不死のボク達、不可視の軛

断章

「久しぶりだね、ソル。調子はどう?」


 穏やかな空気に染み渡るように響く澄んだ声質ソプラノ

 言葉の主は気品と気高さに満ちた足運びで、私の部屋へと踏み入れた。

 ストンと落ちて腰まで届くブロンド、白百合のような純白のドレープドレス、淡いベージュのストール。首元の貴金属は華のような美貌の所為で、その存在を掻き消されている。

 少女の姿はまるで神話の存在を模した彫刻である。


「おや、これは驚いた。審議総長が直々の訪問とは」


 私はベッドの横のコンソールを操作し、上体をゆっくりと起こした。

 名はSOL0028f000。頭のアルファベットから四桁の数字までが個人識別コード。

 残りはクローン素体の基本タイプを示すナンバリングだが、f以下は割り当てがない。

 老いて髪は白く、顔に刻まれる皺も深い。声も見た目相応に嗄れている。

 だが、先の少女とは年齢にそう大きな差はない。


「キミは中々ボクに会ってくれなかったからね。せっかくだから」

「老いた身を晒したくなかっただけだよ。予定さえ教えてくれれば、此方から出向いたものを」

「そんなに畏まらないでくれないか、長い付き合いじゃないか」


 神々の像と見紛う少女は私の傍らへと歩み寄り、静かにベッドに腰を下ろす。

 高いドーム型天井の殆どを覆う採光パネルは、半透明のフィルターが作る柔らかい陽射しを部屋の隅々にまで届けている。

 少女の造形を浮き上がらせる陰影はどこまでも淡く、まるで影を落とすことが罪のようだ。


「恐れ入るよ、デュカお嬢さんフロイライン。君は相変わらず美しいままだね」

「褒めてくれるのは嬉しいけれど、造りものだからね。総義体のサイボーグ」

「ああ、君がデザインした私の右腕も良くできている。腕だけが若いままで、今の私には不釣り合いになってしまったが」


 自嘲気味の老人——— 私はブランケットから右腕を出し、天井へと掲げてみせた。

 内部構造が薄く透ける柔らかな樹脂で覆われているが、シルエットは若者のそれである。

 華のような少女——— デュカは自らの近況を口にする。


「演算思考体は相変わらずブラックボックス。だけど、最後のヘリオスに調整に目処が付いて、三年ほど前から随分と暇になった。今はボクの方がお役御免だよ」

「昔のことを思えば結構なことだ。君が忙しいのがずっと気掛かりだったからね」


 私は再びコンソールに手を伸ばし、先とは違う操作をする。

 すると、ベッド脇に潜んでいたブロンズの塊が、軽やかなジングルを奏でて立ち上がった。

 旧人類の言う「犬」に似た四本脚、体長一メートルほどの介護補助ロボット。

 但し、首と尾の代わりにマニュピレータがそれぞれ一本ずつ付いている。


「一昨日に仕入れたのあれを」


 私がそう告げると、介護ロボットはスタスタと部屋の外へ出て行く。

 来客への飲み物の指示だ。


「いい部屋だね」

「餞別代わりに君が用意した部屋だろう、自画自賛かな?」


 デュカが明るい部屋を見渡して呟くと、私はやんわりと混ぜっ返した。

 壁一面が大きな窓。外に並んでいるのは観葉植物。

 彩りに溢れたそれらはクラウドスフィア航宙要塞では珍しい「本物」である。


「キミがボクの補佐官を辞めて……… 老化抑制処理が効かなくなって十年か。早いものだね」

「十年前までは「我々の子ども達」と変わらぬ姿だったのに、たった十年で斯様に老いた。先に逝ったベルグやペタと同じ、まるで止まっていた時計の針が一気に進んだようだ」


 部屋中央のカウンターにはホログラム装置が置かれ、小さく宙に浮かんでいる四人の子ども達。

 中央の二人は彫像の如く美しい少女とこの部屋の主人あるじ、私の在りし日の姿だ。

 デュカは宝石のような相貌を観葉植物から私に移す。


「まさかキミ達が〈ジェネクト〉に適合しなかったのは想定外だった。ボクの力不足だ」

「しょうがないさ。当時まだ〈ジェネクト〉は完成してなかったし、私達は反抗勢力に抗うために止む得ず急造した前世代のクローン。不平を言うには充分に生きたよ」


 私が苦労して作り笑いをすると、デュカは神妙な表情をその面持ちに浮かべる。


「二百年前のクーデター。あの時、ボクの盾となったキミ達には本当に感謝している」

「私の残り時間はあと僅か。だが、二百余年は長過ぎた。〈ジェネクト〉の本質を知っていれば、ホスト演算思考体のサーバーに記憶を残すことも羨ましくない」


 私はきっぱりとそれを言い、デュカはその言葉に僅かに肩を落とした。


「ボクは君達の記憶が失われてしまうのは、残念でならないよ」

「そう言ってくれると嬉しいよ、使い捨てのクローンなのに長生きした甲斐があった」

「ソル、そう意地悪を言うな。口が悪いのは老いないものだね」

「それはお互いさま、デュカ・ブレインズ審議総長。私達の創造者オリジナルナインの一人」


 部屋の扉が開くチャイムが鳴り、介護ロボットがワゴンを押して部屋に戻った。





***





 少女は白百合のそれと同じくらい真白な磁器のカップを置く。


「ボクと同じ総義体という選択肢もある。気は変わらないのか?」

「それもベルグやペタと同じ。最後の心残り以外は本当に関心が持てなくなってしまったんだよ、重大な使命を抱える君には悪いと思っているがね」


