4.漆黒の腕

「ふうむ。広い土地に憑りついた荒魂は追い込み、合一させてから祓うのがセオリーとはいえ……これはいささか、育ち過ぎでは? ――諸君、決して先生方より前に出ないように!」


 原田が言うまでもなく、生徒達は目の前の光景にすくみ上り、無意識の内に数歩後退する者まであった。それほどまでに、目の前に現れた「本物の荒魂」は恐ろしく、またおぞましかったのだ。

 身の丈は成人男性の三倍ほどだろうか? 建物のようにそびえ立つ「火の車」は建物から姿を現すと、そのまま宙へと浮き上がり静止状態にあった。

 だが――。


「っ!? 総員、警戒!」


 隊列の先頭に立つ年配のサムライ――どうやら実行部隊の隊長らしい――が叫んだその刹那、「火の車」からのたうつ蛇のような炎の触腕が何本も何本も出現し、目にも止まらぬ速さでサムライと姫巫女達に襲い掛かった!

 しかし、サムライ達は隊長の警告と同時に「火の車」の動きを察してたらしく、ある者は華麗にそれを躱し、またある者は姫巫女達を護るようにそれを薙ぎ払う。

 更に、何本かの触腕がサムライと姫巫女達を無視し生徒達の方へと延びるが、途中で見えない壁のようなものに遮られ消滅した。どうやら、姫巫女達による霊力の障壁が「火の車」の荒魂を一か所に閉じ込めているようだった。


「……ふぅ。障壁が展開されていることは分かっていましたが、それでも生きた心地がしませんね」

「はい。今ので何人かは脱落したみたいですね」


 彩乃と肇が周囲を窺うと、何人かの生徒が不調を教官に訴え、早々にバスの方へと連れ戻されているのが目に入った。

 荒魂の陰の気をまともに浴びてしまったのか、それとも炎の触腕の迫力に参ってしまったのか。どちらなのかは分らぬが、荒魂との戦場では弱気を抱いた者から容赦なく死んでいく。見習いの内は、逃げは決して恥ではないのだ。


「小町さん。貴女も先程から顔色が優れなかったようですが、大丈夫――あら? 肇、小町さんはいずこに?」

「えっ? ……あれ、さっきまで僕らの隣にいたと思うんですが」


 ふと気付けば、傍らにあった小町の姿がなかった。キョロキョロと辺りを見回すが、どこにもいない。

 荒魂の出現に驚きの声を上げていたのが、ほんの数十秒前のはず。その間に、小町は忽然と姿を消してしまっていた。


(まさか、あたくしともあろうものが、目の前の荒魂に気を取られて小町さんを見失うだなんて!)


 彩乃らしくもなく心の中で舌打ちしながら小町の霊力を探るが、感じ取れない。

 目の前で繰り広げられる荒魂との戦いによって、周囲の霊力の流れが完全に乱れているのだ。障壁によって致命的な攻撃は防げても、その余波だけで姫巫女としての感覚までも狂わされてしまうらしい。


「どうしましょうお嬢様。僕が探してきましょうか?」

「……いえ、あたくしも参りますわ。小町さんではありませんが、なんだか嫌な予感がいたしますの。――館長先生!」


 正体不明の焦燥感を覚えた彩乃は原田の元へ駆け寄ると、小町の不在を告げた。すると、荒魂を前にしても崩れなかった原田の笑顔が、一瞬で真顔になった。

 彩乃もめったに見ない表情であった。


「ふむ……小町嬢の『先詠み』の力が、思った非常に肥大化している、と考えるべきでしょうな。分かりました、すぐに応援を差し向けますので、まずはお二人で小町嬢の捜索をお願いいたします」

「承知いたしました。さっ、肇。急ぎますわよ!」

「はい、お嬢様!」


 スカートの端を指でつまみ持ち上げながら、やや上品ではない駆け足を見せる彩乃とそれに追いすがる肇。

 二人の姿を見送りながら、原田もまた胸の中に渦巻く嫌な予感を覚えていた。原田自身が出向ければ良かったのだが、彼には引率の責任者として、その他大勢の生徒達の安全を守る義務がある。

 小町が一色家の血筋を引く重要人物であることは彼も知ってはいたが、それだけでは特別扱いは出来ない。――となれば。

 原田は静かに、サムライ部隊の中で戦う若者に目を向けた。


   ***


「……あれ? ここ、どこだ?」


 一方その頃、当の小町は廃工場群のただ中で道に迷っていた。否、さまよっていた、という方が正解か。

 先程まで確かに荒魂の迫力に怯えていたのに、気付けば見知らぬ場所で独りぽつねんと立ち尽くしていたのだ。

 いつの間にか周囲に大きな建物は消え、こじんまりとした二階建ての建物の廃墟が建ち並んでいる。何となくではあるが、かつて工場で働いていた人々の宿舎跡であるように、小町には感じられた。

 遠くでは、荒魂とサムライ達の激しい戦いの物であろう、爆発音のようなものが轟いていた。


「オレ、いつの間にこんな所に? さっきの場所からは随分と離れてるみてぇだけど」


 何かの資料で見た「夢遊病」という病気のことを思い浮かべながら、身を震わす。何やら酷く寒気がする。

 音を頼りに元居た場所へ戻ろうと踵を返した、その時。小町の視界に「それ」が飛び込んできた。


「……井戸、か?」


 小町の言葉通り、それは古いレンガ造りの井戸であった。

 半ば朽ちかけた木の板で閉じられているところを見るに、既に使われなくなって久しいらしい。工場が廃墟となると同時に打ち捨てられたものかもしれない。

 本来ならば小町の興味をひくものではないのだが、小町はそれから目を離せなくなっていた。何故ならば――。


(……おいおい、冗談だろ? 古井戸の中に


 何故ならば、古井戸の中からは濃密な陰の気が立ち昇っていたのだ。先ほど見た「火の車」の荒魂にも伍するほどの、重くおぞましい陰の気だ。

 先程、原田は「敷地内の荒魂は掃き清めるように追い込んだ」と言っていた。つまり、敷地の中を漂っていた荒魂は余さずあの「火の車」へと集約されているはずだ。

 にもかかわらず、この古井戸からは濃密な荒魂の気配を感じる。これは一体どうしたことか?

