第5話 蝶のように舞い、蜂のように刺す

 王都より馬車で北上すること3日。

 ティナは父とともに、北方に住むテミスト叔父の館を訪れていた。同じ国内ではあるが、やはり北の辺境というだけあり、王都に比べて風が冷たい。夷狄の土地と王国を隔てる峻厳な山脈は、すでにうっすらと雪化粧を始めている。

 

「ティナが剣の稽古を始めたのかい?じゃあ一つ、手合わせを頼むよ。」


 テミストは、北方の守りを担い、北方異民族に睨みをきかせる辺境伯の任についている。ティナの父であるカリストとの兄弟仲は良く、姪のティナのこともよく可愛がってくれた。

 今回も、姪のティナが剣術の稽古を始めた、と聞くと、気さくに手合わせを申し出た。王国の軍事の要を司る、テミスト自身が、剣の名手でもあった。


「王国の北の守りと名高い叔父様にお手合わせいただけるなんて…光栄の極みですわ。」


 広大な庭の一角で、ティナはテミストと対峙した。右手にはレイピア…ティナの体格、腕力に合わせ、男性用のそれより少し短くしたもの…左手には防御用のダガーを、油断なく構えた。


「おやもう二刀流ができるのかい?初心者はまず攻撃を…。」

「叔父様、子ども扱いしないでくださいまし。」


 むくれたように言うティナに、テミストは苦笑した。そして、ちらりとカリストの方を見る。


「テミスト、わかっているとは思うが、くれぐれも怪我などさせないように…。」

「わかっていますよ、兄さん」


 テミストは、心配そうに2人の立ち会いを見つめる兄に頷いてみせる。ティナとテミストは、互いにレイピアの刃を向け、打ち合いを始めた。


◆◆◆


 斬る、斬る、斬る―…剣術を学び始めて数年(数回のループ)は、そんな妄執に取りつかれながら、とにかく剣の素振りをしていた。

 そのとき握っていたのは幅広の剣で、いわゆるブロードソードと呼ばれる。刃渡りは80センチほどで、「断ち切る」攻撃を主体とする武器だ。その他、単に鎧の上から相手を殴打して叩き伏せる戦術もとれる。だが、いかんせん、ティナには重すぎた。

 近衛兵団の兵士のほとんどはこのブロードソードを使っているが、同じ剣を使って打ち合うと、体格・腕力ともにティナを上回る男の兵士たちに、どうしても勝てない。そのことに気づいたティナは、細身の剣…レイピアを極めることに決めた。

 レイピアの場合、主な攻撃は刺突となる。相手の太刀筋を流し、かわしながら、隙をついて急所を一刺しする。蝶のように舞い、蜂のように刺す―…とは、転移前の世界の小柄なボクサーの言葉だったか。


「なかなかやるな…。」


 ティナの繰り出す攻撃をいなしながら、テミストが呟く。


(それは当然。貴方のもとで、ずっと鍛えていただきましたから…。)


 レイピアの名手であるこの叔父のおかげで、ティナの修行はかなりはかどった。最近では、覚醒してすぐに辺境伯の叔父の元を訪れ、18歳の誕生日を迎えるまで1年みっちりと叔父のもとで稽古をし、18歳の誕生日に毒薬をあおって自害する、という流れがもっとも効率的に自分を鍛えられると気づき、王太子もエミリアもエドガルドもそっちのけで、そのループを繰り返してきた。


 キン!


 高い音とともにティナの刃がテミストの剣を弾き、一瞬生まれた間に、ティナは飛び込んだ。模擬戦用に覆いをつけられた刃先が、テミストの左胸を的確に突く。もし真剣だったら、間違いなくテミストは刺し殺されていただろう。


「これは驚いた…兄さん、ティナは天才かもしれないよ。」

「天才だなんて…そんな。」


 ティナははにかんで見せた。

 …天才であるはずがない。天才であれば、こんなに時間をかける必要はなかった。


「ティナはいつから剣を始めたの?」

「…10日ほど前から、ですわ。」


 正確には、90年と、10日。

 初めてティナが剣の稽古を始めた日から、それだけの歳月が経過していた。

 いや、ティナ以外の人間たちは、同じ1年をただ延々と繰り返しているにすぎない。それどころか、1年が経ち、ティナが破滅するたびに、1年間の時間と記憶はリセットされるから、それだけの歳月を過ごしている認識があるのは、世界でティナだけだった。


(孤独な戦いだった…でも、もうすぐ終わる。)


 これだけの修行を積んだ今なら、エドガルドを斬り伏せることができるかもしれない。そして…


(そして、何がしたいんだっけ?わたしは…)


 一瞬の間。そうだ、と膝を打つ。エドガルドを斬るのは、聖女エミリアを殺すためで、それは婚約破棄を阻止し、幸福な結末ハッピーエンドを迎えるためだった。この90年近く、剣の腕を上げ、エドガルドに勝つことばかりを考えていたから、最初の目的を忘れそうになっていた。


(ちょっと、試してみようか。今回のループで。)


 時は満ちた。今の実力が通用するか、試してみる時だ。

 ティナは薄く笑った。


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