2 不可視の軛 reprise

2 〈ソル〉不可視の軛 reprise


『ソル、気分はどう?』


 プレート型情報端末のホログラムモードが結ぶ半立体の像は一人の少女。

 黄金に輝くブロンド、真白の彫刻のような美しい貌にしなやかな腕で頬杖を突いている。

 ゆったりとくつろいだ様子で端末の持ち主、つまり私に語り掛ける。


 正式登録名SOL0028f000。

 頭のアルファベットから四桁の数字までが個人識別コード。

 残りはクローン素体の基本タイプを示すナンバリングだが、私にはf以下の割り当てがない。

 私が二百年前に代替わりした前世代のクローンだからだ。


「無理やり老化抑制処理を受けた所為で、まだ吐き気がする。そう長くは効かないのに」


 先ずは先制の恨み節……… と私はデュカに言葉を返す。


『文句を言わない。ボクはキミが彼方レッドスフィアでぽっくり逝かれては困るからね』

「……… はっきり言う」


 にんまりと無邪気に目を細めるデュカに対して、私はうんざりした気分で応える。

 プレート型端末が映し出すホログラムの向こう側、ブロンドの少女と同じくらい長い髪を持つfタイプ、エナが大きな目を更に大きく丸くして驚いている。

 デュカの個人通信が私の端末に入ったのは航宙要塞宇宙港、その管制塔のメインゲート前。自光パネルで覆い尽くされた明るい連絡路の突き当たりである。

 この場所は人通りも少なく、デュカとの会話を聴く者は私を除けばエナしかいない。

 エナは私が座るチェアカーの前に低く屈み、ホログラムを背面から黙って見詰めている。

 自分達の指導者が見せるフランクな姿に興味津々のようだ。


『近くに誰かいる?』

「エナだよ、君が寄越したケイのパートナー。ケイは展望室の入場申請に行ってる」

『ふうん、トラントシス級の下見か。キミが外に出て誰かと関わっているだけでも嬉しい』

「弱くなった足腰はどうにもならないが、表に出る気力だけは湧いたよ」

『それは何より』


 デュカは頬杖を解き、像の中で腕を組んで満足げに笑う。

 方や私は不満を隠す気がない。第二の恨み節は抗議である。


「で、倉庫番で良いと言ったはずなのに、なぜ私に作戦顧問などやらせるのか」

『意趣返しと思ってくれて構わないよ。向こうのことはキミが一番詳しいはずだから』

「レッドスフィアの地理に君は無頓着だったからね。だが、既に二百年も経っているのに、同じ構造を維持しているとは思わんがね」

『だから、構造調査の指揮も執ってもらいたい』


 はあ、と私はため息を吐くが、像の相手はそれを気にする気配がない。


「人使いが荒いな。年寄りを何だと思っているのか」

『心外だな、キミの我儘を訊くための交換条件じゃないか。働かざるもの食うべからずだよ』


 デュカは不意にその表情に笑いを消し、神妙な面持ちを作る。

 口から出た言葉は、僅かに懇願の色を帯びる。


『ボクはギリギリまで、キミが「総義体」を呑んでくれるのを待ちたいんだ』


 総義体——— 全身を機械に置き換えるサイボーグ処理のことだ。

 私は前世代のクローン故に〈ジェネクト〉に対応しておらず、老化抑制処理も長くは保たない。

 私が生き続ける方法はそれしか残されていない。

 また、目の前のホログラムが結ぶ美しい少女の姿も総義体によって得られたもの。

 つまりデュカは、自身と同じサイボーグになって「死」を回避しろと言っているのだ。


「またその話かね」

『若い「我々の子ども達」と一緒に居れば、心変わりするんじゃないかって。それに』

「それに?」

『ケイは良い子だろう? 若い頃のベルクに少し似ている』


 ホログラムの向こう側のエナは話の意味が分からず、小首を右に傾げている。

 彼女が知らない前世代のクローン、かつて私と共に戦った仲間の名だ。

 私はデュカに視線を戻して言葉を返す。


「あの子はmタイプじゃない。まさかそんな理由で選んだ訳じゃ………」

『え………っと』


 デュカの視線が宙を泳ぐと、私はホログラムの前で大袈裟に肩を竦めて見せた。


「呆れた、君はどこまで子どもなんだ。ペタがここに居たらきっと怒っている」

『ふふ、懐かしいね』

「ああ、懐かしいがね」


 二百年前のクーデター、反抗勢力に追われたデュカ他オリジナルナイン達が急造し、盾となった十六人のクローン。その最後まで生き残った三人が私とペタとベルクである。

 ペタとベルクは既に亡く、私もそう長くはない。

 私の我儘——— 今も反抗勢力〈奈落〉の拠点であり、前世代クローンである私の生まれ故郷。多くの仲間達にいつか還ると約束したレッドスフィア航宙要塞をもう一度この目で見たい。

