3 ボク達の証し

「いいから、話を逸らさないでっ」


 トラントサンクに戻ったボクは、レストルームでセリの姿を見つけると即座に詰め寄った。

 先に戻ってドリンク片手にベンチで寛いでいた彼女。

 スーツ姿のままニューラルジェルを拭くタオルを首から下げていたので、彼女はボクと対峙することを予想して着替えずに待っていたのだろう。

 声が大きかったからか、近くに居た他の仲間達はボク達から距離を取り始める。


「あーあ、すっかり当てが外れたわ」

「なに、それっ?!」


 まるでどこ吹く風かのように呟くセリの態度に、ボクはさらに苛立ちを募らせた。

 すると、彼女は意外な言葉を口にする。


「ヘリオス3に監視されてるから中々難しいのよ? 自殺」

「は? じ、自殺だって?」


 驚くボクを下から舐め上げるように見上げるセリ。

「二番目の人類」の社会ではもちろんそれは禁じられているが、ミッション中の負傷によって欠損した肉体を取り戻すために故意の「死に帰り」を望む者はいる。

 だけど、神々しい肉体を持つ彼女にそれを望む理由があるとは思えない。

 旧人類の記録に度々記されている生からの逃避。自らを殺す行為。

 不死のボク達に「自殺」?


「自殺するならミッション中の事故しかないの」


 セリは今までにない冷淡な表情を作り、ぞろりとそれを言ってのけた。


「アナタ達は試したことがないから知らないでしょうけど、実はアタシ達、そう簡単には死ねないのよ。お節介なナノマシンのお陰でね。おまけに一度でも試せばヘリオス3の監視が厳しくなる。〈ジェネクト〉は死に帰るだけの仕組みじゃないのよ」


 ボク達に様々な恩恵をもたらすナノマシン。

 基本的な体調管理に始まり、外因による損傷部分の再生補助、そして痛覚遮断。

 体内に注入された分子機械群は〈ジェネクト〉とも繋がっているのだ。


「そ、そんな身勝手な、パートナーのボクだって迷………

「戦えなくなったら捨て置き、死ねば〈ジェネクト〉。代わりは一万人もいるのに?」


 彼女はボクの言葉を遮って、矢継ぎ早やに反論を繰り出した。

 その時、ニレとシエロもレストルームに現れる。

 ボク達より遅かったのは、ポリマースーツに着替えていたからだろう。

 他愛ないお喋りをしていたが、ボクとセリの不穏な雰囲気を察して押し黙った。


「で、でも、なんで?」

「この世界からサヨナラしたかっただけよ」

「いやでも、死んだって〈ジェネクト〉で死に帰る………

「だ・か・ら、その死に帰ったアタシは別のアタシ」


 口調に荒さが増し、今度は彼女の方が苛立ち始める。

 対するボクは、すっかり最初の勢いを殺されていた。


「アタシの一番最初でパートナーでずっと「特別」だったmタイプの彼。アタシがミッションで初めて〈ジェネクト〉で死に帰りした後、初めて「特別」をした時に出ちゃったのよ。血が」


 セリは言い終わると、空になったドリンクのボトルをダストシュートに投げ入れる。

 ボトルはダストシュートを外れて床に転がり、ボクの足元で止まった。

 小さく舌打ちするセリ。


「死に帰りすれば失った身体は元に戻る。アタシ達が当たり前のように受け入れていることだけど、彼はその真の意味に気がついてしまったの。長い時間を共有した元のアタシが死んだ現実を思い出すようになった。アタシを抱く度にね」


