8.後始末

 「漆黒の骸骨」を祓った安琉斗が、小町、彩乃、肇の三人を伴って広場へ戻ると、戦いは佳境を迎えていた。


 巨大化した「火の車」の荒魂は既に元の大きさに戻っている。サムライ達の攻撃により霊力が損耗した証拠だった。

 だが、一方のサムライと姫巫女達にも強い疲労の色が伺える。既に何人かの者が地に膝を突き、息も絶え絶えといった有様だ。


「……これはいけないな。小町達は安全な場所まで下がっていてくれ」

「お、おいアルト。お前もヘロヘロじゃねぇか! 大丈夫なのか?」

「この程度、疲れた内には入らん。肇、二人のことを頼んだ……いや、待て。この気配は――」


 安琉斗が肇に二人のことを託し戦線へ復帰しようとした、その時。彼らの周囲に不可思議な霊力の渦が姿を現した。

 小型の竜巻のように地面から立ち昇ったそれは、段々とはっきりとした形を成していき――遂には、軍服姿の四人の男の形をとった。明らかに実体ではなく、青白く半透明な姿をした霊体だ。


「ひぇ!? な、なんだこいつら!? 新手の荒魂か!」

「……いいえ、違いますわ。これは、この方々は……」


 突然のことに身構えた小町を、彩乃がそっと手で制す。どうやら彼女には、この軍服の霊体達に心当たりがあるようだ。

 と、その時。霊体達から小町にとっても聞き覚えのある声が響いた。


『諸君、待たせてすまぬ。そちらへ「式」を四体送った。援軍としては心もとないかもしれぬが、踏ん張ってくれ』

「え、この声……か?」


 そう。霊体達から響いた声は、霊皇のものだった。

 しかし、本人の姿はどこにも見えない。一体どうしたことかと小町が首をかしげていると、彩乃がすかさず解説してくれた。


「小町さん、これは陛下の『式』ですわ」

「しき? なんだっけ、それ?」

「陰陽道で言う『式神』のことです。陛下は何体かの和魂にぎみたまを、式として使役しておられるの」


 「式神」「和魂」という言葉には聞き覚えがあった。

 小町がいつだか読んだ教科書に書いてあったが、「式神」というのは陰陽師と呼ばれる人々が使役する「鬼」のような存在のはずだ。

 「和魂」は、自然神の「荒魂」とは別の穏やかな側面だと記憶している。また、それが転じて悪霊としての「荒魂」の逆、つまり人間の正の感情が形を成した霊体をも指すはずだった。


「彼らは死してなお故国を守ろうと、その霊力を形にして後世に遺した偉大なる先達だ。小町、お前も一度お会いしているはずだぞ」

「……あっ」


 安琉斗に言われて、小町はようやく思い出した。

 霊皇に謁見する為に「御所」へと赴いたあの日、足元の透けた警備員二人に出会ったことがあった。

 つまり、彼らも「式」だったということらしい。


「式が四体……十分すぎる援軍です、陛下。これならば!」


 彼にしては興奮気味な表情を浮かべながら、安琉斗が「式」達と共に戦線へと駆け出す。

 小町達はただ、その姿を見送るしかなかった――。


   ***


 一方その頃、「式」を送り出した霊皇自身の姿は、「御所」の「謁見の間」にあった。

 霊脈を通じ、安琉斗達の戦いの行方を見守る彼女だが、その物理的な視線は他の所へ向けられていた。

 謁見の座の下座――そこに、華美すぎる花柄の着物に身を包んだ、若い狐を思わせる風貌の少女が控えていた。小町達の上級生である、九重麗佳だ。


「うふふ、陛下? あちらの様子はどんな具合でございましょう?」


 何が楽しいのか、九重はコロコロと愉快そうに笑っている。

 霊皇の御前であることを考えれば不遜ともいえる態度であるが、当の霊皇には気にした様子もなく、まるでつまらないものでも見るかのような、冷ややかな視線を九重に送っていた。


「――幸いにして死人は出ておらんよ。もし人死にが出ていたのなら、貴様の首を貰うところじゃぞ?」

「まぁっ! 怖い怖い。堪忍ですわぁ、陛下」


 わざとらしい関西訛りで答える九重に、霊皇が僅かに鼻を鳴らす。

 まだ年若いが、九重麗佳は「女狐」と呼ぶに相応しい食わせものなのだ。まともに相手をしても無駄だった。

 ――そもそもの話だが、彼女とて育成館の生徒の一人である以上、今日の実地講習に出席しているはずなのだ。それが欠席し、よりにもよって御所にいるとは一体どういうことなのか?