 それは私の最後の願いだった。


『レッドスフィア航宙要塞奪還作戦の発動まで第三航宙時間で三日を切った。次は艦隊旗艦トラントシス一番艦に直接連絡する。そのための作戦顧問だ』

「了解したよ、デュカ・ブレインズ審議総長」

『よろしく頼むよ、ソル』


 締めの言葉を堅くするデュカ。

 渋々返事をする私に、ブロンドの少女はウィンクで応えた。





「ねえケイ、ソルってほんとに凄いの。あんなにズケズケ総長に物が言えるなんてっ!」


 それまで不満げだった態度とは裏腹に、エナはすっかり私に懐いていた。

 彼女達の絶対の存在であるはずのデュカ、対する私の物言いが新鮮だったからだろう。

 興奮気味でチェアカーの周りをぐるぐる駆け回るエナ。

 対して、申請から戻ったケイは私のプレート端末から察して、片側しかない眉を顰める。


「エナ、盗み聞きは良くないよ」

「良いんだよ、ケイ。わざとホログラムモードにして、デュカを困らせてやろうと思ったんだがね。今日は向こうに一本取られた」


 エナはチェアカーの押し手をケイから奪い、得意げに先の続きを口にする。


「それに、あんなに無邪気な総長は見たことがない。私達と変わらないの。自分のことを「ボク」って言うなんてmタイプ男の子みたい。ふふん、ケイと同じね………」


 エナはケイの豊かなそれに手を伸ばし、ケイは踵を返してするりと躱す。


「ちょ、ちょっとエナってばっ」


 苦笑いをする私を見て、耳まで真っ赤に染めるケイ。

 顔の半分を覆う半透明のマスクさえなければ、彼女はごく当たり前のfタイプなのだ。

 事情は聞いているが、誰もが拘りの一つや二つあるもの。

 私でさえそうなのだから。


 そのケイとは対照的に気ままで我儘、自由意思に満ち溢れたエナ。

 燃えるように赤く、腰まで真っ直ぐ垂れる長い髪は彼女の気性そのもの。

 どこか遠い昔、何かを思い起こさせるような………


「普段の彼女はヘリオス3と変わらないくらいカタブツなのに」

「ははっ、デュカが堅物ねえ。今となっては彼女が甘えられるのは、私しか居ないからね」


 エナの興奮に釣られて私まで愉快な気分になっていると、不意にケイが口を開いた。


「ソル、あの」

「なにかね、ケイ」

「あ、いや、また後で………」



 私達三人はメインゲートをくぐり抜け、ロビー中央に設置されたエレベーターに乗る。

 エレベーターは三方が透過隔壁なので、上昇が進むにつれ外の景色が見え始める。

 宇宙港の管制塔直上に備わる展望室には制限が掛かっている。第八から第十二突堤がレッドスフィア航宙要塞奪還作戦用に割り当てられ、展望室からその全貌が見渡せるからだ。

 外に広がるのは巨大なクラウドスフィア航宙要塞、リング内側の宇宙港。そしてリングの「穴」のほぼ中心にまで届く管制塔の最上階が展望室だ。

 リングの中心に向かって伸びる突堤には我々「クラウドスフィアの人類」の様々な艦艇が見える。

 第九突堤は管制塔に近く、接舷する三隻の大型航宙艦がトラントシス級である。

 円形型フロアの外周は全て窓、私達はその縁に沿って順に作戦参加艦艇を確認していく。


「あ、ええっと、あれが本作戦の旗艦、トラントシス級機動戦艦。格納ゲートに並んでいるのはボク達専任槍士官ランスマスターの専用機、ヴァリオギア・オンズ」

「やはり実物は違うものだね。私が知る時代のものとは隔世の感がある」


 全長はおよそ四百メートルはあるだろうか。横八角断面の細長い主艦体に楔型の副艦体、船首には衛角のような長い突起。パールホワイトが美しい航宙戦闘艦である。

 そして、真白な母艦とは対照的に重厚なガンメタリックを全身に纏う、全高十二メートルの「ヒト型の戦闘機」、拡義体ヴァリオギア・オンズ。

 聞けば現在テスト中の脚が無い最新型は、地上戦を考慮して見送られたらしい。