 セリは自らを諌めるように溜息を吐いて、さらに言葉を続ける。


「なにを言ってるのこの人、と最初は思ったわ。でも、それが分からないのは、アタシが彼を失ったことがないから」


 ボクはすっかり言葉を失ってしまった。

 セリは正にボクが避けている恐怖と、既に向き合った上での今なのだ。


「リトはパートナーを失ったことある?」

「え………」


 なぜ今、臨時で彼女と組んでいるのかと言えば、ミルのヴァリオギアの不調が原因

 だけど、新しい機体を用意せざるを得なかったのは、前の機体を丸ごと失ったから。

 つまりセリは、ミルの死に帰りを知った上で聞いているのだ。

 今のボクなら理解出来るだろう、と。



 ボクはミルが初めて死に帰りして以来、何かと理由を作って「特別」を避けている。

 そしてミルもそれをボクに咎めようとはしない。

 ボクは既に三回死に帰りをしていて、ミルはそれを———



「そのあと、些細なことでも喧嘩をするようになってスコアも落ち、アタシ達はパートナーを解消した。彼はアタシよりずっと繊細だった所為もあるけれど」


 セリはベンチから立ち上がると、すぐボクの目の前に立つ。


「既に一級兵徒だったから、彼はすぐ引退して食糧ファームで働くことを選んだ。アタシはその後に誰とも上手く行かなくって、もう上手く行かない気がしてシングルで通すようになった」


 ふと視線を移すと、すっかり慄いているシエロ。

 その横で、固く口を結んだニレがボク達の様子を伺っている。


「黙ってたけど、アタシはこう見えても兵徒任務を三十年もやっているの。それと知って五回も死に帰りしていれば、何とも思わなくなるわ」

「セリ………」


 拳一つ分の身長差の所為で、僅かにボクを見下ろすセリ。

 腰に手を当て、勝ち誇るかのように次の言葉を言い放つ。


「この世界では誰もが己れの同一性を証明できない。だからアタシに干渉しないで。自殺なんて大したことじゃない、寝起きするのと変わらないわっ!」


 ガッ!


 その瞬間、ボクは何が起こったのか理解できなかった。

 真白で綿帽子のような塊が、セリの美しい顔に吸い込まれている。

 ニレがその身長差を物ともせず、セリの顔面にヘッドバッティング、頭突きをしたのだ。

 思わず倒れたセリに馬乗りになったニレは、無言のまま握った拳で殴り続ける。

 右手で抑えた鼻からは鮮血、空いた左手で防戦一方のセリ。

 普段のおとなしいニレからはまるで想像が付かない。


「ちょっ、ちょっと何なのよっ! この子っ!」


 シエロが慌ててニレを羽交い締めにして、セリから引き剥がす。

 ボクは遅れて間に割って入り、セリを牽制した。

 大きく開いたセリの胸元が、ぼたぼたと落ちる鼻血で真っ赤に染まっている。


「お、落ち着いてっ、落ち着いて、ニレ」


 羽交い締めされたままのニレ。

 肩で息をしながら、震える声で口を開く。

 

「か、かんたんに、し、死んじゃ、ダメなの………」


 はらはらと溢れ落ちる大粒の涙が、ニレの足元を濡らしていく。


「ニレ、どうして………」

「わたしたちは、生きなきゃ、生きつづけなきゃ、いけないの」


 シエロが羽交い締めを解くと、ニレはその場に崩れ落ちた。


「わ、わ、わたしたち、い、今を………わ、わた、わあああああああああああああっ!