 ――と。


「ああっ! そちらにいらしたのね小町さん! 随分探したのですよ?」

「今日の為に警官が警備に当たってますけど、これだけ広い敷地ですからね。警備の目をかいくぐって浮浪者の類でも住みついているかもしれませんよ! さあ、早く戻りましょう」


 そこへ小町を探しに来た彩乃と肇がやってきた。二人とも、ほっとした表情を浮かべながら小町の方へと駆け寄ってくる。

 ――つまりまだ、古井戸の中の「何か」には気付いていない。


「バカ! 二人ともこっちくんな――」


 小町が二人を遠ざけようと声を上げた、その刹那。古井戸の蓋の隙間から漆黒の何かが矢のように飛び出し、彩乃と肇に襲い掛かった!


「――えっ?」

「っ!? お嬢様、危ない!」


 咄嗟のことで動けずにいた彩乃を肇が突き飛ばす。漆黒の何かが、数瞬前まで彩乃がいた空間を貫く。

 あと少し肇の反応が遅ければ、彩乃の身体は漆黒の何かに貫かれていたことだろう。肇は見事、お付きとしての役割を果たしていた。

 だが――。


「痛ぅ!?」

「は、肇!!」


 彩乃を突き飛ばした肇の右腕からは、鮮血が流れ出ていた。漆黒の何かが彼の腕をかすめていたのだ。

 狙いを外したことを悟ったのか、漆黒の何かは鎌首をもたげた蛇のようにその身を起こし、再び二人に狙いを定める。


「こ、こいつ、荒魂か!」


 負傷した腕を抑えつつ彩乃を背中に庇った肇は、ようやく自分達を襲ったものの正体を視た。

 それは、陽の光を浴びてもなお黒い、常闇のような色をした何かの「骨」であった。しかも、恐らくは腕であろう。肇の腕を抉ったのは、鋭く尖った指先の骨であった。

 井戸の蓋に穿たれた穴から、何者かの長大な腕の骨が伸びていたのだ。


「彩乃! ハジメ!」


 「二人が危ない」――ただそれだけの気持ちで駆け出した小町であったが、それがいけなかった。

 「骨の腕」は、今度は小町を獲物に見定めたのか、その鎌首を巡らせ小町に襲い掛かる!


『小町さん!』


 彩乃と肇の絶叫がほぼ同時に響く。

 「骨の腕」の一撃には必殺の威力がある。そのことを文字通り肌で感じた二人は刹那、くし刺しにされる小町の姿を夢想した。

 だが――。


『荒魂との戦いの半分は、精神の戦い。相手の感情に呑まれた方が負けるのです』


 小町の脳裏に、いつぞやの原田の言葉が蘇る。そして先程見たばかりの、霊力で荒魂を封じ込める姫巫女達の姿が――。


「しゃら、くせぇ!!」


 駆け出した足を止めず――むしろ更に踏み込みながら、小町が吠える。

 荒魂との戦いの半分が「相手の感情に呑まれた方が負ける」ものなのであれば、自分を「殺す」という荒魂の感情に負けてはいけない。本能的にそう感じたのだ。

 すると――。


「止まった……? いや、小町さんが、止めた?」


 肇のつぶやき通り、「骨の腕」は小町に襲い掛かった恰好のまま動きを止めていた。

 まるで、何か見えない壁に遮られているかのようにブルブルと小刻みに震えている。


「凄い。術式も無しに霊圧だけで荒魂の動きを止めるなんて! けれども、あれでは根競べです。小町さんの緊張の糸が切れた瞬間に押し切られます。肇、急いで小町さんを――」


 小町の潜在能力の高さに舌を巻きながらも、彩乃の判断は冷静だった。

 本来、荒魂の動きを止めるには霊力に指向性を持たせる術式が必要だ。それも無しに荒魂と拮抗しているということは、小町は術式のサポートなしに自分自身の感情――気合いだけで踏ん張っている状態ということになる。

 相手は生者への恨みつらみの塊である荒魂だ。生きている人間が根競べでいつまでも勝てるものではない。

 だが――。


「――? お嬢様、何か音がしませんか? ガタガタって」

「確かに。この音はどこから……ああっ!?」


 小町の方へと駆け寄る途中、二人は気付いた。荒魂の、「骨の腕」が伸びてきている古井戸。その固く閉ざされた蓋が、ガタガタと振動しているのだ。

 まるで、何者かが中から無理矢理に蓋をこじ開けようとしているかのように。


「何かが、何かが這い出てくる!」


 肇がそう叫んだ瞬間、井戸の蓋は激しい破裂音と共に砕け散り、「それ」が姿を現した。

 「それ」は「骨の腕」の持ち主。長大なかいなに見劣りしない巨躯。纏うは、圧倒的な負の霊力。


「あ、あああああああ……!」


 そう叫んだのは、一体誰だったろうか。小町も、彩乃も、そして肇も。現れた「それ」の姿を前に、心を恐怖に支配されていた。

 古井戸から姿を現したそれは――周囲の建物に勝るとも劣らぬ巨躯を持った、漆黒異形の人骨であった。

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