7.初めての勝利
――少年が車の窓から外を眺めると、そこには一面の焼け野原が広がっていた。
殆どの家々が基礎だけを残し消し炭と化し、大きなビルディングが建っていたであろう場所には、焼け焦げた瓦礫がうず高く積みあがっている。
その中を、着のみ着のままの人々が彷徨い歩き、懸命に消し炭や瓦礫を掘り返しては何かを探していた。
恐らくは、焼け残った何かを探しているのだろう。家財道具か、思い出の品か、はたまた家族や友人の亡骸か。
「この光景をよく覚えておくんじゃぞ。暴力に酔い、国民を戦に駆り立て、諸国を荒らしまわった報いは、先導した者共ではなく民草に返って来るのじゃ」
傍らに座る和服姿の少女が、車外の凄惨な光景から目を離さずに語り掛けてきた。その瞳には強い憂いと、怒りと、悲しみと、そして後悔の念が見てとれる。
無理もないだろう。彼女はこの光景を止められたかもしれない、数少ない人間の一人なのだ。責任を感じているはずだ。
「戦というものは、ただがむしゃらに戦えばよいものではない。常にそれを終わらせる道筋をつけねばならぬ。……残念ながら、この国でそれを考えられる者達は真っ先に死んでしまった。お前の父親や、私の婚約者のような人間がな。後に残ったのは、神風だなんだと根性論と都合の良い神話ばかりを信奉する俗物だけよ。だから我が国は負けた。完膚なきまでにな」
自嘲気味に呟く少女に、少年は何も言葉を返せなかった。まだ七歳の自分には難しすぎる話だと思ったのもあるが、それ以上に少女が応えを求めてはいないと感じたのだ。
「よいか安琉斗。お前はそうなってはならんぞ? 己の強さも弱さも知り尽くした、本当の意味で強い人間となるのだ。決して驕らず、かといって自らを過小評価もせず。がむしゃらに戦うのではなく、常にどうすれば勝てるのか、どうすれば守れるのかを考えよ。――人間同士の戦と違って、荒魂相手では降参も出来んのでな」
「……はい。分かりました、陛下」
少年――安琉斗は傍らに座る自らの主の眼をまっすぐに見据え、答えた。
***
(――さん! 小町さん! 意識をしっかり持ってくださいませ!)
(……あれ? ご、ごめん。なんだかぼーっとしてた)
彩乃の「声」によって、小町の意識が急速に戻った。
時間にして数秒程度ではあったが、小町は完全に我を忘れ、何者かの記憶の中を彷徨っていたのだ。
(今の、アルトの小せぇ頃の記憶だよな? へーかもいたし)
今と全く変わらぬ姿の霊皇と話す少年は、確かに「安琉斗」と呼ばれていた。ならば、十中八九本人であろう。
小町は彼の幼少期の記憶――風景からすると戦後間もなくの頃の思い出の中を揺蕩っていたらしい。
(大方、安琉斗さまの意識に埋もれかけていたのでしょう? 先程も説明しましたが、小町さんが小町さんであることを決して忘れないように! あたくしや安琉斗さまはあくまで他人なのだという意識が重要です)
(お、おう! 気を付ける!)
「神威」は成功したようだが、どうやら小町の自我が消えかかっていたらしい。
彩乃の怒りようからすると、非常に危ないところだったのかもしれない。彼女には世話になりっぱなしだと、小町は己の未熟さを恥じた。
(そうだ! アルトは、アルトはどうなった!? 神威は成功したんだよな?)
小町の眼は未だ閉じられている。物理的な感覚を極力遮断しなくては、霊的な感覚の機微を掴みかねる為だ。そのせいで、周囲の状況がよく分からない。聴覚も半ば閉ざされているようで、音すらも聞こえなかった。全てのリソースを「神威」の為に振り分けているような状態だ。
すぐ近くで戦っているはずの安琉斗の様子さえ窺えない。
(落ち着いてくださいませ小町さん。あたくし達は今、霊力で繋がっています。貴女にも安琉斗さまが見ている光景が伝わるはずですよ)
彩乃の言葉に、小町は霊的な感覚を更に研ぎ澄ませるべく意識を集中する。自分と彩乃の身体を通り抜けていく膨大な霊力が向かう先、そこに安琉斗がいるはずだった。
――やがて、視界が開けた。
***
「破っ!」
裂帛の気合と共に、安琉斗が鋭い突きを「漆黒の骸骨」へ放った。
「漆黒の骸骨」はその一撃を黒き霊力を圧縮した盾で受け止めたが……安琉斗の剣はそれをいともたやすく貫通し、会心の一突きが本体を刺し貫く!
『オオ……オオオオオォ!』
荒魂にも「痛み」という概念があるのか、「漆黒の骸骨」は苦悶の叫びをあげると、がむしゃらに腕を振り回し始めた。最早、先ほどまでに感じられた技巧溢れる攻めの数々は欠片も見受けられない。
「受けずに躱せば済んだものを……所詮は怨霊、か。人の技を真似たところで、限度があったようだな」
けれども安琉斗に油断はない。相手が正体不明の荒魂であることもそうだが、何より人が最も油断するのは勝利を確信した時であることを知っている為だ。
「神威」によって莫大な量の霊力を供給されてもなお、安琉斗の霊力は「漆黒の骸骨」には及ばない。技で圧倒出来ていても、何か一つでも慢心があれば容易く足元をすくわれる程の戦力差があるのだ。油断など出来るはずもない。
「貴様の正体も気になるところだが、欠片一片でも残せば何が起こるか分からない。――全て祓わせてもらうぞ!」
荒魂相手に言葉を投げかけても詮無いようにも見えるが、安琉斗の行動には意味があった。
言葉は発することで現実に影響を及ぼす。特に霊的世界では、口にした言葉がそのまま霊的な威力となって発現することがあるのだ。つまりは「
大上段に構えた安琉斗の刀に、霊脈から汲み上げられた膨大な霊力が集中する。
霊的な視覚を持つ者が視れば、刀全体を包む蒼き炎が如き霊力の迸りを目撃したであろう。
『オオオオ……オオオオォォォン!!』
本能的に危機を感じたのか、それともただの反射か。「漆黒の骸骨」が安琉斗の刀に怯えるかのように叫びをあげる。
気圧されるように、その巨体が僅かに後ろに下がった、その刹那。
「――秘太刀・炎十字」
言霊と共に安琉斗の剣が振るわれた。
――傍らで見る者があったなら、不思議な光景を目撃したであろう。安琉斗の剣は、唐竹割り――つまり大上段から縦一文字に振るわれた。
だがしかし、「漆黒の骸骨」はその身を四等分――十字の形に切り裂かれていたのだ。
『アアアアアアアァァ……』
獣のものとも人のものともつかぬ断末魔を上げながら、「漆黒の骸骨」の身体が崩れていく。
その身体は黒い塵へと変じ、黒い塵は更に蒼き光の粒となって大気に溶けるように消えていく。
「……大いなる流れへと還るがいい」
荒魂の消滅を確認すると、安琉斗はようやく刀を鞘に収めた。
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