 堰を切ったように、ニレは叫泣を始める。

 何がニレの箍を外してしまったのか、この時に察しが付いた。

 ある出来事——— 〈ジェネクト〉の誤作動で死せざるを得ない素体を見届けたこと。

 ボク達「二番目の人類」の中で、ニレは稀な「本当の死」を見た者なのだ。


「ね、泣かないで、ニレ………」


 レストルームの空気全体を満たすニレの慟哭。

 事情が分からず、ただニレを宥め賺すしかないシエロ。

 床に座り込むセリの前で立ち尽くすボク。

 手鏡のように右掌に付いた血をじっと眺めて、彼女はまた一つ溜息を吐いた。


「あと少し若かったから余裕でやり返した。アタシも歳を取った」





***





『それで、今ニレはどうしてるの?』

「泣き疲れて眠ってる。セッションも全部終わっていたし、そこは良かった」

『そっか』


 トラントサンクのキャビン、簡易ベッドの上でボクはミルに事の顛末を話す。

 プレート端末の中のミルの声を聞いて、ようやく心の騒めきを鎮めることができた。

 ボクとミルはお互い隠し事をしない同じ素体同士の「特別」なパートナー。

 けれど、一部はどう考えてもオミットするしかない。


 許して、ミル。いつか必ず、洗いっこのことも話すから………


「ああ、それにシエロ君も側に付いてるから」

『そうだ、悪さしても良いのよって伝えて、彼に』

「ちょっとミル……… 二人はアクオスフィア調査も控えているのに」

『あはは、彼はナイーブ過ぎるから、放って置いたら何も起こらない。昔のリトと同じ』

「えっと………」


 ホログラムのミルは何の疑いもない笑顔をボクに向ける。

 ボクは会話が一区切り付いたところで「ボク達の話」を切り出した。


「あの、それでさ、ミル。帰ったら話をしよう」


 少しばかり沈黙するミル。


『待ってるわ』






 ボク達はクローン素体を〈魂の容れ物〉にして「不死」になった人類。

 大銀河全体に及ぶ果てしなく巨大な脅威、時空災厄アウターコンティニュームと戦うことと引き換えに異星人の共同体「大銀河文明連帯』と取り引きをした。

 一度は滅亡した人類文明の再興のため、ヒトゲノムから再生された「二番目の人類」として。


 全てのボク達は過酷な使命を背負っている。

 そして〈ジェネクト〉は死を恐れない戦士となるための仕組みであり、課された使命と向き合うことこそがボク達の存在理由。


 使命から目を背けることは許されず、死を恐れることは言わば禁忌。

 陰と陽、裏と表、黒と白、どちらにも寄れない灰色グレイなボク達。

 決して選ぶことができない両極の狭間で、ボク達は抗い続けなければならない。

 いつか、選べる日が来ると信じて。


 そして、抗い続けることこそ、ボク達が真に生きている証しなのだ。

 






————————————————————







【unnecessary.】


「どうしたの? 姉さんから、珍しいね」

『ううん、ちょっと、何か知らないかなって』


 それはボクが図書クラスタで解読の仕事をしているオフの出来事。

 プレート端末の相手はボクの姉、シズ。

 彼女は家族ファミリアを出て久しく、声を聞くのはニレの件で相談して以来だ。


『昨日、ウチの所長がアクオスフィア調査にまた新しい素体を引き入れたんだけどね。「私にもペアを用意した方がいいよね」って』

「ふうん、シエロ君は元々ニレのパートナーだからね」


 間近に控えたアクオスフィア再調査。

 ボク達の航宙要塞が周回するクラウドスフィア軌道、その内側のレッドスフィア。

 さらにその内側に存在する本恒星系第三惑星がアクオスフィアである。

 ボク達「二番目の人類」のオリジナル、旧人類が発祥した曰くのある惑星だ。

 ある理由により長らく滞っていたこの調査計画に、VARDの所長ゲルダ・グロンホルムがシズと一緒にニレ、続いてシエロも計画に引き入れたのは先の護衛任務に入る前のこと。


『で、その新しいfタイプ、ニレと顔見知りみたいなんだけど、すっごく仲が悪いの』

「へえ、悪いって……… あのおとなしいニレが?」


 何も閃かなかったと言えば嘘になる。

 続くシズの言葉はボクの想定を軽く超えていた。


『確か、SRY1969f044……… だったかな。呼び名はセリ』

「は?」

『そりゃ、私もびっくりするくらい美人なんだけど「君と同じくらいユニークな人材だ」ってね。所長ったらすっかり鼻の下伸ばしてさあ。それでね………』


 手短に説明した記憶はあるものの、実はその後のことはよく覚えていない。


 こ、こ、これは一体、どういうことだ?






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