと、ぽろり、と涙がこぼれた。エドガルドが、ティナを抱き締めた…気がした。
(あたたかい…)
2人は、互いの心臓を貫き、抱き合いながら、絶命した。
ちょうどティナの、200回目のループだった。
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