「わたくし共『出雲』としましても、死者が出るのは本意ではございませんわ。言うなれば、獅子が我が子を千尋の谷へ落とすようなもの……。わたくし共としましては、ただただ皆様にお強くなって頂きたいだけですので」

「ふんっ! ひよこを肉食獣の檻へ放り込む、の間違いではないのか? この国がようやく平穏に向かいつつある時代、必要なのは精兵ではない。民草を護る防人さきもりじゃ。育成館の若人達に、あえて地獄を味わわせる必要はあるまい」


 静かに、しかし激しく霊皇と九重の視線がぶつかり合う。

 九重の後ろで控えていた彼女のお付き・中島などは、そのあまりの迫力に巨体を震わせたほどだ。


「貴様ら『出雲』がどう思おうが、この国は最早、民草のものだ。我ら霊なるものを鎮める者共は、日陰者でよいのじゃ。――あまりでしゃばるとワシにも考えがあるぞ」

「まぁっ! 怖い怖い。肝に銘じておきますわぁ。これ以上、陛下のご不興を買ってはいけませんので、本日はこれで失礼いたしますねぇ。――ああ、そうそう」


 慇懃無礼なおじぎをしてから、九重は雅な所作で「謁見の間」を後にしようとしたが、その途中で突然に振り返り、言った。


「あの柏崎とか言う小娘、何者ですか?」

「……何者、とは?」

「言葉通りの意味ですよ。ただの野良猫かと思いきや、あの潜在能力……。もしや、陛下の隠し子か何かですか?」

「たわけ。そんなものがいたら、苦労せんわ。あれはな、五ツ木家の遠縁よ」


 小町が一色公爵家の血を受け継ぐ唯一の子であることは、殆どの人間には伏せられている。理由までは知らされてはいないが、他でもない霊皇が「五ツ木の遠縁ということにしておけ」と指示していたので、安琉斗も小町も、周囲にはそう伝えていた。


「ほうほう。五ツ木家の……。もしや、五ツ木くんにのですか?」

「発想が下衆じゃぞ九重。『貴き血』を持つ者とは言え、結婚は自由じゃ。ワシもそこまで無粋ではない」

「あら、これは失礼。わたくしとしては、五ツ木くんには是非とも二階堂さんとになって強い子をバンバンと作っていただきたいと思っておりますので……ああいう野良猫は相応しくないと愚考いたしますわ」


 そんな下衆の極みのような言葉を残して、九重は今度こそ去っていった。

 「謁見の間」に一人残った霊皇は、そこでようやく大きなため息を吐いた。


 霊脈を通じ、実地講習の現場の様子を探る。

 どうやら彼女が派遣した「式」の加勢もあり、「火の車」の荒魂は無事に祓われようとしているらしい。

 避難した育成館の生徒達にも、霊力に引き寄せられた周辺の荒魂が襲い掛かったようだが、そちらは原田が難なく祓ったようで、生徒達に怪我人は見受けられない。


 ――だが、何人かの生徒は、今日感じた恐怖が後々までの心の傷となってしまうかもしれない。

 育成館に通うのは、元貴族の家柄の子ばかりではない。一般家庭から選抜された生徒も多い。そういった子供達は、荒魂との戦いへの覚悟を、未だ本当の意味で固めている訳ではない。

 今日の出来事がきっかけとなり、退学する生徒も出てくるかもしれなかった。


「全く、困ったものじゃの」


 独り言ち、九重が出ていった扉を見つめる。

 種を明かせば、今日の実地講習で荒魂達が不可解な動きを見せたのは、全て九重の仕業であった。――より正確に言えば、彼女の後ろ盾となっている勢力の手によるものだ。


 「出雲」。読んで字の如く、出雲周辺で権勢を振るう古い血筋の家々の連盟である。

 その血筋の歴史は日本国のそれに伍するとも言われ、日本有数の霊的要衝である出雲地方を鎮めてきた自負もある。

 霊皇とて、邪険に出来ない厄介な存在だった。

 九重麗佳は、その「出雲」の実質的な惣領である。


 「出雲」の人間達が望むものは単純だ。強きサムライ、強き姫巫女が国を統べ、日本を再び列強へ押し上げようというのだ。

 もちろん、それは時代遅れの戯言、妄想の類でしかない。彼らの思惑だけで、今の日本を好き勝手出来るわけではない。

 だがしかし、政府や役人、サムライや姫巫女達の中には、密かに「出雲」に追従しようと企む者もまた、少なくないのだ。


 小町よりも遥かに優れた「先詠み」の力を持つ霊皇が、今回の事態に対して後手に回らされたのが何よりの証拠だ。

 霊皇に近しいサムライや姫巫女の中に「出雲」の協力者がいて、「先詠み」を妨げるような何か良からぬことを仕組んだのは明白である。


 しかも九重の口ぶりからすると、どうやら彼らは小町にも目を付け始めているらしい。

 九重は知らぬふりをしていたが、彼女が小町に早期から目を付けていたのは明らかだ。恐らく、安琉斗から報告のあった、五ツ木家へ侵入しようとした黒づくめ達も「出雲」の手のものだろう。

 まだ、小町の素性には気づいていないようだが……。


「少しでも味方を……増やしておかねばならぬのう」


 再び独り言ちた霊皇に、しかし応える者は誰もいなかった。



(第四話 了)

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