Extra or Curtain call

Extra or Curtaincall

 まるで水のように無色透明、匂いも味もない。

 さらりと指に絡み付き、微かに増した抵抗感がそれとは違うと主張する。


 ニューラルジェル———「ヒト型の戦闘機」こと拡義体ヴァリオギアのコクピットを満たし、非接触型神経接続を可能にする媒介物質。

 同じく透明のボトルに入ったジェルを片手のひらに溢れない量だけ移し、ロッカールームの乾いた空気に晒している腕や脚に塗り始める。

 ヴァリオギア搭乗時に着用する専用装備、スキャンスーツの袖の通りを良くするコツだ。

 特殊なメッシュ素材で成形されたスーツは、その目的——— 神経接続の状態監視のため、ぴたりと素肌に密着するよう造られていて、無理すればすぐ破けるほどに薄い。

 滑り易くなったボクの四肢は、するりと真新しいスーツを受け入れた。


 後でコクピットのジェルに、どっぷり頭まで浸かるのだから———


 そう教えてくれたシズは、まだロッカールームに姿を見せない。

 やれやれと嘆息。携帯端末に言い訳のメッセージが入っていたから、恐らくお寝坊だろう。

 ボクは顎下まで伸びる分子ファスナーを締め、携帯端末を左前腕の内側に貼る。同じく新しくしたヘルメット型情報モジュールを携えてロッカールームを後にする。


 こんなことなら、無理にでも格納庫のドミトリーに泊れば良かったと後悔。

 今日は模擬ではない。初めての実戦、つまり初陣だからだ。





 ライトイエロー/ブラックのスーツは任が浅い初期兵の証し。ボクと同じ色のスーツを着た仲間達が、ロッカールームの外に集っている。

 ここはクラウドスフィア航宙要塞、宇宙港第六格納庫の兵徒待機室レストロビー

 円形型フロアを囲うように壁に埋め込まれた大型スクリーンには、宇宙港に錚々と居並ぶ機動戦艦や、近隣の宙域に直接向かうヴァリオギアの飛び立つ姿が映し出されている。

 談笑を交わす素体達、その隙間を縫うように歩く幼いfタイプ女の子

 ぱつぱつに短いディープグレイの髪。

 真白な襟が可愛いらしい淡いブルーのスモック、膝丈の黒いレギンス。

 幼い彼女はボクに気が付くと、満面の笑みをぱっと浮かべる。

 そして駆け寄る少女へ、ボクの第一声。


「よく一人で来れたね、リト。その髪、どうしたの?」

「こんにちわ、ケイ。まえに来たことがあるから。髪はねえ、ふふ、ひみつ」


 驚くボクに満足したのか、少女は誇らしげにくるっと一回転してみせる。

 ついこの間まで肩まであった艶々の髪が、mタイプ男の子のように刈られている。

 シズも髪は短めを好むけれど、それよりかなり短い。


 ちなみにリトが自分のことを「ぼく」と呼ぶのは、ボクの影響らしい。

 ボクは男兄弟に囲まれて育った所為だけど………


「お姉さんの真似?……… にしては切り過ぎかな」

「ふふん、ちがうよ。シズ姉は?」

「たぶん出撃前の血液検査。遅れて来たからね。いつもの?」


 ボクは少女の目線に合わせて屈むと、リトは腰に手をやり呆れ顔をする。


「あたり。きのうもずうっと端末とにらめっこ、シミュのフリして。たぶん旧人類の文化ライブラリ、ぼくが見ちゃいけないところ」

「また、シズ……… まるでリトの方がお姉さんみたいだね」


 えへへ、と少女は照れくさそうに笑う。

 シズはここ最近、旧人類の良からぬコンテンツに夢中になっていて、ミッション前の適正睡眠時間を大幅に割り込み、寝過ごしたと思われる。

 要するにリトは、慌てて出掛けたシズの忘れ物を届けに来たのだ。

 想定の範囲というか、シズが少しばかり他の素体と違うのはボクもよく知っている。

 少し? と念を押されると返せる言葉がないけれど。


「ねえ、あそこに列んでる、黄色いせんがはいってるの、ケイたちのヴァリオギア?」


 右手のスクリーンを指差すリト。興味津々。

 どうやら少女の目的は、お使いだけではなかったらしい。


「よく知ってるね、ヴァリオギア・ヌフ。ボク達は初期兵だから最新鋭のディスはお預け」

「ふうん、あれに乗って「じくうさいやく」とたたかうの?」

「そう、じくうさいやく。時空災厄の討伐はボク達「二番目の人類フィギュアス」の大事な使命だから」

「だいじなしめい?」


 聞き慣れない言葉だったのか、リトは小首を傾げて反復する。


アクオスフィア海の惑星の授業は済んでる? 本物の海があって山があって空がある。ボク達のゲノムの基になった旧人類達が栄えた星」

「うん、習った。クラウドスフィア雲の惑星よりずっとちいさい、青くてきれいな星」

「ボク達もいつか旧人類達のように増えれば、「人類ヒューマンレイス」を名乗ってアクオスフィアに還る。大銀河の隣人達との約束の星なんだ。まだまだボク達は少ないけどね」


