6.死中に活を求む

 安琉斗と「漆黒の骸骨」との戦いは熾烈を極めていた。


 「漆黒の骸骨」の霊力量は、凡百の荒魂とは比べ物にならない。本来ならば、「神威」の恩恵を受けた熟練のサムライ数人で立ち向かうべき相手だ。

 加えて、「漆黒の骸骨」には明確な「殺意」が備わっている。殆どの荒魂が動物的な本能にも似た行動パターンを示すのに対し、「漆黒の骸骨」は明らかに人間を殺傷する為の手練手管に長けている。

 その斬撃や刺突は人間の急所や死角を熟知した武芸者のように的確であり、フェイントまで多用してくる。まるで、生きている人間を相手にしているかのような感覚を、安琉斗は何度も覚えていた。


 だが、安琉斗も然る者だ。

 彼我の霊力差は歴然。彩乃が看破したように、「漆黒の骸骨」の霊力量は安琉斗の数十倍以上ある。本来ならば、「漆黒の骸骨」の一撃で安琉斗は斃されているだろう。

 しかし安琉斗は、全身を包む霊力を手にした刀に集中させ密度を上げることで、「漆黒の骸骨」の強力な一撃に対抗していた。その引き換えとして身体の護りは紙同然となっているが、安琉斗は紙一重の見切りで荒魂の攻撃を躱し、いなし、あるいは刀で弾き返し、無傷を保っていた。


 ――けれども、それは薄氷の上で立ち回るかのような危うい戦法だ。

 一つ見切りを誤れば、護りのない安琉斗の身体は易々と斬り裂かれ、一撃で命を落とすだろう。

 本来ならば、このような戦法を取らざるを得ない時点で、戦いは安琉斗の負けなのだ。「背水の陣」ですらない、「死中に活を求める」ような戦いだ。


 それでも、安琉斗は諦めない。決して退かない。

 彼我の戦力差が絶望的であろうとも、勝利の可能性が僅かであろうとも、安琉斗は戦うことを止めない。

 それは決して、旧日本軍のような蛮勇ではない。不退転の決意であった。

 とはいえ――。


(恐ろしい荒魂だ。付け入る隙がない)


 「漆黒の骸骨」の猛攻を必死に凌ぎながら、その恐るべき戦闘能力に安琉斗は瞠目していた。

 安琉斗とて、今までに多数の荒魂を討ち祓ってきたサムライだ。その中には、何年後かには育成館の教科書に載るであろう、恐るべき荒魂もいた。

 だが、この「漆黒の骸骨」はそれらの荒魂と比べても異質だ。生者への恨みつらみ以外は、動物的な本能しか持たないはずの荒魂に、明確な「意志」や「技」が感じられる。それ故に、対荒魂戦におけるセオリーのいくつかが通用しないのだ。


 加えて、姫巫女達が陣取る広場から離れすぎたことが、安琉斗を更なる苦境へと追い込んでいた。

 強力な荒魂との戦いでは、「神威」の加護は必須だ。霊脈からの霊力供給を受けずに戦い続ければ、サムライはその内なる霊力を使い果たし、いずれ力尽きる。疲れ知らずの荒魂と戦い続けるには、外部から霊力を供給し続ける必要があるのだ。


 今の安琉斗には、「神威」による恩恵が殆ど届いていない。このままでは時を置かずして、「ガス欠」となるのは目に見えていた。

 それでも、安琉斗に焦りはない。余裕ではなく、彼の鋼のような意志が全ての恐れを抑え込んでいるのだ。常人ならば、既に逃げ出しているであろう絶望の中でも、彼は活を求め続けた――。


   ***


 一方その頃、小町と彩乃は担任教師の反対を押し切って、安琉斗が荒魂と戦っている区画のすぐ傍まで戻って来ていた。

 もちろん、護衛役の肇も一緒だ。


「では、小町さん。覚悟はよろしいですわね?」

「お、おうよ! ドーン! といこうや!」


 珍しく挑発的な笑みを浮かべる彩乃に対し、小町も負けじと強がってみせる。

 ――が、ふと気づく。彩乃の足は小刻みに震えている。彼女も、これから自分達が挑むことに恐怖を覚えているのだ。それをひた隠しているのは、強がりなのか、小町を不安にさせまいという気遣いからなのか。

 小町は何となく、それが後者であるように思えた。


「では、お手を……」


 彩乃が差し出した白魚のような手。小町はそこに自らの手を重ね、彩乃の手のあまりの柔らかさに思わず赤面する。

 「やはり自分と同じ生き物とは思えない」と、ますます彼女への憧れを強くしながら。


「小町さん、以前のように霊脈の大いなる流れに身を任せるのではなく、『今ここにいる自分』をしっかりと持ち、かといって他人を排斥せずに受け入れる、緩やかな水の流れのような心を保つのです」

