5.疾風の如く

 「がしゃどくろ」という妖怪がいる。

 戦死者や埋葬されなかった死者達の無念が巨大な骸骨となって現れ、生者を捕えては貪り食う妖怪とされるが――この怪異は現代に入ってから創作されたものだと言われている。

 我々の歴史で言うところの一九七〇年代の創作とされることが多く、つまり一九五五年に生きる小町達が知ることはない妖怪だ。


 だが、その一方で骸骨という物は「死」のイメージとして人々の間に伝わってきた。それは、骸骨が人間の死の先に待つなれの果ての姿であったからだろう。

 そして、荒魂の姿形は人々の畏れの具現化であるとも言われる。骸骨の姿をした荒魂が存在すれば、それは人間にとって、これ以上ない「死」を予感させるものであろう。


 ――その「死の具現」が今、小町達の目の前に姿を現していた。

 身の丈は二階建ての建物に負けぬほど高く、その身は自然の骸骨ではあり得ぬ漆黒に染まっている。

 全身にどす黒い負の霊力を纏い、虚ろなその眼窩の奥にはゆらゆらと蒼黒い炎が揺れていた。


「あ、あああああああ……!」


 小町の、そして彩乃と肇の口から、うめき声とも悲鳴ともつかぬ何かが漏れ出す。

 先程まで果敢に荒魂に立ち向かっていた三人の勇気は霧散し、最早その心にあるのは恐怖――死への畏れだけである。

 霊力の規模だけで言えば、広場にいた「火の車」の荒魂の方が遥かに上だろう。だが、この荒魂には明確な「殺意」が備わっていたのだ。


(か、体が……動かねぇ!)


 小町の身体は今や、完全に金縛り状態にあった。蛇ににらまれた蛙と言ってもいい。

 サムライ達が戦っていた「火の車」の荒魂を前にした時以上に、彼女の身体は小刻みに震えていた。

 恐らく、少し後ろで佇む彩乃と肇も恐怖に震えていることだろう。先程までは二人の覇気を感じていたのだが、今は小町と同じく、完全に目の前の荒魂に呑まれてしまっている。


 そんな小町達をよそに、「漆黒の骸骨」はゆっくりと浮かぶようにして古井戸の中から這い出し、地上に降り立った。

 その虚ろな眼窩はまっすぐに小町を、そしてその背後に控える彩乃と肇を見据えている。


 ――そして、漆黒の腕がおもむろに振り上げられ、そこへどす黒い負の霊力が殺到した。

 鋭い槍の如き骨の手先に黒く燃える霊力が集中し、バーナーの炎のようにごうごうと音を立てる。それは、触れれば霊体でなくとも霧散するであろう、高濃度に圧縮された破壊の力であった。


 「漆黒の骸骨」がその腕を一振りすれば、全てが終わる。

 小町も、彩乃も、肇も。三人ともが跡形も残さず灰燼と化す。霊力の知らせか、三人は共に目の前の「死」を正しく認識していた。


「こ、まちさん……はじ、め……ふたりだけでも……にげ……て……」


 彩乃が絞り出すように呟く。三人の中で最も霊力の扱いが巧みなだけあって、彼女だけは口と指先程度ならば自由になるようだったが、それだけだった。

 自分でも無駄だとは理解しつつも、何とか二人だけでも逃げて欲しいと、死の間際にあってまで他人をいたわる彼女の精神は高潔そのものだが――絶対的な死をもたらす力を前にしては、何の助けにもならない。

 もし彼女らが、あと数年、いや一年の修業を更に積んでいたならば、あるいは可能性もあったのだろうが――。


『怨』


 だが、生きとし生けるものに仇なす為だけに存在する荒魂に情はない。彼らに猶予を与えるような心はない。

 「怨」の叫びを上げながら、暗黒の刃と化したその腕が、容赦なく振り下ろされた。


 ――刹那、三人は共に同じ光景を視た。

 世界が灰色に変わり、神速であるはずの荒魂の斬撃がやけにゆっくりと感じられた。

 徐々に迫る「死」そのものを具現化した暗黒の刃が、三人を諸共に袈裟斬りする軌道を描く。


(ああ……死ぬって、こんなもんなのか。死ぬ時はあっさり死ぬって、知ってたけどさ……)