 私はにやりと口元に笑いを浮かべ、そして大袈裟に首を竦める。

 それに対して、くるりと顔色が変わるデュカ。


「最後の心残り……… やはり、レッドスフィアか」

「そう、放棄されたレッドスフィア航宙要塞。アクオスフィア再調査の足掛かりとして奪還計画を進めているのだろう? 私達が生まれ、多くの同胞を置き去りにした場所」


 私はカウンターのホログラムに視線を移し、先の言葉を続ける。


「苦渋のクラウドスフィア後退、それは君も同じはずだ。大銀河文明連帯との約束は果たさねばならぬ。放置するより他ならなかった航宙要塞、レッドスフィア」


 しなやかで薄い眉をハの字に歪ませ、デュカは二の句を告げられない。


「………」

「いつか還ると誓った約束の地だ。君と「二番目の人類」にはアクオスフィアの方が大事だろうが」

「レッドスフィア航宙要塞、二百年経った今でもボク達の宿敵〈奈落〉の主要拠点だ。そんな危険なところにキミをやりたくはない」

「老いた私はお荷物とでも言いたげだな」

「そうは言ってない」

「デュカ、怒るとチャーミングなところもよく再現できている、その総義体」


 戯ける私にデュカは大きな溜息を吐き、硝子細工のような嫋やかな指で顔を覆った。


「……… VARDのレポートは秘匿するベきだったよ」

「不明なアウターコンティニューム・ダストに含まれていた未融合の金属片。組成解析によれば精製年度はここ数十年の新しいもので、驚くべきことにアクオスフィア産の可能性が高い。つまり「旧人類」は、アクオスフィアの何処かでまだ生きている」


 私の物言いが終わると、デュカは絞り出すように重々しく口を開く。


「その結論はまだ早いよ。だけど、選りに選って「観察者」に見つけられてしまって………」

「やはりずっと前から気付いていたようだね、その口振りは。私に隠して」

「いやだからそれは、キミが知れば」


 私はデュカの言葉を遮った。


「早急にアクオスフィアの再調査。本格調査となればレッドスフィアは無視できない。久しぶりに心が踊ったよ。アネクドの観察者、ゲルダと言ったか。よく数ミクロンのそれを見つけ………」


 高笑いをするつもりが咳に邪魔され、慌ててデュカは伏した私の背中をさする。

 その掌は、まるで総義体ではないとばかりに温かい人肌を返す。


「ほら、笑いごとじゃない。ボクはキミに静かな余生を望んでいる」

「まだ、そこで死ぬと決まったわけじゃない。私は誓いを果たしたいだけ………」

「ソル………」

「これまで〈奈落〉に阻まれ、調査が進んでいなかったアクオスフィア。大銀河文明連帯を黙らせる大義名分もできた。それは君と「二番目の人類」の悲願の一つ。私も生まれ故郷をもう一度見たい。私は荷物で構わない。船の倉庫にでも積んでくれればいい」

「馬鹿を言うな、年寄りの癖に。凍死するよ」


 ふふん、と私は気遣うデュカを無視。言葉を続ける。


「そもそも君が槍士兵徒ランサラーの上に専任槍士官ランスマスターを創設したのも、いつか再び〈奈落〉と対峙するための準備だろう?」


 私は美しい少女の顔を再びじっくりと見詰める。

 そのまま視線を受け止め、はっきりと口調を強くするデュカ。


「彼ら〈奈落〉は私達に禁じられている自律型無人兵器を使う。今でも彼らをそう易々と凌駕できるとは思っていないし、ボク達には時空災厄アウターコンティニューム討伐の使命もある。大規模兵力を割けない以上、身の安全は保証できないよ」


 だが、私は怯まなかった。


「元はと言えば〈奈落〉は私達の同胞、同世代のクローン。大銀河文明連帯に純粋な「兵器」として扱われることを拒んだ者達。ごく一部を除けば、「我々の子ども達」は今の社会が一度破綻してやり直されたものと知らない」


 デュカはブランケットの端を握り締め、愕然とした顔で言葉を返す。


「それはボクを……… 脅しているのか?」

「今は眠っている創造者達、それに君と私達で作り上げた社会だ。一度目と違い、義務さえ果たせば一定の自由が手に入る。「兵器システム」を「社会ソサエティ」と言い換え、「旧人類」のそれに模して見直した。演算思考体に「人間」を教えるにも骨が折れた」


 私は韻を確かめながら、ゆっくりと言の葉を積み上げる。


「今さら壊す気になれないが、私が死ぬとなれば別だ。それとも私の口を塞ぐかね?」

「狡いよ、ソル。キミは今でも「特別」なのに………」


 少女は口をへの字に曲げ、真っ直ぐ美しいブロンドを掻き乱した。

 だが、私は言葉を紡ぐことをやめない。


「同じように「我々の子ども達」が反抗を企てるか分からない。だが、「二番目の人類」が兵器である事実は変わらない。使い捨てクローンの中身だけリサイクルするシステム、それが〈ジェネクト〉」


 お互いを見詰めながら、私達は沈黙する。

 私は半透明の義肢の掌で、デュカの硝子細工のような手を握った。


「私のたっての願い。聞き入れてくれないか?」


 ホログラムの中の子ども達は無邪気に笑みを浮かべている。

 決して二百年後の自らを想像することはなく。





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