「お、おう!」

「もし、自分自身を見失いそうになったなら、あたくしや……安琉斗さまのことを思い出して。決して、霊脈の中で迷子にならぬように――」


 彩乃がそっと目を閉じる。小町もそれに続けて目を閉じ、視界が閉ざされる。

 すると、いつものように段々と霊的な視覚が冴え始め、足元に流れる霊脈の膨大な光が姿を現した。

 そのまま二人はお互いの霊力を重ね合わせ、ゆっくりと霊脈へ向けて伸ばしていく。いつぞや育成館の体育館で行われた「霊脈への接続」を、今は二人だけでやろうというのだ。


 あの時、見よう見まねで霊脈に触れようとして、小町は危うく「大いなる流れ」に呑まれそうになった。

 だが、今度は違う。すぐ傍に彩乃がいて、お互いの手と手を繋いでいるお陰で、自分自身が霊脈の中へ埋没してしまうようなあの感覚はない。

 あくまでも、地上に立っている自分が霊脈へと手を伸ばしているだけなのだ、という確かな感覚があった。

 ――やがて、二人の霊力が霊脈に触れたのが感じられた。


(次は、この莫大な霊力を安琉斗さまの元へ届けます。――ここからが本当に危険な工程です)


 霊力を通して、彩乃の意思が伝わってくる。「こんなことも出来るのか」と感心しつつも、小町は更に集中力を高めていった。

 「霊脈への接続」だけならば、姫巫女の才能のある者がある程度修行すればそれほど難しいことではない。問題はこの次だった。

 「神威」へと至る為には、霊脈と自分とを繋ぎつつ、更に他者――つまりサムライへと経路パスを繋ぐ必要があるのだ。言ってみれば、霊脈という大海原から水を汲み上げ、それをサムライという器へ注ぐようなものなのだが、それこそが「神威」を行うに際し、最も困難とされる工程であった。


 霊脈から大量の霊力を汲み上げサムライへ届けるということは、自らの自我を霊脈の大いなる流れに晒すのと同じくらいに危険な行為なのだ。

 少しでも気を抜けば、以前の小町のように霊脈の流れに呑み込まれ、行きつく先はいずこかの荒魂――自然神の口の中だ。

 加えて、サムライの霊力に触れ「接続」することによって、彼らの霊力や思考の影響も受けることになる。彼我の境界が曖昧になる為に、未熟な姫巫女が精神崩壊を起こした例も少なくない。


 「神威」が一人前の姫巫女にしか許されていないのには、そういう事情があった。

 彩乃が「命がけ」と言ったのは、文字通りの意味なのだ。


(さあ、安琉斗さまが近くにいるはずです。霊力の手を伸ばし、あの方の元へ――)


 お互いの手をしっかりと握り合いながら、小町と彩乃は霊力の手を伸ばし安琉斗の姿を探し求める。

 その間にも、二人の自我は霊脈の大いなる流れに引っ張られ、何度も意識が薄れることがあった。

 やがて、少し離れた場所に揺蕩う安琉斗の霊力を見付けると、二人はそれにそっとノックするように手を触れた。


   ***


(……この感覚は、小町? それと、二階堂の姫君か? ――まさか、これは「神威」か!?)


 二人の霊力の手が触れた感触が、安琉斗にも伝わった。

 あまりにも予想外のことではあったが、荒魂の猛攻を防ぐ手が止まらなかったのは流石の一言と言えるだろう。


(安琉斗さま、あたくし達を受け入れてください)

(アルト! 今から霊力を送るから、そんな奴やっつけてくれ!)


 二人の意思が、安琉斗にも伝わる。

 俄かには信じがたいことだったが、二人は本当に「神威」を成そうとしているらしい。


(駄目だ! 修行不足の君達に「神威」は危険だ、許可出来ない。正規の姫巫女に任せるんだ!)


 安琉斗には珍しく、強い拒絶の意志が滲み出る。

 だが――。


(残念ながら、姫巫女達の援軍は来ません。あちらの戦場も大変なことになっています)

(アルト! むしろお前がそいつを片付けて助けに来てくれなきゃ、サムライの人達の方が危ねぇかもしれねぇんだ! やるしかねぇって!)


 彩乃と小町の言葉に嘘は感じられない。

 安琉斗は目の前の荒魂の猛攻を凌ぎつつ、器用に周囲の霊力に探りを入れ――驚愕した。

 先程まで自分が戦っていた「火の車」の荒魂の霊力が二倍ほどに膨れ上がり、仲間達を圧倒している様が手に取るように分かったのだ。

 二人の言う通り、むしろあちらに援軍が必要なレベルだった。


 ――刹那、安琉斗の中でどのような葛藤があったのか。それは彼以外の誰にも分からない。

 ただ、彼が小町と彩乃に命がけの博打をさせたくないという強い気持ちだけは、二人にも察せられたことだろう。

 だが、それでもなお、安琉斗の冷静なる鋼の精神は、この戦いに勝つ為の最適解を打ち出した。


(分かった。死なば諸共……とは言わない。三人で必ず勝とう)

(そうこなくっちゃ!)

(ええ、ええ。安琉斗さまならそう仰ると思っておりましたわ。さあ、二人とも、いざ!)


 ――そして、三人の霊力という名の歯車が完全に噛み合った。

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