 時間の引き延ばされた空間の中で、小町は思い返す。

 幼い頃に目撃した空襲の悲惨さを。爆散する隣人達を。炎上しながら小町達に助けを求めた遊び友達の姿を。

 バラック街で母と共にその日暮らしをしながら、いつかああやって死ぬのだと、心のどこかで思っていた過去の自分を。

 死ぬのは怖いが仕方ないと、どこかで達観していた柏崎小町という少女を。


(ああ、でもやっぱりやだなぁ……)


 不意に、二ヶ月ほど前に出会ったばかりの青年の顔が浮かぶ。

 「死にたくない」と思った時、自然と浮かんだのは彼の顔だった。きっと以前なら母親の顔が浮かんでいただろうに。


(……アルト)


 心の中でその名を呼ぶ。

 今はやや離れた場所で他の怪異と戦っているはずだ。あちらはあちらで命がけなのだ。自分の危機になど気付かないだろう。

 それでも最後に、その名前を心に刻んでおきたかったのだ。

 そして疾風が吹き――。


「遅くなって済まない!」


 気付けば、目の前に安琉斗がいた。

 疾風かと思われたのは、安琉斗であった。安琉斗がすんでのところで駆け付け、愛刀で荒魂の斬撃を受け止めていたのだ。


「あ、アルト!」

「安琉斗さま!」

「安琉斗先輩!」


 途端、金縛りが解け、三人が口々に安琉斗の名を叫ぶ。足も手も、痺れのような鈍さは残っているが、十分に動けそうだった。


「こんな強力な荒魂が潜んでいたなんて……姫巫女達は何をやっていたんだ! ――破っ!」


 気合い一閃。安琉斗が「漆黒の骸骨」の腕を押し返す。

 安琉斗の放った霊力の斬撃の威力に、「漆黒の骸骨」がたたらを踏んだように後退する。


「す、すげぇ! やっぱりアルトはすげぇや! これなら……!」

「――いえ。いくら安琉斗さまでも、あの荒魂は手に余ります」


 安琉斗の強さに小町が色めき立つが、一方の彩乃は冷静だった。

 安琉斗と「漆黒の骸骨」、両者の霊力を観察すれば彼我の戦力差は歴然だ。安琉斗の纏う霊力は、「漆黒の骸骨」の十分の一、否、百分の一程度しかない。彼が「漆黒の骸骨」を圧倒したのは、全ての霊力を刀に集中させ攻め一辺倒の構えを取っているからだった。