 つまり、本作戦では航宙要塞内での戦闘も想定されているのだ。


「ふふん、あの赤いのが私のヴァリオギア……… って後ろの赤いのは何だろう?」


 見れば頭部のV型センサードームが一機だけ赤く塗られている。エナが指差しているのは、その背後で搭載を待つ大小三枚のナイフを束ねたような「ヒト型ではない戦闘機」。


「あれはヴァリオギアが本格採用されるまで主力兵器だったタイタニアム・フェーズ7。私が現役時代に使っていた骨董品さ」

「へえ、本物は初めて見たわ。綺麗な機体」

「私はヴァリオギアに乗れないからね、向こうでの足代わりに。ついでにあれも里帰りさ」


 ヴァンテアン級ミサイル艇、ヴァントロア級高速突撃艇、トラントサンク級強襲揚陸艦と観て回り、帰路のエレベーターに向かうとケイが再び口を開いた。


「あの、ソル。尋ね難いことなんだけど」

「なにかね、ケイ」


 私は先と同じ言葉を返す。

 エレベーターコンソールの階床キーに触れるエナ。

 やや俯き気味に私から視線を逸らし、ケイはその言葉を口にした。


「その、やっぱりソルは「死」を選ぶの?」


 突然のケイの問い掛けに、エナは表情を引き締める。

 彼女達は私に死期が近く、またそれを受け入れていること知っているのだ。

 だが、私はまるで晩餐の話題のように軽妙に答える。


「そうだよ。君達のそれとは意味が違うがね」

「自分が完全に無くなってしまうなんて想像できないから」

「まだ理解できないだろうが二百余年は長過ぎるんだよ。記憶の堆積が重くて仕方がない」


 続く問い掛けはエナ。


「えっと、ソルは……… 怖くないの?」

「私には君達の方が不憫に思えるがね。素体を捨てる権利は認められているが、それは肉体を持たずグランヘリオスの中で半永久に生き続けるだけ。デュカが勧める総義体も同じだがね」


 私はケイの生身の瞳を見詰めながら「その言葉」を続ける。


「とは言え、「個人の連続性」が保持されない、という意味では私の「死」と同義だが」

「ん? コジンノレンゾクセイって………」


 あっ、と顔色を変えるケイ、話の要領が全く得られないエナ。

 エレベーターの扉が開き、私はエナの言葉を遮った。


「ああ、悪かった。この話は無しにしよう。深入りするとデュカに怒られる」

「んん?」


 彼女達はまだ〈ジェネクト〉のそれを正しく理解していないはずである。

 特にエナはそうだろう。



・・・



 二百余年前、我々が本恒星系の第五惑星クラウドスフィアに後退してからも、反抗勢力である彼ら〈奈落〉との対立は水面下で続いていた。

「水面下」というのは、我々が大銀河文明連帯によって課された使命を優先していることに加え、彼らも我々の殲滅を目的としていないためだ。

 彼ら〈奈落〉は第四惑星レッドスフィア軌道のさらに内側、第三惑星アクオスフィア圏への侵入のみを頑なに阻んでいる。

 幾度となく送った我々の調査団は、ことごとく彼らに撃破されてしまった。

 彼らは我々に禁じられている二つのテクノロジー、自律型無人兵器と超空間接続ハイパーコネクティヴの無制限運用によって鉄壁の防衛圏を築き上げている。

 また、我々も彼らの戦力把握が進まなかったが故に現在の膠着状況を招いたとも言える。

 我々と袂を別つ前、当時の彼らの残存戦力と現在のそれは比較にならない。

 何者か第三勢力による援助の可能性も指摘されているが、未だ確証は得られていない。


 この宇宙は大銀河文明連帯十二文明圏が全てではない。

 我々の基礎となった旧人類もその中に含まれていなかったのだから。

 

 我々と彼ら、即ち「二番目の人類」かつての母星、アクオスフィア。

 途方もなく巨大でおびただしい量の時空災厄アウター・コンティニュームが一夜にして出現し、僅か数ヶ月で旧人類のほとんどを摂取融合、事実上滅ぼしたとされる曰くのある惑星ほし