 アクオスフィアへの帰還は、遅かれ早かれ誰もが容易ではないと知る。限りなくお伽話に近かい理想を、幼い彼女に「お伽話だ」と話し聞かせるには、まだ少し早い。


「りんじんたち?」

「大銀河文明連帯。旧人類よりずっと進んだ十二の文明人。彼らが「二番目の人類」を手助けをする代わりに、ボク達が引き受けたのが時空災厄と戦うこと」

「すっごくおおきいって聞いたよ、じくうさいやく。ケイはこわくない?」


 ボク達が相手にする時空災厄は、旧人類周期で九十二時間前に観測され、詳細が大方明らかになっている。クラウドスフィア軌道に忽然と現れ、ボク達の航宙要塞に極めて近い。

 全長四百メートル足らずレベル2相当の小物、それを二十機のヴァリオギアが迎え撃つ。

 初期兵ビギナーに打って付け。だけど、初陣となれば緊張しない訳にはいかない。

 ボクは自らに言い聞かせるように軽く、明るく振る舞った。


「ボク達は〈ジェネクト〉のおかげで死んでも終わりじゃないからね、旧人類と違って。ゲームと同じ、何度でもリセット。うん、シズも居るから怖くないよ」

「さいご、声ちいさくない?」

「あ、あはは………」


 リトは大型スクリーンからロビーの初期兵達に視線を移す。

 一通り眺め終えると、ふうと小さなため息を吐いた。


「へえ、そっか。ぼくもはやく兵徒になりたいなあ」

「リトは再来年からだっけ? 兵徒訓練校」

「あと二年も待つの、つまらない。ぼくもせっかく約束………」

「約束?」


「遅れてごめーんっ……って、ああっ! リト、な、なにそのアタマっ!」


 と、ようやく真打ちの登場である。

 リトは下げていたポーチから携帯端末を取り出し、シズに差し出した。


「きのう見せたじゃない。それと、わすれもの」

「えっ、ウソ。って私、なんでこんなもの忘れてるの? あ、ありがとう」


 息を切らせるシズ。焦って着替えた所為だろうか、格好がどこかおかしい。

 分子ファスナーは胸部分にぽっかりと隙間が空き、首の後ろにはぶら下がる白いなにか。


「シズ、後ろ。スーツのサイズタグが付いたまま」

「えええっ、あ、あはは、昨日さ、初の実戦だから眠れなくってさ、シミュレーションを遅くまでね、ちょっと……… って何その目、二人とも」

「ほんとうに?」


 ボクとリトの言葉が被ると、シズは慌てて話題を変える。


「いやあのええっと、その……… ああそうだ、で、その髪、なんで?」

「えへへ、ほんとはね、ぼく、見つけちゃったんだ」

「見つけたって何を?」


 どうやら少女は、ボク達二人が揃うのを待っていたらしい。

 顔いっぱいはにかみながら、その言葉を口にした。


「ぼくとそっくり同じfタイプ。2ブロックとなりの居住区で」

「f088? その子がどうかしたの?」

「すぐ仲良しになって、約束したんだ。兵徒になったら、ぼくが守ってあげるって」


 大きな瞳をきらきらと輝かせ、うわ言のように呟くリト。

 約束した時のことを思い出しているのだろうか。

 子どもらしい屈託のない笑顔、実に可愛いらしい。


「へえ、それで、どうして髪なの?」

「ぼくたちそっくりだから、一緒にいて、間違えられないようにって」

「うん、うん、それで?」


 ぐいと食い付くボクとシズ。


「ぼくが髪をきったら、一緒にいてあげてもいいって」

「え………」


 旧人類の古い慣用表現、尻に敷く。

 その言葉の存在を知ったのは、もう少し後のことである。

 この時から既にリトは………


「このあと、ミルに見せるの。ふふ、どう?」


 ボク達二人は、複雑な気分で初陣を迎えることになった。





————————————————————





 煌びやかなにライトアップされたクラウドスフィア航宙要塞、宇宙港第十二突堤。

 解像度が増し、よりクリアになったヴァリオギア・オンズカスタムの投影視界には、ずらりと列ぶアクオスフィア第一次調査船団と、六ヶ月前の奪還作戦に匹敵する護衛艦隊が見える。