 戦いが長引けば、確実に押し切られる。


「二階堂の姫君の言う通りだ。小町、君は二人を連れて逃げろ」

「えっ!? で、でもよう」

「いいから、言う通りにしてくれ。すぐに館長先生に知らせて応援を頼むんだ」


 荒魂を牽制したまま必死のまなざしを向ける安琉斗。その姿に、小町は「死ぬなよ!」とだけ声をかけ、古井戸に背を向けて走り出す。


「御武運を」

「すぐに助けを呼んできます!」


 彩乃と肇も小町に続いて走り出す。自分達を守りながらでは安琉斗が全力を出せないと、悔しさをにじませながら。

 そのまま、背後に激しい戦いの気配を感じながら元居た広場へと駆ける三人。

 だが――。


「な、なんだありゃ!?」


 最初に異変に気付いたのは小町だった。

 サムライ達が戦っているはずの広場の様子が、明らかにおかしかったのだ。

 まだ広場まで距離がある。にもかかわらず、サムライ達が戦っている「火の車」の荒魂の姿がやけに巨大に見える。

 サムライ達と姫巫女達が戦う姿は見えるが、戦いを見学していた生徒達はおろか、バスの姿も見当たらない。


「あの荒魂……大きくなってませんか!?」

「ええ。あたくし達がいない間に、一体何が」


 状況がつかめず戸惑う三人。と、その時、そんな三人の背後から声をかける者があった。


「君達! ここにいたのか。早くお逃げなさい!」


 小町にも見覚えのあるその人物は、小町達の担任教師だった。

 トレードマークである眼鏡が斜めになってしまっているところをみるに、小町達を探して駆けずり回っていたようだ。


「先生! こりゃあ、一体何が起こってるんだよ!?」

「……荒魂に『伏兵』がいたんです。信じられない事ですが、熟練の姫巫女達の監視の目をかいくぐり、霊脈に寄生していたようです」

「荒魂がそんな高度な戦術を?」


 担任の言葉に、彩乃が驚きの声を上げる。

 荒魂にも一応の知性のようなものはあるが、それは野生動物の本能に近いものだ。奇襲やだまし討ちくらいはするだろうが、姫巫女達の探知の目をかいくぐって潜伏するなど、彩乃は聞いたことがなかった。


「……もちろん、大変珍しい事です。帰ったらこの辺りもきちんと研究したいところですが、今は生き延びるのが先決です。サムライ部隊はアレの相手で手一杯ですから、生徒は全員敷地外に避難させました。あれだけの荒魂が現れたとなると、結界を越えて周囲の怪異も引き寄せられかねませんからね。さ、君達も早く」

「いやっ! そんなことよりもさ、先生! アルトが! アルトが一人で荒魂と戦ってるんだ! 早く援軍を寄越してやらねぇと!」


 安琉斗が戦っているであろう方を指さしながら、小町が力説する。

 だが、担任教師の返答は実に冷静なものだった。


「五ツ木くんが? ……しかし残念ながら、援軍を送る余裕はありませんよ。既にサムライ部隊にも姫巫女達にも負傷者が出て、他の先生方や館長先生までもが前線に赴いているのです。それでも勝算は五分と五分。……五ツ木くんもプロです。引き際を見誤ることはないでしょう。それよりも君達の安全の確保が先です。さぁ、早く!」


 普段は人のよさそうな、大人しい担任教師が、今は強い口調で小町達に迫っていた。

 つまり、それだけ事態が切迫しているのだ。小町にもそれくらいのことは察せられた。


 援軍は期待できない。

 自分には安琉斗を助けるだけの力はない。

 このまま安琉斗を見捨てなければならないのか? 小町の心に絶望が落ちる。

 だが――。


「……小町さん、参りましょう」


 それまで静かに話を聞いていた彩乃が、おもむろに口を開いた。


「まいるって、どこに?」

「もちろん、安琉斗さまの所へ、ですわ」

『はぃぃぃ!?』


 彩乃の予想外の発言に、小町と肇と担任教師の声が奇麗にハモる。


「あ、彩乃? オレたち、アルトのお陰で逃げてこれたんだぞ? あいつの助けにもなれねぇからって」

「二階堂くん! 五ツ木くんが持て余す程の敵が待つ死地へ、君を向かわせるわけにはいきませんよ」


 小町が、担任教師が、彩乃を窘めようと口を揃える。

 だが一方で、肇は主の次なる言葉を待つかのように、沈黙を守っていた。


「もちろん、そのまま向かったところで安琉斗さまの足手まといになるだけでしょう。ですが、このまま手をこまねいていても、安琉斗さまは確実に命を落とします。あの方は、敵に背を向けられる方ではありませんから」


 何かを思い出すかのように、彩乃はそこで言葉を切り目を閉じた。

 小町も担任教師も、今度は言葉を挟まずに彩乃の言葉を待つ。彩乃の沈黙には、それほどの何かが感じられたのだ。

 そして、長い沈黙を経て、彩乃がおもむろに口を開いた。


「……『神威かむい』の有効範囲は限られています。霊脈との仲介役となる姫巫女から距離が離れれば離れる程、サムライに与えられる霊力の恩恵は少なくなる。安琉斗さまは今、殆ど『神威』の恩恵無しに戦っていらっしゃるはずです。それさえどうにか出来れば、安琉斗さまなら勝てます」

「どうにかって、具体的にはどうするんだよ? 姫巫女の人達も援護には行けねぇって先生が……」

「ええ。ですから――」


 小町の問いに、彩乃はたおやかに微笑んでから、こう返した。


「あたくし達で『神威』を成すんです。小町さんと、あたくしとで――文字通り命がけになりますけれども」

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