 彼ら〈奈落〉が何故それにのみ拘るのか、その理由は謎のままである。



「レッドスフィア航宙要塞奪還作戦、オペレーション・バーニングアロー。「怒りの矢を放て」か。随分と小洒落た名前を付けたものだね。何からの拝借かね、戯曲か何か?」


 本作戦旗艦、トラントシス級一番艦のメインブリッジ。戦術情報処理室。

 室中央の大型ホログラムの像となって現れたブロンドの少女。

 先日の通信とは打って変わって、彫像のように整った貌に困惑の色を浮かべている。

 今、デュカが居る場所は近くに数名の補佐官が控える総長室だ。

 私は今回は主導権を渡すつもりはない。


『ボク……… いや私にも立場があるんだ。キミの捻くれた性格は治らないと諦めているが、作戦顧問を任せた以上は軽口は謹んでもらいたい。総指揮のアランも隣りで困っているではないか』


 私は口元に大袈裟に笑みを浮かべ、傍らに立つアラン作戦総指揮に視線を移す。

 彼は慌てて私から視線を逸らし、宙に泳がせた。

 エナとは違う反応。これが普通なのだ。


「自重とは失礼だな、私はこの名前を気に入っているのに。三万発のミューオン熱核ミサイルによる飽和攻撃。正しく「怒りの矢」だ。大味過ぎるがね」

『………』


 デュカは沈黙を以って私の言葉を返す。

 総力戦を選択できず、また彼らはその名の通り「奈落」の如く底が見えない。

 彼らの自律兵器群が、三万発全てのミサイルを凌げば我々に勝ち目はない。

 だが、私は意地悪く追い討ちを掛ける。


「彼らの能力が予測より下回る可能性は考えないのかね? 下手をすればレッドスフィア航宙要塞は宇宙うみの藻屑だ。それでは私が困る」

『心配するな、三体の演算思考体ヘリオスと私が長らく審議を重ねて立てた作戦だ。仮にそうなったとしても、我々「二番目の人類」が気にすることではない。彼らは我々とは違うのだから』


 はっきりと「それ」を言うデュカに対し、私は一つだけ溜息を吐く。


「冷たいな、彼らは私の同胞とも言えるのに」

『ソル達に救われた身で言うのも何だが、今さらキミがそれを言うのは筋違いだろう?』


 レッドスフィアから脱出を計った二百年前、私達は反抗勢力の同胞達と戦った。

 当時〈ジェネクト〉はまだ開発段階だったために運用されておらず、「戦い」とは即ち相手を「殺す」という意味である。

 当然、私自身も多くの同胞の命を奪ったとデュカは言っているのだ。


「老い先が短くなると、色々と後悔も湧くのさ」


 またそれを言う——— デュカはそう言いたげなに貌を顰める。


『正直に言えば、キミが存命する限り、この作戦を実行に移したくはなかった』


 今度はホログラムの彼女が溜息を吐いた。

 私は反抗勢力の盾とするためだけに急造された、言わば「使い捨て」のクローン。二百年に及ぶ付き合いが私への執着を生んでいるのだろう。

 私がデュカを愛しているのは脳の報酬系、中脳のドーパミン神経に手を加えられているからだが、長い年月の積み重ねがその効果を薄めさせている。

 だからこそ「生」への執着を失ったとも言えるが。


 彼女の「総義体」は機械だと信じられないほど、感情を繊細に表現する。

 沈痛な表情をその少女の貌いっぱいに湛えるデュカ。

 ふう、と私は一息吐く

 会話の主導権を握ろうが握るまいが、それでも最後に折れるのは私である。


「……… この話はやめよう。そうだ、新しいヘリオス4の教育作業は順調かね?」

『順調に我々への理解を深めているよ。レッドスフィアに残したヘリオス2の穴をようやく埋めることができた』


 話題を変えると、デュカは表情に僅かに明るさを取り戻した。

 培養槽の中で私が生まれた時から、既に彼女は少女の貌と指導者の貌を併せ持っていた。

 長年振り回されてきたのだから、引き際も心得ている。


 そして、彼女が何を見ているかも。


「ヘリオス2は彼らが運用していると思うか?」

『分からない。二百年前に奪われて以来、ついぞ我々の許に帰還することはなかった。そもそも演算思考体は大銀河文明連帯のテクノロジーを我々が借り受けているに過ぎない。ヘリオス2の運用を確認できれば、自ずと彼らの後ろ盾にも大体の見当が付くはず』


「そうだな、全てはこの作戦の後。上手く事が運べば、だが」

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