 ヴァリオギアは現行型主力のディスから次世代型への入れ替えも進んでいて、パールホワイトのオンズも珍しくなくなったけれど、それでもディスが大勢を占めている。

 本護衛任務の参加条件は槍士兵徒ランサラー以上の限定ではない。


『直接、話すのは久しぶりだね、ケイ』

「音声だけでごめん。昔のボクを知ってる人にはやっぱり………」

『分かってるよ。ケイから声を掛けてくれただけでも嬉しい』


 情報窓に現在のリトの姿が映し出されている。

 とは言っても、ヘルメット型情報モジュール越しなので髪の長さまで確認できない。


「護衛任務の参加リスト、懐かしい識別コードを見掛けたから」

『うん、二級兵徒は対象じゃなかったんだけど、志願したらあっさり。ケイは?』

「オンズカスタムの実戦テストを兼ねて。要するにこの子の初陣」

『脚が無い高速特化型だよね。初陣と言えば、姉さんが遅刻して……… 覚えてる?』


 ボクもちょうど、その時のことを思い出していた。


「ああ、リトが髪をばっさり切って、mタイプみたいでびっくりした」

『やだなあ、そっちを覚えてるんだ。恥ずかしい』

「ふふ、懐かしいね」

『懐かしいね』


 やがて懐かしい昔話は、共通の話題へと移る。


「VRADが乗艦するトラントシス級機動戦艦タルコヴスキは船団の最後方。でも、よくシズはアクオスフィア調査の参加を承諾したよね、意外だった」

『あ、うん、姉さんはその、周りに流されたというか、実は不平たらたら』


 お伽話がようやく一歩、現実に近づき始めた。

 かれこれ二百年余り滞っていたアクオスフィア調査。レッドスフィア航宙要塞奪還作戦から旧人類周期で六ヶ月が経過し、ようやく再開の運びとなった。

 目的はもちろん空白期間の現状調査、そして生存が期待されている旧人類の再捜索である。

 旧人類の生存は即ち、時空災厄との何らかの共生手段の存在を意味し、恐らく「奈落」はそれらを独占するために妨害を繰り返していたと思われる。

 レッドスフィア圏をすんなりと明け渡したのは、大銀河文明連帯とまで事を構えたくなかったからだろう。ボク達を退けていれば、日和見の異星人達も重い腰を上げざるを得なくなるからだ。

 そしてそれらは、「奈落」がまだ目的のものを手にしていないことを意味する。

 奪還作戦以降、彼らはなりを潜めている。恐らくアクオスフィア、もしくは唯一の衛星A1のいずれかに拠点を移したと考えられる。

 そして再びどこかで、時間稼ぎの妨害行動を起こすはず。

 その備えこそ、今ここに居るボク達だ。


「へえ、そうなんだ。前に少しだけ話しをしたけど、上手くやってるの?」

『上手くはやってる、というか、問題ある素体達に挟まれて困惑しているというか………』

「ふうん、どんな素体?」

『えっ、あ、いやニレはともかく、セリはその、余計なことを姉さんに………』

「ん、余計って?」


 ボクが二つ目の疑問を口にした時、リトと同じ機体のディスから割り込み通信。


『あら、リト。もしかして、まだ私に隠してることがあるの?』

『ミルっ!? 聞いてたの?』

『聞くも何も、私の情報窓、また閉じずに埋もれさせてるでしょう』

『あ、しまった』

『まあいいわ、帰ったらじっくり聞かせてもらおうかな』

『ええっ!?』


 ああ、リト。今でもそうなんだね………


『ケイ、私達も時間よ』


 今度はボクの方の怖い特別な人だ。


「ああ、ごめんエナ。つい話し込んじゃって」

『ううん、妬いてなんかないわ。3スメルで許してあげる』

「えぇ……… 」

『とっとと奈落なんか片付けて、さっさとクラウドスフィアに帰る。ソルとだって、あと何回会えるか分からないんだから。モタモタしてられないの』

「そうだね、エナ」



 第三航宙時間〇一〇〇、ボク達とアクオスフィア第一次調査船団は超空間接続ハイパーコネクティヴを順次開始し、およそ五億九千万キロメートル先の希望の彼方へとジャンプした。





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